2007年以降のプレデターズ移転説
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「ナッシュビル・プレデターズ」の記事における「2007年以降のプレデターズ移転説」の解説
2007年5月23日、プレデターズのオーナーであったクレイグ・レイポルドがカナダ人のビジネスマンでリサーチ・イン・モーションの会長および共同CEOのジム・バルシリーにチームを譲渡する暫定合意に達したと報じられた。当時レイポルドはチームの2007-08シーズンをナッシュビルで行うと明言していたが、その後に関しては不透明であった。バルシリーは長い間サザン・オンタリオに別のチームを配属することに興味があるのではないかと噂されていた。この取引は2007年6月30日まで決定しなければならなかった。NHLの規約違反にも関わらず、バルシリーはまだ所有が始まっていないチームの移転話を進め始めた。移転先はトロント・メープルリーフスとバッファロー・セイバーズの本拠地から約50マイル(80km)のカナダのオンタリオ州ハミルトン市のコップス・コロシアムが考えられた。ハミルトンへの移転はメープルリーフスの領有権侵害として賠償金を要求される可能性があった。セイバーズはNHLが定める50マイルからやや外側にあったのだが、賠償金を要求される可能性は捨てきれなかった。6月13日、翌日からチケットマスターを通じて「ハミルトン・プレデターズ」の名の入ったシーズン・チケットが販売されることになったことからまたNHLの規約違反となった。カナダでのホッケーのチケットの購入者が多いサザン・オンタリオへNHLの拡張を行なうというバルシリーの考えがNHLの理事会で披露された。 6月23日、複数のメディアがレイポルドはもはやバルシリーにプレデターズを売却するつもりはないと報じた。しかしレイポルドは間接的にバルシリーとの契約はまだ可能性があると伝えた。バルシリーの弁護士であるリチャード・ロディアはレイポルドからNHLへの文書を引用し、売却の進捗の一部は単に形式的であり、この未決の売却に関して若干の変更があると語った。カナダの関係者たちはこれらの情報や遅延作戦はNHLがチームをカナダに移転させたくないからだろうと考えたが、NHLはこれを否定した。レイポルドはのちにバルシリーは買収後もナッシュビルに据え置くことを考えておらず、プレデターズとナッシュビル市との繋がりに干渉し、移転することを前提に買収しようとしていると明かした。そのためバルシリーとレイポルドの交渉は決裂した。 2007年6月下旬、ミズーリ州カンザスシティへの移転説も浮上した。カナダの『ナショナル・ポスト』紙で匿名により、プレデターズのオーナーであるクレイグ・レイポルドは、2008-09シーズンに合わせてカンザスシティの新しいスプリント・センターにチームを移転したがっているサンノゼの投資家ウイリアム・デル・ビアージョ3世に売却する計画を立てていると報じられた。スプリング・センターを本拠地とするNHLのチームを所有するためにアンシュッツ・エンターテイメント・グループと契約していたデル・ビアージョは推定約1億9千万ドルでの買収を申し出た。2年前の2005年、デル・ビアージョはピッツバーグ・ペンギンズの買収に同意に達したが、NHLドラフト・ロッタリーで指名権を得て1巡目でシドニー・クロスビーを獲得したため撤回された。プレデターズがナッシュビルの会場のリースがまだ残っているにも関わらず、バルシリーはハミルトンでシーズン・チケットを発行し、NHLのオーナーで理事のゲイリー・ベットマンを失望させ、レイポルドはバルシリーへの売却を考え直したと報じられた。デル・ビアージョはカンザスシティで法人向けチケットの販売を開始したが、バルシリーが行なったようなシーズン・チケットは含まれていなかった。その後レイポルドはデル・ビアージョとのみ交渉しているという噂を否定し、まだバルシリーとの契約の可能性が残っており全ての入札を明らかにすると語った。レイポルドはバルシリーがプレデターズを移転させないという約束を反故にし、手付金の支払いを行なわなかったと語った。2007年7月4日、『グローブ・アンド・メール』紙は30名の投資家たちがナッシュビルにチームを留めておくための入札をする団体を結成したと報じた。 2007年7月19日、地元の企業家グループによる「アワ・チーム・ナッシュビル」がソメイ・センター(現ブリヂストン・アリーナ)に集まり、プレデターズをナッシュビルに留めるためチームのファンにシーズン・チケットを購入することを薦めた。7,500名ものファンが詰め掛け、シーズン・チケットが726セット売れた。この集まりはのちに地元ラジオ局WGFX104.5の番組『The Zone』のスポーツキャスターとなるジョージ・プラスターが大きく貢献した。 2007年8月1日、グループはレイポルドからの文書を発表した。ナッシュビル市との交渉後、デイヴィッド・フリーマン率いる地元のグループがカール・ディーン市長との合意に達し、NHL理事会は2007年11月29日付けでの売却を承認した。1億7,200万ドルの買収額には約6,100万ドルの借金の返済と220万ドルの手数料や経費が含まれた。 主にテネシー州の人々で構成されたこのグループには、かつてカンザスシティへの移転を試みたデル・ビアージョも参加した。地元の購入者が73%を占め、デル・ビアージョなど少数のパートナーが残り27%を占めた。
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