営業・ファンサービス
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「オリックス・バファローズ」の記事における「営業・ファンサービス」の解説
神戸移転後、プロ野球初の男性DJ(=スタジアムDJと命名され、この言葉が今の場内アナ全般に使われるようになった)としてDJ KIMURAを採用したり、内野グラウンドの天然芝化や内野スタンドのネット撤去、フィールドシートの設置、2004年からは「Take Me Out to the Ball Game」のヤフーBBスタジアム版を演奏など、メジャーリーグのボールパークの雰囲気に近付けるファンサービスを実施したが、観客動員数向上への目立った効果は出なかった(なおフィールドシートの名称が当初「殿馬シート」であったとする逸話があるが、実際には『ドカベン』とのコラボレーションであった「ドカベンチケット」内のみでの名称であり、球場ではこの名称は使われなかった)。 2005年シーズンより2013年シーズンまで場内アナウンスを堀江良信(フリーアナウンサー)が担当していた。選手名を全てスタメン発表から英語読みで呼ぶ。「○番、守備位置の英語、名前・名字、(初打席のみ背番号)」2010年より球団非公式マスコットとなった1・2・3・4ゴーヤ(現在は大阪八カセ)との掛け合いも披露することもある。2014年シーズンより2017年シーズンまではスタジアムMCを平野智一、アシスタントMCを竹村美緒が務めた。2018年シーズンからはボイス・ナビゲーターを神戸佑輔が、スタジアムレポーターを山根七星が担当する。ファームの主催試合では、2012年まで10シーズンにわたって横浜ベイスターズ→横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJを務めてきたケチャップを2014年から2017年までスタジアムDJに起用していた。また、2007年から2012年までは藤生恭子(担当期間中はオリックス球団職員)が場内アナウンスを担当。当時投手として在籍していた塚原頌平(2019年限りで現役を引退)と、担当期間の末期に結婚している。 地元大阪と神戸で開く主催ゲーム(オープン戦・公式戦いずれも)では、地元の企業・団体が1シリーズ(2 - 3連戦単位)で協賛し、球場のスタンド(大阪は2階席のバックスクリーン、神戸は左中間・右中間のバックスクリーン寄り)に「(協賛スポンサー名)シリーズ」の看板を掲げている。 大阪・神戸のホームゲームではその試合でオリックスが勝利をした場合、一塁側ベンチからクラッカー(キャノン砲)が発射され、紙テープで祝福するのが恒例となっている。 神戸で試合をする場合、5回と6回のイニングスインターバルにアトラクションとして花火ナイターが開かれる。基本的には毎回300発だが、交流戦やシーズン最終戦(神戸での最終戦)など特別な日には「スーパー花火ナイター」として多めに花火を打ち上げる。 2005年度から吉本興業と業務提携を結んだ。3月27日の朝日放送『なにわ人情コメディ 横丁へよ〜こちょ!』(NGKで3月9日収録)に仰木彬監督や選手が劇中に出演し、チームをPRした。また、3月28日のホームゲーム開幕戦・対ロッテ戦(大阪ドーム)では、国歌斉唱をDonDokoDonの山口智充が担当した。この業務提携は2006年度も「よしもとプロデュース・Bsミックスモダン大作戦」として継続。3月31日の関西テレビ『NGKにバファローズがやってきた! ミックスモダン大作戦〜結束〜』(NGKで3月9日収録)には中村勝広監督・清原和博・中村紀洋らが出演してチームをPR。4月2日の大阪ドーム開幕戦(対北海道日本ハムファイターズ戦)では友近が国歌斉唱、また4月4日の対ロッテ戦では池乃めだかが国歌斉唱、レイザーラモンHGが始球式を行った。 2005年8月、『魔法戦隊マジレンジャー』とのコラボレーション企画が実施された。これは仰木監督の采配が「仰木マジック」とマスコミに称されていたことと、マジレンジャーがさまざまな魔法を使って悪を退治していくという物語のつながりから実現したもので、『マジレンジャー』の映画化記念イベントを兼ねて企画された。 2006年7月からはJリーグJ1のガンバ大阪と連携。2006年には当時ガンバに所属していた宮本恒靖と清原和博のポスターやグッズを合同で製作したり、オリックスの試合で宮本が始球式、ガンバの試合で吉井理人と北川博敏がキックオフセレモニーに出場した。なお、GS神戸を本拠としていた時代、隣接するユニバー競技場を本拠地としたヴィッセル神戸と提携し、ホームゲームが重複して開催される日は共通チケットを発売した。 ただ、京セラドームの観客動員がやや伸び悩んでいることや神戸のファンの確保などの観点から、協約上のダブルフランチャイズが終了する2008年以後も兵庫県内(主として神戸)で20試合程度の準本拠地開催を行えるよう、兵庫県をフランチャイズとする阪神タイガースと交渉を進めており、2008年度以後も2007年度と同じ試合数(大阪48、神戸22、東京2)を確保している。なお、一軍の公式戦では上述3球場での開催のみだが、オープン戦とウエスタン・リーグでは姫路球場など神戸以外での兵庫県内の球場を使う事例がある。