眞鍋監督時代とは? わかりやすく解説

眞鍋監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:12 UTC 版)

バレーボール日本女子代表」の記事における「眞鍋監督時代」の解説

2009年度より眞鍋政義監督公募によって就任し2012年ロンドン五輪向けた新体制発足したiPad使用してデータ駆使するIDバレー」を掲げ2010年日本行われた第16回世界選手権では1982年大会以来28年ぶりにベスト4進出を果たすと、準決勝ブラジル前にフルセットの末敗れはしたもの3位決定戦アメリカフルセットの末に勝利し32年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得した2011年ワールドカップでは中国と同じ8勝3敗の成績ながらも勝ち点差2の4位でオリンピック出場翌年世界最終予選へと持ち越されたが、初出場岩坂名奈新鍋理沙ら新戦力活躍などで結果的にロンドンオリンピック金メダル獲得したブラジル銀メダル獲得したアメリカストレート勝ちを収めた。しかし1位通過目標として臨んだ2012年5月ロンドン五輪世界最終予選序盤こそストレート勝ちによる開幕3連勝を飾るも韓国対戦し敗れてからリズム乗れず、出場獲得セルビアとの最終戦まで持ち越され最終的に4勝3敗の4位でアジア1位として出場獲得した同年8月の本大会で予選リーグを3勝2敗の3位通過すると、準々決勝中国に全セット2点決着というフルセット激闘制しソウルオリンピック以来24年ぶりのベスト4進出果たした。続く準決勝ブラジル対戦しストレート敗れたものの、3位決定戦韓国ストレート勝ちで収めてロサンゼルスオリンピック以来28年ぶりのメダルとなる銅メダル獲得した。これを受けて日本協会公募で新監督決め予定撤回し眞鍋監督続投要請し同年10月2016年リオデジャネイロオリンピックまで続投することが発表された。 2013年7月25日休業していた正セッター竹下引退発表五輪もう一人セッターだった中道瞳11月グラチャンバレーから復帰した江畑幸子腰痛でほとんど出場できない状況ながら他メンバー活躍もあり、ランク上位のブラジル・アメリカに敗れたものの、同大会における12年ぶりの銅メダル獲得した2014年ワールドグランプリでは、一人選手複数ポジション役割を担う新戦術ハイブリッド6」を採用し決勝ラウンド初戦から4連勝し最後ブラジル対戦して敗れはしたが同大会では初のメダル銀メダル)を獲得した2016年リオデジャネイロオリンピックではアメリカ対戦して敗れ、2大会連続メダル獲得することが出来ず5位に終わった。 「全日本女子バレー五輪メダル獲る為には、一体どうすればいいのか」。この最高難易度難問対す答えは、自身数度オリンピック経験している竹下佳江が、すでに仮説持っていた。 竹下は、「アテネ大会北京大会では、同じ五位で、同じよう経緯辿ったのですが、戦い方がまるで違いましたアテネ違い北京では、自分達に足りないもの、世界で戦い方分かった大会でした」と述べる。 (日本女子バレーボール良さ伸ばせばメダルチャンスは十分ある)と、メダル獲得への険し道筋朧気ながらも見つけていた竹下だが、ロンドン大会では自身34歳になる。 竹下は「バレーボール続けるけれど、全日本は次でおしまい」と、身の振り方決めていた。竹下前回主将時にストレス眉毛ごっそり抜け落ちたという事経験したが、代表の第一線もう一度戦い続ける事を選んだ。 そして、日本女子敗北テレビ中継解説席で見届けた眞鍋政義も、「メダル可能性は十分ある」と見ていた。当時久光製薬監督をしていた眞鍋は、45歳若さを誇る。 眞鍋キャリア華々しさは、とてつもない輝き放つ現役時は、1985年新日鐵入社した一年目から、セッターでのレギュラー獲得し新人王獲得新日鐵黄金時代立役者一人となり、85年03年まで日本代表務めたソウル五輪経験もあり、イタリア挑戦海外キャリアも持つ。監督業としては、男子監督では選手兼任監督として、新日鐵優勝導き女子監督では、05年に久光製薬監督就任するや否や輝かし成果出し続けた。 「全日本監督公募決定したという事なのだが、2008年12月久光製薬プレスにて発表した内容には「各方面から強い要請がありまして」とあり、眞鍋自薦というよりも、他薦影響大きかった事を示唆していよう。 眞鍋といえばiPad」を片手に、秒単位分析家から自分の手元に送られてくる数字データを基に戦略立てストイックなまでに知的に戦う監督というのが、一般的な人物イメージではなかろうか。 元々、眞鍋iPad使用していた理由は「スタッフから、色んなデータを頂くのですが、私が老眼初期小さな字が見えないでも、iPadなら、字を大きく設定できる。