一段全通式空母とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 一段全通式空母の意味・解説 

一段全通式空母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 06:12 UTC 版)

赤城 (空母)」の記事における「一段全通式空母」の解説

航空機発達ともなって飛行甲板延長が必要となり、先に大改装行っていた加賀参考1938年昭和13年)に全通式の飛行甲板延長するなどの近代化改装佐世保海軍工廠施された。艦型一新され排水量41,300t(公試状態)となった。この時、下二段閉鎖式の格納庫甲板となり拡張され常用搭載機66機に増えた飛行甲板中央部平で、艦首方向0.5度、艦尾方向1.5度の傾斜付けられていた。ただし赤城改装予算上の制約から加賀比べると、丁寧ではなかったり略式なものにとどまり用兵側からは不満の残る仕上がりとなった例え飛行甲板では、木製の板の隙間埋め防水充填剤が板と板の間からはみ出て、それが甲板上に黒く硬くなって残っているなど、他の空母にはこのような雑な飛行甲板仕上げ見られなかったという。旧石炭庫を居住室に転用するなど、艦内迷路同然であった右舷中央部にある第一煙突第二煙突一つにまとめられた。航空機着艦時には煙突内に海水噴射して煙を吸収させるため、煙突から滝が落ちているように見えたという。右舷後部居住区煙突排気流れ込むため窓をあけられず、居住性悪さから「人殺し長屋」の異名があった。のち、煙突艦橋一体化し煤煙上方へ逃がす欧米空母型艦橋煙突採用した飛鷹型航空母艦隼鷹見た赤城将兵が、これから軍艦居住性良くなる解説した事もある。また赤城では結核赤痢発症する兵が多く暑さ空気悪さのために廊下ハンモック吊り睡眠する兵や、飛行機格納庫寝床作る兵が多かった食事は上等であったという)。 艦橋は、先に全通飛行甲板改装され加賀では右舷前寄りに設置されたが、赤城では、将来艦上機単葉大型化するであろうために滑走距離も長くなる着艦距離はワイヤー制止されるため誘導設備発達すればむしろ短くできるとの予想から、前寄りの位置では邪魔になると判断され、艦中央部設置されることになった。しかし右舷のままでは煙突重なるため、世界類例のない左舷艦橋配置されることとなった艦船左舷接岸世界的に規則化しているため、左舷日本空母特有の舷側噴出し煙突設けることができなかった)。左舷艦橋配置は、反対舷の煙突重量バランスがとりやすい、飛行甲板上の作業指揮がとりやすい、格納庫有効にレイアウトできるといったほか、同じ第一航空戦隊加賀並行航行する場合において、赤城が右、加賀が左と、艦橋近接させ、連絡発光信号等)をとりやすくできるといったメリットもあった。しかし、乱気流発生したりと、デメリットもあった。第二航空戦隊並走する航行序列場合には第二航空戦隊旗艦飛龍であったにも関わらず右舷艦橋である蒼龍前になり、赤城の左に位置した。しかし、赤城左舷艦橋配置は、左方向指向してしまうレシプロ機においては着艦のさい障害になる、また排煙艦橋流れてくるということ問題となり、これ以降空母はすべて右舷艦橋とされている。竣工直前飛龍そのまま左舷艦橋竣工しているが、翔鶴型は建造中に艦橋右舷前寄りに設計変更された。赤城艦橋は、艦の規模の割に小さく大艦隊の作戦指導を行う際には問題になったとみられる武装面では、加賀違って旧式十年45口径12cm高角砲を、新式八九式40口径12.7cm高角砲換装増強できなかった。設置位置も低い位置のままだったので、依然として反対方向撃てなかった。九六式25mm機銃の数は中型空母蒼龍と同じで飛龍よりも少なく、4トン級という船体大きさの割に、真珠湾攻撃参加した空母6隻の中で対空火力は最も貧弱だった三段甲板時代中段甲板設置されていた砲塔式の20cm砲撤去されたが、艦尾舷側装備した計6門の20cm砲近代化改装後装備していた。若手士官は「発射する飛行甲板がめくれあがる無用の長物」と揶揄している。ミッドウェー海戦赤城20cm砲を最低54発発射しているが、飛行甲板への影響について不明である。飛行甲板手すりはなかったが、一段低い高角砲機銃甲板の間にポケット呼ばれる整備兵退避場所がある。さらにネット張ってあり、落下事故防止していた。 三段格納庫船体大きさ割には狭く大蔵省記録では戦闘機27攻撃機53、計80、補用機40総計120加賀戦闘機24攻撃機45、計69、補用機31総計100となっているが、実際搭載機数は加賀翔鶴瑞鶴より少なかった太平洋戦争開戦時常用搭載機数は艦上戦闘機18機、艦上爆撃機18機、艦上攻撃機27機。加賀翔鶴瑞鶴はいずれ艦戦18艦爆27艦攻27である。航空機エレベーター上下するが、乗組員左舷タラップ飛行甲板上がった各種改装によって排水量1万tほど増加したにもかかわらず機関出力はあまり向上しなかったため、速力は32.1ノットから31.2ノット低下した航続距離もあまり伸びなかったため、遠距離外洋航行となる真珠湾攻撃では、蒼龍飛龍とともに作戦から外すことが計画段階検討されたこともあった。