セ・パ交流戦では、大阪を事実上のメインとした2007年以後、対阪神戦、対巨人戦はそれぞれ大阪・兵庫で1試合ずつ、さらにそれ以外のカードのうちの1チーム2連戦を兵庫県内で開催する事例が多い。ダブルフランチャイズだった2005年と2006年はカードによって開催地が異なるケースが多く、同じカード・同じ球場で3連戦行う試合もあれば、上述2球団のように試合日によって開催球場を変える場合もあった。特に5月下旬のホームゲームの場合、大阪ドームでは他のイベント(コンサートなど)に使われるため、ある1カード(2 - 3連戦)が全て兵庫県内で行われる試合もある。 前述したが2011年は大阪での試合を増やす方針から、神戸での試合が20試合を切る見通しである。これに伴い、交流戦主管全試合(12試合)は京セラドームでの開催となった(当初5月31日と6月1日の横浜戦だけほっともっと神戸での開催が予定されたが、公式戦日程変更のため京セラドームに変更された。また阪神戦・巨人戦は元から2試合とも京セラドームでの開催となっていた) 2009年8月7日 - 9日のロッテ三連戦では関東にフランチャイズを置くロッテを東軍、オリックスを西軍に見立てて、大坂夏の陣をモチーフとしたイベント「Bs大坂夏の陣」が行われた。普段は本場メジャーリーグのようにファーストネームからコールするスタジアムDJもこの日は姓から順、ポジションも漢字読みでコール、さらにスコアボードの外国人選手にも漢字を使った当て字で表記される(例、ローズ→狼主、アレックス→亜力士、ラロッカ→羅六華)など戦国時代のような和風さを連想させる演出が行われた。また来場者には、先着6万人に赤色のユニフォームがプレゼントされた。 2009年8月29日・30日の対埼玉西武ライオンズ戦では35歳前後のファンを対象とした「R35ゲーム」が開催された。30歳代の入場者には西宮球場最後のシーズン(1988年)の内野自由席大人の価格で招待され、また当時の青春時代を思い起こさせるため、ウグイス嬢に『タッチ』の浅倉南役で知られる日髙のり子が起用された。翌年、2010年7月19日にも50歳代を対象とした「R50ナイト」が開催され、当時の世代に馴染みの深いアニメ作品『巨人の星』の星飛雄馬役の古谷徹、星明子役の白石冬美が場内アナウンスに起用された。 2008年より毎年ホーム開幕3連戦の内野自由席、外野自由席、一部指定席のチケット料金を値引し、さらに帽子やユニフォームをプレゼントするサービスが振舞われている。その甲斐も合って同カードは3万人以上の客入りを記録している。 2009年10月24日、日本球界ではいち早く先駆けて球団公式ツイッターを開設。 2010年5月30日、1995年の阪神・淡路大震災から15年経過したのを受けて、セ・パ交流戦において1995年当時日本シリーズで争った対東京ヤクルトスワローズ戦(スカイマークスタジアム)を、「がんばろうKOBEデー」として行われた。当日は、当時スタジアムDJをしていた「DJ.KIMURA」が担当し、選手たちは当時使用していた「BlueWave」時代のユニホームを着用して試合が行われた(球場でも復刻グッズが販売された)。また応援団も1995年当時に使用していた「応援歌」に差し替えて行われた(例:「坂口智隆」→「イチロー」・「T-岡田」→「藤井康雄」)。試合は3 - 1でオリックスが勝利し、観客動員も2010年最多の34,545人が球場に詰めかけた。 2010年7月16日 - 7月18日、「大坂夏の陣」を再び開催。甲冑をイメージした赤の特別ユニフォーム。全選手表示を漢字表記にしている。外国人(セギノール=「関乃流」、バルディリス=「英火(ニックネームの「AB」より)」等)はもとよりT-岡田を「暴君竜」(Tがティラノサウルスをイメージした登録名であるため)とした。この年はソフトバンクと対戦したが3戦全敗で終わった。 2011年1月30日から、公式サイトに「ハングル対応版」が登場。李承燁と朴賛浩の2人の韓国人選手の加入で韓国国内からのアクセスが多くなることを想定して設置された。 2011年7月1日 - 7月3日、3度目の「大坂夏の陣」を開催。リベンジレッドをテーマとした赤の特別ユニフォームを着用して試合に臨んだ。今回は対戦相手のソフトバンクも水色の特別ユニフォームを着用し、赤対水色の対決となった。前年同様に全選手表示を漢字表記(外国人選手では過去の例に加えへスマン=「兵州男」、フィガロ=「飛牙呂」など。移籍して対戦相手となったカブレラはカタカナ表記だが、告知画像では「亜力士(鷹へ寝返り)」とブラックジョークを交えて表記)にしている。結果はオリックスの3戦全勝で前年の雪辱を果たした。 2012年5月12日・13日、「Bs選手会プロデュースデー2012」を開催。テーマはテレビ朝日の「スーパー戦隊シリーズ」をモチーフにした「野球戦隊バファローズ」。 2012年「LEGEND OF Bs2012」を開催。「感動、激動の80's」と銘打ち、5月25・26日の広島戦と6月2・3日の巨人戦で阪急ブレーブスの1980年代当時の復刻版ホームユニフォームを着用、阪急時代のマスコットキャラクター「ブレービー」を復活させるなど阪急時代の雰囲気を再現。ちなみに、広島と巨人は、阪急と日本シリーズで対戦したことがある。 