2007年以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 09:04 UTC 版)
「サッカーバスク代表」の記事における「2007年以後」の解説
エウスカル・エリアという名称に変更されてから初の試合は2007年12月29日であり、サン・マメスで行なわれたカタルーニャ選抜との親善試合は1-1に終わった。2008-09シーズンのクリスマス休暇にも親善試合が予定されており、バスクサッカー連盟は以前の名称であるエウスカル・セレクシオア(バスク選抜)という名称への変更を要望したが、レンダカリ(バスク自治州政府首班)でありバスク民族主義党(PNV-EAJ)を率いるフアン・ホセ・イバレチェに拒否された。多くのバスク人サッカー選手は、「エウスカル・エリアという名称でない限りプレーしない」という声明文に署名した。この名称変更論争はスポーツの域を超えてバスク地域に影響を与え、各政党のマニフェストにおいては、バスク民族主義党、スペイン社会労働党(PSOE)、国民党(PP)などは名称変更反対の立場を取り、EA、統一左翼(スペイン共産党などを中心とする政党連合)、バスク民族主義行動党などは名称変更賛成の立場を取った。 結局、2009年にエウスカル・セレクシオアという名称に変更することで意見の一致を得たが、協会と選手間の意見の相違などから、イラン代表との間で計画されていた試合は結局行なわれなかった。2010年、選手と連盟の間では合意に至っていなかったが、選手側は12月29日にサン・マメスでベネズエラ代表と試合を行なうことで合意に達した。バスク選抜最多出場を誇るホセバ・エチェベリア(元アスレティック・ビルバオ)にバスクサッカー連盟から金色の記章が贈られ、エチェベリアはキックオフの役目を務めた。
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