侯爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 05:11 UTC 版)
欧州の爵位との対応
欧州の貴族階級 |
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皇帝 / 女皇 / 王・皇帝 / 女王・女皇 / カイザー / ツァーリ |
上級王 / 上級女王 / 大王 / 大女王 |
王 / 女王 |
エァッツヘァツォーク(大公) / 皇女 / ツェサレーヴィチ(皇太子) |
ヴェリーキー・クニャージ(大公・皇太子) 大公 / 女大公 |
選帝侯 / プリンス / プリンセス / クラウンプリンス / クラウンプリンセス / プランス・エトランジェ / 血統親王 / インファンテ/ インファンタ / ドーファン / ドーフィン / クルレヴィチ / クルレヴナ / ヤール |
公爵 / 女公 / ヘルツォーク / クニャージ / 諸侯級伯 |
フュルスト / フュルスティン / ボヤール |
侯爵 / 女侯 / 辺境伯 / 方伯 / 辺境諸侯 / 宮中伯 |
伯爵 / グラーフ / シャトラン / (カステラン) / 城伯 |
ヴァイカウント / ヴァイカウンテス / ヴィダム |
バロン / バロネス / フライヘア / アドボカトゥス / ロード・オブ・パーラメント / セイン / レンドマン |
バロネット / バロネテス / スコットランドの封建領主 / リッター / 帝国騎士 |
エクィテス / ナイト / シュヴァリエ / リッデル / レディ / デイム / 自由騎士 / セニャール / ロード |
ジェントルマン / ジェントリ / エスクワイア / レアード / エードラー / ヨンクヘール / ユンカー / ヤンガー / メイド |
ミニステリアーレ |
- 侯爵と訳されることがある欧州の爵位には、以下の2つがある。
- ドイツ:Fürst(フュルスト)
- その他の地域:marquess/marquis(辺境伯に由来。)
中国の侯爵
西周時代に設置された爵について、『礼記』には「王者之制禄爵、公侯伯子男凡五等」とあり、「侯」は五つある爵の上から二番目に位置づけている[2]。一方で『孟子』万章下には「天子之卿、受地視侯、大夫受地視伯、元士受地視子男。」とあり、天子を爵の第一とし、侯は領地を賜るものとしている[3]。『礼記』・『孟子』とともに侯は公とともに百里四方の領地をもつものと定義している[3]。また『春秋公羊伝』には「天子は三公を公と称し、王者之後は公と称し、其の余大国は侯と称し、小国は伯・子・男を称す」という三等爵制が記述されている[4]。金文史料が検討されるようになって傅期年、郭沫若、楊樹達といった研究者は五等爵制度は当時存在せず、後世によって創出されたものと見るようになった[5]。王世民が金文史料を検討した際には公侯伯には一定の規則が存在したが、子男については実態ははっきりしないと述べている[6]。
漢代においては二十等爵制が敷かれ、「侯」の爵位は存在しなかったが、列侯や関内侯が置かれた。魏の咸熙元年(264年)、爵制が改革され、侯の爵位が復活した。「公侯伯子男」の爵位は列侯や亭侯の上位に置かれ、諸侯王の下の地位となる[7]。食邑は大国なら千六百戸、七十里四方の土地、次国なら千四百戸、六十五里四方の土地が与えられることとなっている[7]。その後西晋でも爵位制度は存続し[8]、恵帝期以降には公・侯の濫授が行われた[8]。このため東晋では恵帝期の爵位を格下げすることも行われている[9]。
南北朝時代においても晋の制度に近い叙爵が行われている。隋においては国王・郡王・国公・県公・侯・伯・子・男の爵が置かれ、唐においては王・開国国公・開国郡公・開国県公・開国侯・開国伯・開国子・開国男の爵位が置かれた[10]。
主要な中国の侯爵
咸熙元年の五等爵制発足時には、三公であった王祥・鄭沖、そのほかの重臣賈充、石苞、衛瓘、裴秀、何曾たちが侯となったが、晋王朝成立後はいずれも公となっている[11]。また当時の晋王司馬昭の弟であった司馬駿も「侯」の爵位を受けているが、晋王朝成立後は諸侯王となった[12]。
太康の役の論功行賞として、杜預、王濬、唐彬、王戎といった軍事司令官や[13]、呉討伐を勧めた張華が侯の爵を受けている[14][15]。これらの戦役の功労者には、規定を超えた食邑も与えられた。張華には一万戸、杜預には九千六百戸の食邑が下されている[16]。また羊祜は武帝受禅の際に子から侯に進められている[17]。他には西晋滅亡時の太尉王衍も侯(武陵侯)であった[12]。
- ^ 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)942頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)849頁参照。
- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 2-3.
- ^ a b 石黒ひさ子 2006, p. 3.
- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 5.
- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 4.
- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 6.
- ^ a b 袴田郁一 2014, p. 86-87.
- ^ a b 袴田郁一 2014, p. 95.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 93.
- ^ 今堀誠二, p. 422-423.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 103.
- ^ a b 袴田郁一 2014, p. 100.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、118.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、107.
- ^ 張華は後に公に陞爵
- ^ 袴田郁一 2014, p. 89.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 118.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 21.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 71-76.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 26.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 30.
- ^ a b 百瀬孝, 1990 & p242.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 56.
- ^ 百瀬孝 1990, p. 37.
- ^ a b 内藤一成 2008, p. 15.
- ^ a b 百瀬孝, 1990 & p37-38.
- ^ a b c d 小田部雄次 2006, p. 45.
- ^ 百瀬孝, 1990 & p38.
- ^ 内藤一成 2008, p. 15/26/34.
- ^ 内藤一成 2008, p. 42.
- ^ 原口大輔 2018, p. 206.
- ^ 原口大輔 2018, p. 206-207.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 76-80.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 171.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 199.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 87-88/111.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 87-88.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 109.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 74-77.
- ^ a b 百瀬孝 1990, p. 244.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 162.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 163/166.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 162-167.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 167.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 172.
- ^ 小林(1991) pp.16-17
- ^ 森(1987) pp.5-6
- ^ 森(1987) p.15
- ^ 前田英昭 1976, p. 46-58.
- ^ 田中嘉彦 2009, p. 279/290.
- ^ a b c d e f g h i Noble Titles in Spain and Spanish Grandees
- ^ 関哲行, 中塚次郎 & 立石博高 2008, p. 315.
- ^ a b 関哲行, 中塚次郎 & 立石博高 2008, p. 370.
- ^ https://www.boe.es/datos/pdfs/BOE//1931/153/A01122-01123.pdf
- ^ https://www.boe.es/buscar/act.php?id=BOE-A-1948-3512
- ^ “Guía de Títulos”. www.diputaciondelagrandeza.es. 2021年3月24日閲覧。
侯爵と同じ種類の言葉
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