2012年6月29日 - 7月1日、4度目の「大坂夏の陣」を開催。前年のものと同じコンセプトの赤の特別ユニフォームを着用して試合に臨んだ。選手表示は選手紹介時にはこれまでの「夏の陣」同様に全て漢字表記(スケールズは「博比ノ助(「ボビー」と「スケ」から)」とした)が、試合中は通常と同じ表記とした。 ファームの主催公式戦については、2012年から2019年まで、京セラドーム大阪から電車で片道900円以内のエリアにある大阪府内の球場(富田林バファローズスタジアム・豊中ローズ球場・高槻市萩谷総合運動公園野球場・花園セントラルスタジアム)で数試合を開催。上記の球場で開催する公式戦では、地元自治体からの後援を背景に、「地元住民による観戦を促す」というファーム事業グループの方針で前売券の販売窓口を地元のスポーツ用品店に限っている。2013年以降は、ほっともっとフィールド神戸・神戸サブ球場・あじさいスタジアム北神戸を除く兵庫県内の球場や、奈良県・和歌山県内の球場で主催する試合にも同様の方法を順次採用。この販売方法を採用した試合では、平均入場者数で他の主催試合を大きく上回っている。富田林開催分については、初年度の2012年以来、窓口に指定された1つ(2013年以降は2つ)の店舗だけで前売券を完売している。また、オリックス球団・富田林市の共催による「富田林ドリームフェスティバル」のメインイベントと位置付けられていることから、以下のように「NPB球団の主催・共催行事では初めて」という連動イベントも実施している。2014年7月13日(日曜日)の福岡ソフトバンク戦終了後に、現役の二軍コーチによる「バファローズファームコーチドリームチーム」と「富田林氏軟式野球連盟ドリームチーム」が、3回限定の軟式野球で対戦。1-1の引き分けに終わった。 2015年:7月25日(土曜日)の阪神戦を観戦することや、試合のチケット代金とは別に料金を負担することを条件に、希望者から抽選で75名を「星空のバーベキュー」(試合終了後に球場近隣のサバーファームで開催の交流イベント)へ招待。「選手1人とファン3 - 4人が1つのテーブルに同席する」というイベントで、オリックスからは、当日の試合に出場・帯同していた23選手が出席した。2016年にも、7月23日(土曜日)の広島戦終了後に、上記の条件でこのイベントを実施している。 2015年9月23日(水曜日・秋分の日)に佐藤薬品スタジアム(奈良県)で開かれた阪神戦では、「球場を満員にするプロジェクト」(オリックス球団・奈良県・帝塚山大学によるNPB初の産学官連携のプロ野球公式戦運営プロジェクト)の一環で、同大学および天理大学の学生が試合の運営を担当。その結果、同県内で開催のウエスタン・リーグ公式戦では最も多い5,116名もの来場者数を記録した。 2020年には、日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大している影響で、二軍の主催試合をオセアンバファローズスタジアム舞洲のみで実施する。
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営業・ファンサービス
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「千葉ロッテマリーンズ」の記事における「営業・ファンサービス」の解説
ファンサービスの向上は本拠地を千葉市に移転した翌年の1993年頃から取り組み始めており、外野席のホーム・ビジターの区分けやレプリカのユニフォームを着用しての応援などはプロ野球界ではロッテが一番早く導入した。ロッテの内野応援団員を経て、ロッテマリーンズ球団職員を長年勤めた横山健一によれば、同時期に発足したサッカー・Jリーグを始め、メジャーリーグやアイスホッケーなど、国内外のスポーツ応援を参考に球団と応援団が新しい応援スタイルを確立していった。 1996年にはビジター用のレプリカユニフォームがファン達の要望によって作られた。当初は「よその球場で着るユニフォームをなぜ作るんだ」と反対されていたものの、横山の説得もあり実現となった。 瀬戸山隆三が球団代表に就任し、ボビー・バレンタインが監督に復帰した2004年以降、千葉マリンスタジアムの「ボールパーク化構想」が方針付けられ、積極的なファンサービスに尽力するようになった。プロ野球再編問題により、ロッテが千葉を去る可能性が取り沙汰されたことをきっかけに地元行政側との協力関係が結ばれるようになると、地域密着型のファンサービスがより積極的に展開された。セ・パ交流戦の際にこれを見た阪神タイガース前オーナーの久万俊二郎は「これこそファンサービス」と感動したという。また、京葉線の最寄り駅の海浜幕張駅の発車メロディも2005年3月26日から「We Love Marines」に変更するなど、スタジアム周辺の随所で地域との共存がアピールされ続けている。一連のファンサービス向上には荒木重雄事業本部長(当時)の貢献が大きく、荒木の在任時には「12球団の中でファンサービスが一番良いのはマリーンズ」と評されていた。
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