ピッツバーグ・ペンギンズとは? わかりやすく解説

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ピッツバーグ・ペンギンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/05/26 16:36 UTC 版)

ピッツバーグ・ペンギンズ
Pittsburgh Penguins
カンファレンス イースタン・カンファレンス
ディビジョン メトロポリタン・ディビジョン
創設年 1967年 (59年前)
歴代チーム名 ピッツバーグ・ペンギンズ
1967-
ホームアリーナ PPGペインツ・アリーナ
ホームタウン ペンシルベニア州ピッツバーグ
チームカラー 黒・ピッツバーグゴールド・白
     
メディア
オーナー フェンウェイ・スポーツグループ英語版マリオ・ルミュー
GM カイル・デュバス英語版
ヘッドコーチ ダン・ミューズ英語版
キャプテン シドニー・クロスビー
獲得タイトル(獲得年)
スタンレーカップ優勝 (5回)
1991・1992・2009・2016・2017
アブコワールド (0回)
カンファレンス優勝 (6回)
1991・1992・2008・2009・2016・2017
ディビジョン優勝 (9回)
1991・1993・1994・1996・1998・2008・2013・2014・2021
プレジデンツトロフィー (1回)
1993
ホームジャージ

ピッツバーグ・ペンギンズ英語: Pittsburgh Penguins)、または単にペンズ (Pens) は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグを本拠としている北米プロアイスホッケーリーグ(National Hockey League 略 NHL)チームである。エクスパンション・シックスの一つ。

歴史

創設期

ピッツバーグ・ペンギンズの前身は、元AHLで1930年代に大変な成功を収めたフランチャイズチームの一つであり、1967年にNHLのチーム数が倍増された時に、エクスパンションチームの一つとしてNHLに加盟した。パイレーツ (Pittsburgh Pirates)がフィラデルフィアに移転して以来、37年ぶりにNHLがピッツバーグに戻ることになった。

このときの新規加盟チームは、いわゆるオリジナルシックスチームの有力選手の獲得を禁じられるという制約を受けており、ベテランとなっていた前ニューヨーク・レンジャースのスター選手アンディ・バスゲイトや前ボストン・ブルーインズで鉄壁のディフェンスを誇ったレオ・ボアヴァン (Leo Boivin) らを除くと、チーム創成期のメンバーはマイナー・ホッケーチームからの昇格選手がほとんどであった。初年度の西部地区での成績はトップに僅か6ポイント足りない2位の好成績であったが、プレイオフ進出は逃した。

バスゲートは多くのゴールでチームを牽引したが、彼もボアヴァンとともに間もなく引退の時期を迎えた。右ウイングのケン・シンケル(Ken Schinkel)、キース・マクレアリー(Keith McCreary)、かき混ぜ屋のブライアン・ワトソン (Bryan Watson) 、ゴーリーのレス・ビンクリー(Les Binkley)といったまずまずの選手はたくさん在籍していたが、選手層は薄く、ペンギンズの初期における成績は、創設7年で5度もプレイオフ進出を逸するなど決して芳しいものではなかった。

1970年には、ペンギンズを悲劇が襲った。チームで第3位のゴール数を記録したルーキーのセンター Michel Briere が自動車事故で怪我をし、1年間の入院生活の後、帰らぬ人となったのである。

1970年代中盤の数年間、チームは、フォワードのシル・アップ・ジュニア(Syl Apps, Jr.)、ローウェル・マクドナルド(Lowell MacDonald)、Jean Pronovost 、Rick Kehoe 、ピエール・ラローシェ(Pierre Larouche)、ロン・ショック(Ron Schock)やディフェンスの ロン・スタックハウス(Ron Stackhouse)、デイブ・ブロウズ(Dave Burrows)らを擁し、高い攻撃力で鳴らしたが、それもディフェンス力の不足、ゴーリーのまずさによって相殺されてしまい、プレイオフにおいて好成績を残すことができなかった。