単に見やすかったんです」というだけの事情だった。 眞鍋自身は、生粋アナログ人間であり、「大事な事は、手帳絶対に手書きです。人間は、書かないと駄目」と言い切る。だが、眞鍋手元iPad入ってくる分析データを「これは面白い」と捉え、「世界一分析家になる」と決めた様々なスポーツにおいて、スポーツアナリティクス(分析分野というジャンル注目されるようになっていた。特に、バレーボールでは、この分析による傾向対策進んでいた。 雑に書けば要は膨大な過去データから「この試合・この場面誰が・どんなサーブをうつのか・どんなトスをあげるのか・どこのポジションの誰に・アタックはどの方向に・どの強さで打つのか?」という未来を瞬時予想するというものだ。 2000年代入り欧米諸国は、スポーツアナリティクス分野世界引き離した全日本母体となるバレーボール実業団は、半導体関係の製造を行う会社母体とするチーム多く、「IT分野では世界負けない」と推測されていたが、 ソフト開発における分析能力の差は開く一方だった。柳本時代も、IT分析によるデータバレーを2003年から取り入れてはいたが、世界基準から遅れていたサービス製品使っており、経験と勘に頼る部分大きすぎる状態で戦っていた。 日本に「渡辺啓太」という人物がいる。柳本時代よりアナリストとして、チーム随行していたが、2010年イタリアへ渡り世界最新アナリティクス技術学び帰国後、眞鍋専用分析アプリ開発し眞鍋iPadインストールした。 元バレーボール選手である眞鍋大きな指のサイズ合わせた渡辺こだわりの逸品である。以前は、報告する度に紙に印刷する必要があったが、渡辺は、ダイレクトに秒単位眞鍋の手元に世界基準分析結果予想送り続けた。 もちろん、この分析が全てではない。選手達は、まるで営業成績のように、自分欠点指摘され数字成績表見せられると、当然、気分害し数字を基にした評価拒否反応を示すようになるし、数字意識しすぎて、試合でのメンタル影響を及ぼす副作用産みかねない危険性もある。 眞鍋は、データ数字重視するスタイルではあったが、歴史上全日本女子バレー監督全員共通する強心臓勝負師」の面が強い。眞鍋は「数字大事だけど、やっぱり最後は、選手気持ち強さが大事です」と言い切る人物だ。 時期はかなり遠く飛ぶが、運命2012年ロンドン五輪での準々決勝対中国戦、最終セット眞鍋は、手元iPadデータよりも、自らの「勝負師の勘」を信じた眞鍋は「竹下全部任せる」とだけ指示をし、iPad分析よりも竹下現場判断選択した異様にまでポイント競り続け張り詰めた空気流れ続けた試合の中で迎えた最終セット。当然、この試合負ければ全ては終わる。そして、眞鍋ジャパンは、準々決勝の壁を遂に突破した選手達は声を揃えて2010年世界選手権米国戦で勝った銅メダル成功体験大きかった五輪勝てイメージができたから」と述懐する。この銅メダルは、世界選手権では32年ぶりという恐ろい年月を要したメダルだった。 竹下眞鍋も「日本良さ伸ばせば五輪勝てる」と思ったそうなのだが、果たして、日本良さとは何だったのか。その仮説答えは、この米国戦で試合おぼろげにみえてくる。 世界選手権代表メンバーには、当時山本愛名義だった大友愛復帰し活躍していた(以降、彼女の名称は、大友愛統一)。雑談になるが、復帰直後大友には「現役復帰決めてキツイ練習による傷まみれのヘロヘロな状態で、疲れた暗い顔をして、子供の手繋いでスーパー買物をしていると、神戸おばさま方に大丈夫ですか?とか、良い施設紹介しますよ?とか言われて謎だったんです。私、どうも周囲DV疑惑心配させてたみたいで」という逸話があるが、日本勝利には、この大友愛復帰大きい。これは単に、大友復帰の話ではなく、「女性就業問題改革であろう驚くべき事に、子供がいても代表でプレーできる環境というのは、2000年代にしてまだ完成されておらず、眞鍋作った当時日本バレーボール界には「結婚妊娠をしたら、選手生命は、そこで一段落し、違う選手がその座を継ぐ」という流れがあった。イタリアでプレー経験のある眞鍋は「これはおかしい。能力高く経験もあり、彼女達なら、すぐにフィジカル戻せる。引退を迫るなんて、もったいない」と考え眞鍋所属していた企業説得し子供のいる女性現場復帰応援する環境」を作った。とはいっても、当初は、眞鍋やり方多少問題あったようだ。まだ大友お腹子供がいる状態で、なおかつ「もう現場には戻れない」と決死思い引退した大友に対して眞鍋は、初対面時から、「おい、現役復帰しないか?オリンピックはどうだ?」といきなりの現役復帰迫った為、非常に強い不信感持たせてしまった。 そしてこの時、大友は、すでに日本有数センター選手戻っていた。