お湯殿上日記とは? わかりやすく解説

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おゆどののうえのにっき〔おゆどののうへのニツキ〕【御湯殿上日記】

読み方:おゆどののうえのにっき

清涼殿御湯殿の上の間に奉仕する代々女官がつけた仮名書き日記文明9年(1477)から貞享4年(1687)のものが伝存宮中儀式女房詞などを知るうえで貴重な史料


御湯殿上日記

(お湯殿上日記 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 05:21 UTC 版)

御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき・お湯殿の上の日記)とは、御所に仕える女官達(内侍司の典侍、内侍など)によって書き継がれた当番制の日記


注釈

  1. ^ 言継卿記天文17年1月12日1548年2月21日)条によれば、後奈良天皇がある件について調べるために過去の『御湯殿上日記』を調べたところ、そこが亡き父である後柏原天皇の直筆の部分であったことが記されている[3]
  2. ^ 薩戒記応永32年11月6日1425年12月15日)条において、後小松院が記主の公家・中山定親に対し、宮中のことは女房が扱ってはいるが、それを記録できる者がおらず、自身が記録していたが、度重なる火災で失ったことを嘆く記述がある。この時期には『御湯殿上日記』が存在していなかった可能性が高く、松薗斉は後小松院の没後に宮中を主導した後花園院宝徳2年(1450年)前後に開始したとする説を提示している[4]
  3. ^ 文献は他に御湯殿上日記研究会『お湯殿の上の日記の研究 宗教・遊芸・文芸資料索引』(続群書類従完成会、1973年)がある。

出典

  1. ^ 御湯殿の上』 - コトバンク
  2. ^ 御湯殿上』 - コトバンク
  3. ^ 松薗斉『日記の家 中世国家の記録組織』(吉川弘文館、1997年)P194-95
  4. ^ 松薗・前掲


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