1980年代初期のチームには、Rick Kehoe の他、スター・ディフェンスのランディ・カーライル(Randy Carlyle)、得点能力に優れたポール・ガードナー(Paul Gardner)、マイク・ブラード(Mike Bullard)らが所属していた。1983年1984年とチームは、リーグ最下位で終わるが、1984年シーズンオフに、後にNHLでも屈指の名プレイヤーと賞賛される神童マリオ・ルミューをドラフトで指名した。

2度のカップ優勝

その後4年間は依然プレイオフ進出を逃し続けるが、1988-1989シーズンにはルミューがリーグ得点王となり、また、チームはルミューの力を生かすためにスーパースターでディフェンスのポール・コフィー (Paul Coffey) をエドモントン・オイラーズから獲得したほか、控えにボブ・エリー (Bob Errey) 、また得点力に優れたケヴィン・スティーブンス (Kevin Stevens) 、ロブ・ブラウン (Rob Brown) 、ジョン・カレン(John Cullen)を相次いで補強した。このため、チームはプレイオフに進出し第2ラウンドまで勝ち上がった(フィラデルフィア・フライヤーズに敗退)。

1990-1991シーズン、ペンギンズは頂点に立つ。ドラフトではチェコの人気右ウイングヤロミール・ヤーガー (Jaromir Jagr) を獲得し、1990年代を通じてヤーガーとルミューのコンビはリーグ屈指の得点力のあるフォワードとして恐れられた。スティーブンス及びコフィーに新進のマーク・レッキ(Mark Recchi)、堅実な双方向センターのロン・フランシス(Ron Francis)(ハートフォード・ホエーラーズとの大型トレードで獲得)、ゴーリーのトム・バラッソ(Tom Barasso)を加えたペンギンズはリーグ最強チームとなり、スタンレー・カップ決勝でミネソタ・ノーススターズを下し優勝を決め、スタンレーカップチャンピオンチームとして初めてホワイトハウスを訪問した。この、翌シーズンには、コーチのボブ・ジョンソン(Bob Johnson)を癌で失うが、スコッティ・ボウマン(Scotty Bowman)がその任を引き継いだ。伝説に彩られたボウマンの指揮の下、チームはスタンレー・カップ連覇を成し遂げた。

1993年、再び癌がチームに不吉な陰を投げかけた。ジョンソンの死による動揺だけにとどまらず、マリオ・ルミューがホジキン病 (Hodgkin's disease) と診断されたのである。

ルミューは診断から僅か2ヶ月でリンク上にカムバックを果し、初戦の敵地フィラデルフィアでスタンディングオベーションを受け、当時リーグ全体に大きな感動を呼んだ。チームはこのような幾多の試練にもめげず、56勝21敗7引き分けの記録を残し、リーグ最高ポイントを上げたチームに授与される会長賞 (Presidents' Trophy) を受賞した(チーム史上初。2005年現在)。レギュラーシーズンではこのような好成績を残したが、プレイオフでは第2ラウンドでニューヨーク・アイランダーズに敗北した。

ルミューの引退と復帰

1990年代の残りも、ペンギンズは相手チームからは脅威の的として見られていたが、それは高くついた。選手に高額の年俸を支払い続けたため、チームは破産寸前まで追い詰められた。ルミュー(1997年に引退)は、破産事件で係争中であったチームを引き継いで、自身の現役時代の年俸やその他主要債権者から多額の債務繰延べを受けて、なんとか、オレゴン州ポートランドへのフランチャイズ移転を退けた。

金銭の力は恐ろしいもので、将来を嘱望された若手ゴーリーのパトリック・ラリーム(Patrick Lalime)は、わずか1シーズンでチームを去り、翌年にはオタワ・セネターズのスター選手となった。