選手層厚さから、主将荒木控えに回る機会多くなっていたが、荒木は、自身メンタル安定させ、大事な場面で起用されると、期待応える活躍見せた井上香織山口舞ブロックが功をなし、江畑幸子スパイク決め続け江畑止められても、迫田さおりスパイク決める。途中投入され石田瑞穂流れを変える働き見せると、竹下石田トス上げ続けた。 そして、代表に戻った大友愛が「あのサオリが、まるで別人みたいに、きちんと自分意見発言するようになっていた」と驚いた日本エース成長した木村沙織がいた。 全てのプレー土台には「竹下トス」があった。選手層厚く誰かが相手捕まっても、変わって入った違う選手結果出し試合主導権取り戻す。総じて選手全員レシーブ能力が高い。とにかく強引にでも拾い続けて竹下繋ぎえすれば竹下は、スパイクがきちんと打てトスを、調子のいい選手めがけて正確に何度も上げ続けた。後に「選手全員サーブ相手を崩す」という特徴も加わるのだが、すでにこの時点で、世界のトップグループと互角に戦え段階までにきていた。 眞鍋は、戦術コーチ、サーブコーチ、ブロックコーチ、ディフェンスコーチ、メンタルコーチアナリストと、専門別に分けたコーチ制度設けたのだが、アナリストの強い推薦により、身長の高い男子選手起用による強いスパイク獲るレシーブ練習採用し、各選手レシーブ能力上昇繋げていた。木村は、元々レシーブ上手い選手だが、対戦するチームは、少しでも木村を崩す為にサーブ木村を狙う事が多く結果木村は、リズム狂わせられる事が多かった眞鍋は、木村の「妹的なのんびりした性格」を問題視し、あえて厳し言葉発して木村精神的成長促した眞鍋が「サオリ!俺はお前と心中するつもりだ!」と言うと木村は(心中って、恋人同士自殺だよね。なんで私?)と誤解するなど、相互理解時間は少しかかったが、木村エース自覚が完全に芽生えレシーブでのミスがあっても、動じない選手になっていった。 木村は、後にトルコチーム属して年俸が億を越え選手になるのだが、世界認め強さがこうして磨かれていった竹下は、主将という立場で皆を引っ張るという行為どうにも苦手だったらしく、荒木主将引き受けてくれた事や、このコーチ分業体制によって、自分プレー集中できる好ましい環境となった事で、竹下戦略眼が洗練されていった。 この試合前日世界ランク一位ブラジル戦にてフルセット長時間戦った日本女子は、強い疲れから、決めるはずの選手決めきれなかった。江畑止められ木村止められてしまう。 だが、悪い流れに引きずられず、交代起用され選手達が高い質を見せ堅守から竹下が「スパイク打てトス」を上げ続けた全日本女子選手達は点差があろうと、競る場面になろうと、絶対に崩れない姿勢見せ続け米国勝利した。 この試合テレビ最高視聴率は35.9%を記録し平均では20.5%にも及んだ好成績結果出した日本女子の姿を32年ぶりに観た日本社会は、ロンドン五輪でのメダル奪取期待隠しきれなくっていった。 しかし、復帰した大友愛が、2011年9月、右膝の前十字靭帯内側側副靱帯損傷井上香織も、同時期に右肩脱臼し手術栗原恵は膝の手術。代表中心選手大きな怪我離脱により、ロンドン五輪への黄信号灯火する。 更にこの時期日本社会重大な天災発生していた。2011年3月11日東日本大震災発生し死者数破壊家屋数の規模において、太平洋戦争以来空前規模数字あがっていた。 東日本大震災によるスポーツへの影響大きく当時日本行われた、ほぼ全てのスポーツイベントにおいて、開催中止延期自粛などの処置がとられた。日本人は、この受け入れがたい現実対し、「復興」を叫ぶ事で一つになっていった。 著名アスリート達は、各メディア通じて復興向けた応援メッセージ被災者達に送り続けボランティアチャリティー活動活発化ていった。もちろん、女子バレーボール選手達もメッセージ送っている。 この時期より、スポーツ重大な役割一つに「勇気与える」という価値観産まれた。かつて東洋の魔女や、水泳古橋廣之進などの影響産まれた、このスポーツが持つ価値観は、すでに日本存在していたが、戦争から長きの時が過ぎ、現代日本人に、より具体性持った形の価値観してまた再登場する事となる。 代表例が、2011年6月末から行われた、「FIFA女子ワールドカップ日本女子代表」=通称なでしこジャパンこの年ワールドカップ優勝遂げ日本中が歓喜沸いた事だった。 この明るいニュースは、スポーツ日本大きな勇気与えた事の代表例といっていだろう。だが、その一方全日本女子バレーボールチームは、前年度世界選手権での成功から一変し苦しみ時期迎える事になる。

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