天正
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改元
経緯
足利義昭を京都から追放した織田信長が、公卿や朝廷を通じて改元させることに成功したと言われ、『お湯殿上日記』元亀4年7月21日条(義昭追放の3日後・改元の7日前)にも、信長から改元の奏請があったことが記されている。
ただし、朝廷では改元についての議論が既にその1年以上前から行われており、『お湯殿上日記』元亀3年3月29日条には改元の発議を知らせる使者が信長と義昭の元に派遣されていることが記されている。
だが、「元亀」改元を奏請したとされている足利義昭はこれに反発して、改元にかかる経費の拠出を拒み(『お湯殿上日記』元亀3年4月20日条)、元亀3年9月に信長が義昭を非難するために作成した『異見十七ヶ条』でも批判の対象とされている。また、年号勘文はすでに元亀3年11月11日付で作成されている。
なお、改元時に朝廷では信長に勘文を見せ、その意向に応じて元号を「天正」と定めており、信長が武家政権の長として改元に容喙した事実は織田政権の開始を象徴する出来事であった。反面、改元の実施日や元号の実質的な選考作業と言える勘文の作成に信長が関与した事実は確認できず、あくまでも朝廷の意向を尊重するという形式を取った改元であった[1]。
出典
『文選』の「君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」と『老子』の「清静者為天下正」から。勧申者は元亀と同じく高辻長雅で、この時の候補の中に既に天正が含まれていた。
西暦の改暦
天正10年(1582年)、ヨーロッパで用いられる暦(西暦)は、カトリック教会が主導してユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦が実施された。近代以前の日本の暦における日付を西暦に換算する場合にはこの事を念頭に置く必要性がある。ただし、グレゴリオ暦の導入状況は国によって異なり、カトリック諸国(イタリア、スペイン、ポーランドなど)では早く、プロテスタント諸国(ドイツ、オランダ、北欧など)や独自の国教を持つ国(イギリス、ロシア、ギリシャなど)では後れた。
グレゴリオ暦の実施が最も早かった国々では、ユリウス暦1582年10月4日(木曜日)の翌日を、グレゴリオ暦1582年10月15日(金曜日)とすることによって使用が開始されている。
和暦 (宣明暦) |
西暦 | ユリウス通日 | |
---|---|---|---|
ユリウス暦 (旧暦) |
グレゴリオ暦 (新暦) | ||
天正10年9月18日 | 1582年10月4日(木曜日) | - | 2299160 |
天正10年9月19日 | 1582年10月5日(金曜日) | 1582年10月15日(金曜日) | 2299161 |
天正10年9月20日 | 1582年10月6日(土曜日) | 1582年10月16日(土曜日) | 2299162 |
なお、日本の暦は、明治6年1月1日(1873年1月1日)に太陽暦(グレゴリオ暦)を採用するまで、西暦と日付がずれる。また、西暦についても、ユリウス暦からグレゴリオ暦への移行は国ごとに異なっていることを念頭に置く必要がある[注 2]。
和暦 | 西暦 | ユリウス通日 | ||
---|---|---|---|---|
天保暦 (旧暦) |
現行暦[注 3] (新暦) |
ユリウス暦 (旧暦) |
グレゴリオ暦 (新暦) | |
明治5年12月2日 | - | 1872年12月19日(火曜日) | 1872年12月31日(火曜日) | 2405159 |
(12月3日) | 明治6年1月1日(水曜日) | 1872年12月20日(水曜日) | 1873年1月1日(水曜日) | 2405160 |
(12月4日) | 明治6年1月2日(木曜日) | 1872年12月21日(木曜日) | 1873年1月2日(木曜日) | 2405161 |
- ^ 天正から文禄への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1593年1月10日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。文禄元年は西暦1593年1月10日から同2月1日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、天正20年=文禄元年=西暦1592年、文禄2年=西暦1593年となって実際とはずれが生じる。ただしユリウス暦では1592年12月31日でずれは生じない。
- ^ 例えば、ヨーロッパでも、ロシアがグレゴリオ暦を実施したのは1918年2月14日、同じくギリシャは1923年3月1日など、日本よりも遅い。
- ^ 日本の現行暦はグレゴリオ暦そのものではなく、神武天皇即位紀元(皇紀)を元にした暦である(閏年ニ關スル件(明治31年勅令第90号))。もっとも、グレゴリオ暦の特長である閏年の計算は、神武天皇即位紀元年から660を減じた年数(グレゴリオ暦の年数に等しい)を元に行う。そのため、日本の現行暦はグレゴリオ暦と大差無い。
- ^ 神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第一章「織豊期の改元」
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