※この「一段全通式空母」の解説は、「赤城 (空母)」の解説の一部です。
「一段全通式空母」を含む「赤城 (空母)」の記事については、「赤城 (空母)」の概要を参照ください。


一段全通式空母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 00:14 UTC 版)

加賀 (空母)」の記事における「一段全通式空母」の解説

加賀改装案として最初にアメリカ海軍レキシントン級航空母艦のような大型艦橋を持つものが検討されたが、航空機発着友鶴事件経て重心の上防止風圧側面積減少配慮し格納庫飛行甲板艦橋縮小され直立煙突採用見送られた。加賀には、既述のように数々不具合があったため赤城より一足先1934年昭和9年6月25日より佐世保海軍工廠改装工事着手され1935年昭和10年6月25日工事完了した加賀改装竣工以来欠陥解消だけではなく性能向上も含むものであったため工事工数多く日本海軍艦艇中、一、二を争うほどの大掛かりなものであった艦橋については、上記のように、最小限といえる小さなものが全通となった飛行甲板右舷前方設置された。この後日本海軍では空母艦橋位置について数年間、試行錯誤重ねることになるが、最初に加賀右舷設置され理由(及び最終的に右舷決着見た理由)は、発着艦の空路左回り決められていたためである。これは世界共通であるが、レシプロ機場合プロペラパイロット側から見て時計回りであり、これは機体を左へと導く。それを踏まえてのことで、左舷艦橋障害物となりやすかったのである問題多かった排煙方式赤城と同じ弯曲煙突式とし、位置機関上部右舷修正した。これによる重量軽減100トンにも及び、乗員も煙路の高熱から解放されるとともに艦尾から排出される排煙気流乱し艦上機着艦妨げるという欠陥解消した次に三段飛行甲板中下段は廃止され最上段のみの全通式の一段甲板とした。最上段の飛行甲板船体長を上回る長さになり、離着艦滑走距離が大幅に延長された。この際若干艦尾方向高くなっていた傾斜飛行甲板フラットなものに手直しされた。その結果飛行甲板面積は7,001.7m2にまで達した。これは大和型戦艦3番改造空母信濃に次ぐ面積であり、改装後赤城よりも約500m2、後に完成する翔鶴型と比べても約700m2広くなった。 また中下段の飛行甲板廃止により航空機格納スペース増加し搭載機数も常用72機、補用18機の合計90機と大幅に増加している。大蔵省記録では加賀(戦闘機24攻撃機45、計69、補用機31総計100)、赤城(戦闘機27攻撃機53、計80、補用機40総計120)となっているが、改装後加賀以後完成した日本空母含めて最大格納庫面積があり、常用の上中2段の格納庫面積だけで合計で7,493m2となり、赤城より970m2、翔鶴型より1780m2広くなり、実際に最大103機の運用を可能としていた(ただし零式艦上戦闘機比べて小型九六式艦上戦闘機などを使用した場合)。燃料搭載量も8,200トン増加し航続距離新造時14ノットで8,000海里から16ノット10,000海里延びた。さらに航空燃料505トン搭載も可能とされ、同時期のレキシントンよりも100トン多く積み込めた。 速力については内側2本のタービン最上巡洋艦搭載新式大出力のものに換装し、機関出力増大艦尾延長により、それまでの実速度26.7ノット公称27.5ノット)から28.3ノットまで向上した。本来であれば赤城と同じレベル30ノット以上が望ましいが、本改装排水量が38000t以上に膨れ上がったことと、復原性確保のためのバルジ追加影響の下、致し方ない判断された。 これらの改装により、加賀日本空母のひとつの完成形最初に達したとなった。ただし、改善されとはいえ速力28.3ノット太平洋戦争開戦時日本主力空母の中では最も低速であり、後世に於いては、他の空母行動ともにする際に障害になったではないかと言われている。しかし、実際に航空母艦最大速力艦隊行動を行うことは殆どなく、随伴する駆逐艦などの航続能力や、艦隊運用基本戦術経済性度外視しており非現実的である。さらに加賀速力艦隊運用障害になったという記録証言実例存在せず、あくまで公称値上から憶測し机上の空論である。(ただし、真珠湾攻撃に於ける浅深航空魚雷輸送掛けた日数航路運用記録乗員証言から検証した場合公称値28.3ノット対し実際30ノット前後での航行が可能であったとする説もある)。一方で加賀航続力積載力が大きく作戦立案しやすい長所があり、ハワイ作戦にも真っ先に名が挙げられた。ハワイ作戦事前調査では加賀燃料搭載余裕があり、公称値以上に航続力があると判定されている。このため加賀と、新型翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴瑞鶴)の3空母のみによる作戦実施当初検討されていたほどだった。この案には第二航空戦隊司令官山口多聞少将反対し、結局赤城蒼龍飛龍作戦加わったが、これら三空母は艦内燃料用ドラム缶多数積載して作戦参加であった。 