2000年10月に来日し、ナッシュビル・プレデターズと公式の開幕戦2試合を行った。12月にチームのオーナーであり、すでに殿堂入りしていたルミューがチームのオーナー兼任で現役復帰を果したことは、ホッケー界を大いに驚かせ、彼はペンギンズを2001年 のプレイオフ進出に導く(イースタン・カンファレンス決勝でニュージャージー・デビルスに敗北)。ペンギンズは更なる経費節減を迫られた。2001年の夏には、アート・ロス記念賞4連覇中のヤーガーをワシントン・キャピタルズに捨て値でトレード放出という苦渋の選択をした。ヤーガーを失ったことの意味はペンギンズにとって大きく、2002年には、12年ぶりにプレイオフ進出を逃した。また、この翌年には、ファンから愛されたアレクセイ・コヴァレフ(Alexei Kovalev)さえ放出し、リンク内外でチームは大きく揺れた。

2003年は、NHLの全ドラフト指名選手中第1位でマルク=アンドレ・フルーリー (Marc-Andre Fleury)を獲得し、ヘッドコーチには、エディー・オルチック(Eddie Olczyk)(元ペンギンズ選手、解説者)を起用し、チーム再建の年と期待された。経費節減によって、フルーリーとの契約はかなり困難なものであった。しかし、フルーリーは期待通り優れたゴーリーとしての活躍を見せ、チームの成績はNHLでも最低と振るわなかったが、フルーリーはリーグ屈指の選手達の強烈なシュートを幾度となく止めた。しかし、シーズン序盤でルミューは臀部を負傷し、その数ヵ月後に回復を待つため残り試合を欠場することになるなど、ペンギンズはトラブルが続いた。

その後マルティン・ストラカ(Martin Straka)をロサンゼルス・キングスでトレードで移籍させ、また、フルーリーも契約における金銭面での折り合いの悪さからジュニアチームでの出場を余儀なくされている。

2004年の夏には、ペンギンズはフォワードのアレクセイ・モロゾフ(Aleksey Morozov)を失うが、これは、ロックアウトに伴い彼がロシアリーグでプレイすることを決断したためである。しかし、チームはファンの人気が非常に高いスター選手のマーク・レッキと再契約を果した。2004-2005シーズンのロックアウトにより、幾人かの選手はマイナーリーグAHLの関連チーム Wilkes-Barre Penguins でプレイするほか、アレクセイ・モロゾフや Lasse Pirjeta らは、欧州やロシアのリーグでその才能を磨いた。

3度のカップ優勝

2005年のドラフトでは、ウェイン・グレツキーや翌年に2度目の完全な引退をするマリオ・ルミューの後継者と目されるシドニー・クロスビーを第1巡目第1位で指名した。

ドラフト後即デビューしたクロスビーは、アレキサンダー・オベチキンとの熾烈な新人王争いに敗れるが、翌年リーグ1位のポイントをあげたこともあり2001年以来、6年ぶりとなるプレーオフ進出を果たしたが、第1ステージで敗れた。

しかし、故障にもめげず77得点を挙げたクロスビーの活躍だけでなく、自身初の100得点を挙げたエヴゲニー・マルキンの飛躍もあり、2007-2008年には地区優勝を果たす。プレーオフに2位シードで出場、そのまま決勝まで上り詰めたがデトロイト・レッドウィングスに2勝4敗で敗れ去った。また2008年1月1日、初のNHLウィンター・クラシック(スタジアムでの屋外試合)をバッファロー・セイバーズと開催した。

翌年、主力の流出でプレーオフ進出さえも懸念されたが、マルキンがリーグ1位の得点、クロスビーが2年ぶりに100得点を突破し、第4シードでプレーオフ出場。決勝ではレッドウィングスと25年ぶりとなる同一チームの2年連続対戦となり、今度はペンギンスが4勝3敗でスタンリー・カップを獲得、リベンジを果たした。

2010–11シーズンも好調なスタートを切ったが、1月にクロスビーが脳震盪の影響でチームを離脱、翌月にはマルキンが靭帯を断裂し、シーズンの残りを欠場した。クロスビーはその後も後遺症に悩まされ、以降3シーズンをフル出場することはなかったが、チームは好調を維持し、2013年と14年は連続でディビジョン首位で終えた。

