2007年以前の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/30 21:04 UTC 版)
「UCIプロツアー」の記事における「2007年以前の動向」の解説
プロツアー制度の導入に伴い、グランツールの主催者は従来各主催者が独自の基準で行っていた出場チーム選考の権限を、事実上UCIに奪われることとなってしまった。従来各主催者はイベントの盛り上げのため、たとえ格下であっても自国のチームや自国の人気選手が所属するチームを優先的にワイルドカードなどで拾い上げるといったことを行ってきたが、プロツアーでは出場チームがほとんど同じようなチームになってしまうため、逆にイベントの盛り上がりが欠ける結果も一部では生まれている。 このためグランツールの主催者はたびたびプロツアーからの離脱をほのめかす行動を取り、実際2005年と2006年12月には、ASO(フランス、ツール・ド・フランス主催者)・RCSスポルト(イタリア、ジロ・デ・イタリア主催者)・ウニプブリク(スペイン、ブエルタ・ア・エスパーニャ)は、三社が主催するグランツールを含む11レースをプロツアーから離脱させることを提案した。 また2006年10月には、ジロ・ディ・ロンバルディアを主催するRCSスポルトが、UCIプロツアー制度に対する反発から、プロツアーの最終戦である同レースの優勝者の表彰式の後に本来行うべきプロツアー総合優勝者の表彰式を実施しないという異常事態が起こった。ただこれに対してはプロツアーに参加するチームの多くから反対の声が上がり、プロツアーに参加する全チームがレースの表彰式を完全ボイコットすることで、グランツールの主催者側の態度に抗議の意思を表明した。 結局2007年3月にUCIとASOなど三社が交渉した結果、2007年シーズンに関しては三社の主催レースをプロツアーに組み込むことで暫定的な合意が成立した。ただ三社主催レースに関する出場チームについて、各レースの主催者が独自に選考を行う方針は維持された。 この結果、UCIプロチーム資格が有名無実化する問題が浮上した。そもそもUCIは最高カテゴリーとなるUCIプロチームのライセンスを発行する見返りとして、UCIプロチームにグランツールへの優先出走権を与えるとしていた。つまり大金を積んでUCIプロチーム株を買えば、グランツールには確実に出られますよという形でチームはスポンサーに営業をしていたのである。ところが2007年より新たにUCIプロチームとなったユニベットは、オンラインカジノがメインスポンサーであるという理由でパリ〜ニース、ティレーノ〜アドリアティコ、ミラノ〜サンレモ、ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ブエルタ・ア・エスパーニャなど、最もメディア露出が多いレースの主催者から出走を拒否され、UCIもこれを認めてしまったのである。こうなると、わざわざ大金を出してUCIプロチームになる必然性には重大な疑問符がつく。ユニベットは現在この問題についてUCIと係争中である。 2007年シーズン終了後にもこの問題が再燃、ついにUCIプロツアー2008のカレンダーからグランツールを含む複数のレースが除外され(代わりに1月にオーストラリアで開催されるツアー・ダウンアンダーをUCIプロツアーに加えている)、これらのレースは新たに設けられたカテゴリーのレースに組み込まれることとなった。ツール・ド・フランスの期間中はUCIプロツアーのレースが開催されない配慮はなされているものの、UCIプロツアーとグランツールは事実上分裂し、UCIプロツアーの存在意義が問われる事態となっている。
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