2007年以降: スティーブ・ブロンスキソロと新生ブロンスキ・ビート
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2007年、ブロンスキはイギリスのオルタナティブ・ロックバンド、オール・リビング・フィアーの『ストレンジャー・トゥ・ナン』のリミックスを4バージョン制作し、うち1曲は彼らの回顧的なアルバム『フィフティーン・イヤーズ・アフター』に収録された。また同年北アイルランドのエレクトロニックバンド、エレクトロブロンズの『フラワーズ・イン・ザ・モーニング』をリミックスし、曲のスタイルをクラシックからHi-NRGに変身させた。 2015年、ブロンスキは1989年に作った曲のカバー制作のため、ジェシカ・ジェームズ(別名バーバラ・ブッシュ)とチームを組んだ。彼女のルックスとアーサー・キットのようなサウンドは、ディヴァインを思い起こさせたとブロンスキは語った[要出典]。 2016年、ブロンスキはリリースされなかった1987年の幻のアルバム『アウト&アバウト』全11曲を、自身のオフィシャルウェブサイトなどでダウンロード販売した。 2017年1月12日、スタインバチェクの姉、ルイーズ・ジョーンズは、弟のラリーが家族に看取られながら前月亡くなったことをBBCに明かした。享年56歳であった。ソマーヴィルは「僕らは若く勇気があり、確固たる決意を持っていた、二度と巡り合えない一瞬、あの時をありがとうラリー。」とメッセージを寄せた。 2017年7月、ブロンスキとドナルドソンはボーカルにスティーヴン・グランヴィルを迎え、新生ブロンスキ・ビートとして『エイジ・オブ・コンセント』の再録アルバム『エイジ・オブ・リーズン』をリリースした。 2021年12月、ブロンスキが61歳で亡くなったことが明かされた。バンド創設メンバーで唯一の生存者となってしまったソマーヴィルはブロンスキの死を悲しむと共に、「スティーブは才能あふれるメロディーメイカーだった。彼と作った曲が僕らの人生を変え、そして多くの人の人生に影響を与えたあの日々、とても楽しく刺激的だった。ありがとうスティーブ。」とメッセージを寄せた。
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