2016年、2017年と再びカップ獲得のチャンスを得たペンギンズは連覇を果たし、クロスビーはコーン・スマイス賞を連覇した史上3人目のプレーヤーとなった。

再建期

2017-18シーズン開幕前、ペンギンズは長年にわたりチームのスターゴーリーであったフルーリーを2017年のNHL拡張ドラフトで失うも、[1]2020-21シーズンを再びディビジョン首位で終えた。

2022-23シーズンは、2005-06年以来初めてプレーオフ進出を逃し、北米スポーツ界で最長のプレーオフ連続出場記録出場記録は16シーズンで途絶えた。[2]

スタンレーカップ戦績

スタンレーカップ

1990-1991、1991-1992、2008-2009、2015-2016、2016-2017

ウェールズ・トロフィー

1990-1991、1991-1992、2007-2008、2008-2009、2015-2016、2016-2017

シーズン別成績

GP W L T OL GF GA PTS 最終順位 プレーオフ(相手チーム)
1967-68 74 27 34 13 - 195 216 67 西地区5位 不参加
1968-69 76 20 45 11 - 189 252 51 西地区5位 不参加
1969-70 76 26 38 12 - 182 238 64 西地区2位 準決勝敗退 (STL)
1970-71 78 21 37 20 - 221 240 62 西地区6位 不参加
1971-72 78 26 38 14 - 220 258 66 西地区4位 準々決勝敗退 (CHI)
1972-73 78 32 37 9 - 257 265 73 西地区5位 不参加
1973-74 78 28 41 9 - 242 273 65 西地区5位 不参加
1974-75 80 37 28 15 - 326 289 89 ノリス3位 準々決勝敗退 (NYI)
1975-76 80 35 33 12 - 339 303 82 ノリス3位 予選敗退 (TOR)
1976-77 80 34 33 13 - 240 252 81 ノリス3位 予選敗退 (TOR)
1977-78 80 25 37 18 - 254 321 68 ノリス4位 不参加
1978-79 80 36 31 13 - 281 279 85 ノリス2位 準々決勝敗退 (BOS)
1979-80 80 30 37 13 - 251 303 73 ノリス3位 予選敗退 (BOS)
1980-81 80 30 37 13 - 302 345 73 ノリス4位 予選敗退 (STL)
1981-82 80 31 36 13 - 310 337 75 パトリック4位 地区準決勝敗退 (NYI)
1982-83 80 18 53 9 - 257 394 45 パトリック6位 不参加
1983-84 80 16 58 6 - 254 390 38 パトリック6位 不参加
1984-85 80 24 51 5 - 276 385 53 パトリック6位 不参加
1985-86 80 34 38 8 - 313 305 76 パトリック5位 不参加
1986-87 80 30 38 12 - 297 290 72 パトリック5位 不参加
1987-88 80 36 35 9 - 319 316 81 パトリック6位 不参加
1988-89 80 40 33 7 - 347 349 87 パトリック2位 地区決勝敗退 (PHI)
1989-90 80 32 40 8 - 318 359 72 パトリック5位 不参加
1990-91 80 41 33 6 - 342 305 88 パトリック1位 スタンレーカップ優勝 (MIN)
1991-92 80 39 32 9 - 343 308 87 パトリック3位 スタンレーカップ優勝 (CHI)
1992-93 84 56 21 7 - 367 268 119 パトリック1位
プレジデンツトロフィー
地区決勝敗退 (NYI)
1993-94 84 44 27 13 - 299 285 101 ノースイースト1位 カンファレンス準々決勝敗退 (WSH)
1994-95 48 29 16 3 - 181 158 61 ノースイースト2位 カンファレンス準決勝敗退 (NJD)
1995-96 82 49 29 4 - 362 284 102 ノースイースト1位 カンファレンス決勝敗退 (FLA)
1996-97 82 38 36 8 - 285 280 84 ノースイースト2位 カンファレンス準々決勝敗退 (PHI)
1997-98 82 40 24 18 - 228 188 98 ノースイースト1位 カンファレンス準々決勝敗退 (MTL)
1998-99 82 38 30 14 - 242 225 90 アトランティック3位 カンファレンス準決勝敗退 (TOR)
