天正18年の合戦の経緯
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「岩付城の戦い」の記事における「天正18年の合戦の経緯」の解説
詳細は「小田原征伐」を参照 天正14年(1586年)以降岩付城の修復が行われていた。天正18年(1590年)3月、豊臣秀吉の小田原征伐が始まり、4月に北条家の本拠である小田原城は豊臣家の大軍に包囲される。秀吉は小田原城包囲を続ける一方で別働隊を編成して武蔵にある北条家の属城を落とさせた。岩付城は当時、北条氏直の弟・太田氏房が城主を務めていたが、氏房は小田原征伐では小田原城に詰めていたため、岩付城は氏房の家臣・伊達房実や宮城為実、妹尾兼延が守っていた。房実らは豊臣の大軍相手に善戦したが、岩付城は落城している。
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