とうよう‐の‐まじょ〔トウヤウ‐マヂヨ〕【東洋の魔女】
東洋の魔女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 05:20 UTC 版)
東洋の魔女(とうようのまじょ、英: Oriental Witches[1])は、大日本紡績(のちの、ユニチカ)貝塚工場の女子バレーボールチームからスタートし昭和30年代に活躍した女子バレーボール日本代表チームの呼び名。1964年東京オリンピックでは、ソビエト連邦(現ロシア)チームを破り金メダルを獲得[2]。1961年の欧州遠征で24連勝した際に、現地メディアにつけられたニックネームである[2]。
- ^ Remembering the Oriental Witches: Sports, Gender and Shōwa Nostalgia in the NHK Narratives of the Tokyo Olympics / Oxford University Press
- ^ a b c 東洋の魔女 コトバンク
- ^ a b c d 武田薫『オリンピック全大会 人と時代と夢の物語』朝日新聞社、2008年、pp.201-205頁。ISBN 978-4-02-259938-4。
- ^ Helen Macnaughtan, From the Witches of the Orient to the Blossoming Sevens: Volleyball and Rugby at the Tokyo Olympics, The Asia-Pacific Journal 18 (4) no.15, 2020, p.2
- ^ a b 大松博文|コトバンク
- ^ a b c 日紡貝塚チームの誕生|貝塚市
- ^ ブロックのワンタッチを1回をカウントした当時は、回転レシーブでそのままトスにする回転レシーブ・トスでもあった。
- ^ 激震!大松監督突然の辞意 【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(6)】 伝説-スポーツ王国日本 歴史を作った者たち- 日刊スポーツ 2008年2月11日閲覧
- ^ 構成・吉井妙子「特別座談会 東洋の魔女 四十五年目の再会」『オール讀物』2009年9月号、p259 - p260.
- ^ a b c テレビ放送60周年特集 伝説の名勝負「東洋の魔女 世紀の金メダルロード」
- ^ 月刊バレーボール 2010年7月号 117ページ
- ^ 「王者は敗れるためにある」 【258連勝 ニチボー貝塚バレーボール部(8)】 伝説-スポーツ王国日本 歴史を作った者たち- 日刊スポーツ 2008年2月13日
- ^ 9人制バレーボールの試合では1960年に倉紡倉敷に敗れた記録がある。
- ^ a b 貝塚市ウェブサイト (2020年5月19日). “姉妹都市カルバーシティ市”. 2020年10月11日閲覧。
- ^ ““新東洋の魔女”前田悦智子さん 34歳差婚支えた母の言葉”. 日刊ゲンダイ (2020年6月6日). 2023年3月13日閲覧。
- ^ 「東洋の魔女」東京五輪、決勝映像見つかる サンケイスポーツ 2012年11月22日閲覧
- ^ 「東洋の魔女」決勝戦、完全版放送へ 録画テープを発見 朝日新聞 2012年11月23日
- ^ ~東洋の魔女が「2013 エイボン女性年度賞」を受賞 - 日本バレーボール協会
- 1 東洋の魔女とは
- 2 東洋の魔女の概要
- 3 ギャラリー
- 4 脚注
- 東洋の魔女のページへのリンク