1999-00 82 37 31 8 6 241 236 88 アトランティック3位 カンファレンス準決勝敗退 (PHI)
2000-01 82 42 28 9 3 281 256 96 アトランティック3位 カンファレンス決勝敗退 (NJD)
2001-02 82 28 41 8 5 198 249 69 アトランティック5位 不参加
2002-03 82 27 44 6 5 189 255 65 アトランティック5位 不参加
2003-04 82 23 47 8 4 190 303 58 アトランティック5位 不参加
2005-06 82 22 46 - 14 243 310 58 アトランティック5位 不参加
2006-07 82 47 24 - 11 267 240 105 アトランティック2位 カンファレンス準々決勝敗退 (OTT)
2007-08 82 47 27 - 8 240 212 102 アトランティック1位 スタンレーカップ決勝敗退 (DET)
2008-09 82 45 28 - 9 258 233 99 アトランティック2位 スタンレーカップ優勝 (DET)
2009-10 82 47 28 - 7 249 235 101 アトランティック2位 カンファレンス準決勝敗退 (MTL)
2010-11 82 49 25 - 8 228 196 106 アトランティック2位 カンファレンス準々決勝敗退 (TBL)
2011-12 82 51 25 - 6 273 218 108 アトランティック2位 カンファレンス準々決勝敗退 (PHI)
2012-13 48 36 12 - 0 162 119 72 アトランティック1位 カンファレンス決勝敗退 (BOS)
2013-14 82 51 24 - 7 242 204 109 メトロポリタン1位 第2ラウンド敗退 (NYR)
2014-15 82 43 27 - 12 217 204 98 メトロポリタン4位 第1ラウンド敗退 (NYR)
2015-16 82 48 26 - 8 241 199 104 メトロポリタン2位 スタンレーカップ優勝 (SJS)
2016-17 82 50 21 - 11 278 229 111 メトロポリタン2位 スタンレーカップ優勝 (NSB)
2017-18 82 47 29 - 6 270 248 100 メトロポリタン2位 第2ラウンド敗退 (WSH)
2018-19 82 44 26 - 12 271 238 100 メトロポリタン3位 第1ラウンド敗退 (NYI)
2019-20 69 40 23 - 6 221 196 86 メトロポリタン3位 予選敗退 (MTL)
2020-21 56 37 16 - 3 193 155 77 東地区1位 第1ラウンド敗退 (NYI)
2021-22 82 46 25 - 11 269 222 103 メトロポリタン3位 第1ラウンド敗退 (NYR)
2022-23 82 40 31 - 11 261 263 91 メトロポリタン5位 不参加
2023-24 82 38 32 - 12 253 248 88 メトロポリタン5位 不参加
2024-25 82 34 36 - 12 242 287 80 メトロポリタン7位 不参加
2025-26 82 41 25 - 16 290 258 98 メトロポリタン2位 第1ラウンド敗退 (PHI)

Pittsburgh Penguins Season-by-Season Record - Regular Season (英語). NHL Records. 2026年5月26日閲覧。

永久欠番

# 国籍 ポジション 選手名 備考
21 センター ミッシェル・ブリエール (Michel Brière) 2001年1月5日認定
66 センター マリオ・ルミュー 1997年11月19日認定
68 右ウィング ヤロミール・ヤーガー 2024年2月18日認定
  • ウェイン・グレツキーの99は2000年2月6に全NHLチームの永久欠番に認定

関連項目

外部リンク

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  1. Fleury leads Vegas Golden Knights’ expansion draft choices」GREG BEACHAM, AP通信 2017年6月22日
  2. Sidney Crosby, Penguins see their historic 16-year NHL Playoffs run come to an end」Quinn Allen, Gino Hard 2023年4月12日




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