また近代化改装にあたり本艦対空兵器増強され、連装12cm高角砲連装12.7cm高角砲換装、数も6基から8基に増備し、反対方向にも射撃可能なように高い位置取り付けられるなど、航空艤装攻撃力防御力の面で僚艦赤城凌駕していた。25mm連装機銃同時に増強されたがその位置・数は公式図面残されていないこともあって不明である(11基とする説と14基とする説あり)。 本艦船体安定しており揺れ少ないこと、艦橋部分飛行甲板幅も29.5mあるなど広大な飛行甲板を持つこと、また飛行甲板海面からの高さも高く(21.7m)各種作業が波の影響を受けにくいこと、艦橋右舷前方にあるため着艦時の圧迫感もなく、気流乱れ少ないことなどの利点があり、使いやすい空母として好評だったと伝えられる飛龍飛行甲板217m、幅27m)から転勤したある艦爆搭乗員は、最初着艦加賀飛行甲板広さ驚いている。「この艦は一種おちついた威厳持っていた」「いかにも頼もし感じがした」という回想も残されている。これらの特徴加えて中国戦線経験したパイロット多数擁することもあって、本艦日本機動部隊最有力空母としての位置づけにあった。 しかし、問題点いくつか残されていた。加賀中段飛行甲板設置された20cm連装砲二基四門撤去され代わりに船体後方舷側ケースメイト式のものが四門追加され、数の上では改装前同数維持されたが、この配置視界射界ともに狭く運用実績不良だった。そもそも航空戦主体とする空母には不要な装備であり、昭和8年改装計画に基づくものとはいえ先見の明欠いたアメリカ海軍空母レキシントン級でも8インチ砲が装備されていたが、艦橋煙突前後背負い式に配置しており、甲板への爆風重心上昇問題はあるが、こちらのほうが合理的な配置であったまた、右舷前部新設され艦橋重心上昇考慮してコンパクトなものが設置されたが、最低限設備しかなく、作戦指揮を行うには狭すぎるものだった加賀限らず日本空母の共通の欠点としてダメージコントロールへの配慮足りず格納庫閉鎖式にしたことは航空機塩害からの保護という利点はあるものの、被弾時の被害増加させ、後の喪失原因となった開放式ヨークタウン級航空母艦エセックス級航空母艦では被弾時にあっても爆風が外に逃げ、また空母搭載爆弾航空機などの危険物海中投棄することで誘爆航空機への延焼被害限定できた(閉鎖格納庫危険性について米空母レキシントン (CV-2)日本空母大鳳喪失原因参照)。 問題点散見されるものの、これら近代化改装結果加賀有力な大型航空母艦となった大和型戦艦改造空母信濃竣工するまで日本空母の中で最大排水量誇った前述のように、加賀改装工事はかなり徹底したもので、全通一段甲板右舷前部小型艦下向き湾曲煙突飛行甲板周囲対空砲火という艦形は後の日本空母多く採用された。また水面からの飛行甲板までの高さが21.7mと日本空母のなかでは一番高く航空機の離着艦には好都合であったが、一方でGM値の悪化招いたため、両舷にバルジ追加された。幅広かつ深い喫水による低重心戦艦からの改造幸いして加賀安定性は優秀であり、ある軍医横須賀入港時に上陸許可求めて舷門に行くと、そこで初めてすでに1時間以上も前に出港して洋上疾走していることに気づいたという逸話残されている。荒天ハワイ作戦時においても船体揺れ新型翔鶴よりも少なかった報告されている(横揺れについて最大加賀3度飛龍11度翔鶴20度)。 また、飛行甲板前部空母カタパルト設置のための溝をつくる工事佐世保海軍工廠行われ1941年9月末に極秘裏にカタパルト搭載して射出実験長崎沖で実施されたが、実用には困難と判断されたため、即刻カタパルト撤去した当時の証言によれば射出そのものには成功したが、パイロットの命がないよう射出であり、また航空機射出状態にするには時間手間がかかりすぎるとのことであった結局搭載のまま開戦迎えカタパルト完成機会はなかった。結果的に日本海軍終戦まで空母カタパルト実用化できなかった。

※この「一段全通式空母」の解説は、「加賀 (空母)」の解説の一部です。
「一段全通式空母」を含む「加賀 (空母)」の記事については、「加賀 (空母)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「一段全通式空母」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一段全通式空母」の関連用語

一段全通式空母のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一段全通式空母のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの赤城 (空母) (改訂履歴)、加賀 (空母) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS