営業マン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 21:32 UTC 版)
大津屋入社後、数ヶ月で仕事のシステムを覚え、広告の制作・営業を担当。新規開拓の飛び込み営業、受発注、校正、見積もり、不渡り手形の回収、差し押さえ、印刷ミスによる謝罪と何でもこなした。受け持った得意先は建築会社やボイラー会社などであった。酒が強かったらもは、親の跡目を継いだ二代目社長に新地やミナミにお供として連れられ、日付が変わってからの帰宅がほとんどであった。酒の席で社長が得意先の社員の頭を太鼓に見立てて叩いたのを見たらもは、「あんな奴でも社長になれるんや」と妻にボヤいたという。 1980年(当時28才)のある日、会社で上司が経理の女子社員ににぎりっ屁を嗅がせ、泣かせたのを見て「この会社は長くない」と感じたらもは、取引先の社員と一緒に雑誌『宣伝会議』主催のコピーライター養成講座に通い、藤島克彦、林均らに師事。半年の受講で「一等賞」を8回受賞し、賞状と「ミッキーマウスの時計」をもらって講座を修了した。 この間、1976年4月に長男が誕生。1978年に長女を授かる。「食うに困らないように」との願いを込め、息子には「穂」、娘には「苗」の字を含めた。
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