軍国主義の盛衰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
デューリングは多数の著作を提供したが、毎度子供向けのおとぎ話の世界でその世界観を紹介している。 デューリングはロンビンソンがフライデーを剣の力で暴力的に屈服させて政治的不平等の秩序を形成したことを語ったのだが、これらの剣はどこから来たのだろうか。自明であるが、剣は木になる果実ではなく、これらの暴力の手段は武器の製造という工業的な生産に依存している。エンゲルスは戦争全般に関して次のように言及している。 「一言でいえば暴力の勝利は武器の生産に、そしてこれはまた生産一般に、従って、暴力とは経済状態に依存し、暴力が自由に使うことができる物質的手段に依存している。暴力とは今日では軍隊と艦隊である。両方とも、われわれが身にしみて知っているように、目の玉が飛び出るほど金がかかる。けれども、暴力は一文の金もつくりだすわけだはない。……。従って、暴力は、ここでも、暴力の道具を装備し維持するための手段をそれに供給してくれるところの経済状態に規定される。……軍隊と艦隊ほど経済的前提条件に依存するものは、他にはないのである。武装、構成、編制、戦術、戦略はなによりもまずそのときどきの生産の段階と交通・通信とに依存する。この方面で変革的な作用を及ぼしたのは、天才的な将帥たちの悟性の自由な創造物なのではなく、より優秀な武器の発明と軍人の材料の変化であった。天才的な将帥たちの影響力は、せいぜいのところ、戦闘法を新しい武器や戦闘員に適応させることに限られている。」 武器は工業技術の産物であり、必然的に、武器の工業的生産に支えられた国家の軍事力は国民の経済力に依存している。 14世紀にイスラム圏(オスマン・トルコ帝国)からもたらされた火薬も火器も生産するのは将軍ではなく職人たちだが、彼らが生産した銃は鍛冶屋が製造した剣による戦争を一変させた。火力の強化とともに騎士の甲冑を陳腐化し、射程の延長とともに長槍部隊を駆逐し、中世の戦闘を近代の戦闘へと変革していく。銃の普及はフリードリヒ大王の時代に戦列歩兵の組織化をもたらす一方、その命中精度の向上とともに対抗戦術として散開戦法を発達させた。アメリカ独立戦争では散開戦術によるゲリラ戦が展開され、イギリスのレッドコートが打倒された。ナポレオン戦争では縦隊による迅速な移動と展開が戦術的な重要性を高め、横隊による防御線を遊撃隊で食い止めつつ、前進する横隊を陽動して決定的地点で温存した兵力を投入、主力部隊と合流させて敵軍を突破していくという分進合撃の戦術が完成した。ナポレオンの勝利にはクリボヴァル将軍が考案した砲架の軽量化によって砲兵の機動性が向上した背景がある。必要な時に必要な火力の投入が可能となった時に戦局は動き、そして歴史が胎動していくのだが、これら軍事革命は文明の技術力、社会の経済力に左右される。 経済発展と軍事国家の結合は軍国主義を形成していき、大戦争の勃発とその軍事的崩壊の歴史過程を辿っていく。 「ドイツ-フランス戦争(普仏戦争)とともに、一つの転回点がやってきた。第一に兵器が非常に改良されたため、……、第二には、この戦争の結果、大陸のすべての大国は否応なしに……数年で滅亡するほかないほどの軍事的負担を背負い込むことになった。軍隊は国家の主要な目的となり、自己目的となっている。……。軍国主義はヨーロッパを支配し、のみこんでいる。しかし、この軍国主義は自己のうちに自己の没落の萌芽をも担っている。各国相互の競争のために、…年々ますます多くの金を陸軍、海軍、大砲等々のために使い、そのために財政的破綻をますます早めてることになっているし、また他方では一般兵役義務をいよいよ真剣に実施して、それによってついには全人民を武器の使用に習熟させざるをえないはめになり、それがため、ある一定の瞬間がくれば、指揮権を握っている軍の高位のお歴々にさからって、全人民が自分の意志を押し通すことができるようにしている。 そして人民大衆が一つの意志を持てば、すぐさまその瞬間がくる。この点に到達すると、王侯の軍隊は人民軍に転化する。(軍隊という)機械はいうことを聞かなくなり、軍国主義はそれ自身の発展の弁証法によって滅亡する。()内筆者注。」 普仏戦争は、小銃が前装式から後装式へと展開してライフリングによって射程が伸びるといった飛躍的に向上していく軍事革命の最中に勃発した。歩兵の戦闘形態を一変させた。 こうした軍事革命による戦争遂行能力は経済力に依存しており、軍拡は国家間の凌ぎ合いの様相を呈し、戦争と敗戦によって政治体制が入れ替わるという事変もおこった。普仏戦争の勝利により、プロイセン側でドイツ帝国の成立が宣言される一方、フランスでは第二帝政は崩壊して第三共和政が発足した。このとき、パリ防衛のためモンマルトルの丘に設置された大砲の撤去に抵抗する民衆と国民衛兵によって政府軍の司令官が殺され、事態を受けてティエール政権はヴェルサイユに移転、混乱のなかでパリではパリ・コミューン革命が宣言され、短期間ながらも人民による革命政権が樹立された。エンゲルスが生きた時代にはすでに軍国主義の崩壊と軍事訓練を受けた労働大衆による政権奪取は現実的のものになっていた。 ファイル:Buque de Torre Huascar.jpg エンゲルスの時代の装甲艦甲鉄艦。19世紀中葉ペルー海軍時代のワスカルを描いた絵画 エンゲルスの死後に勃発した第一次世界大戦は20世紀型大戦争の形態を決定する歴史の画期点となった。 第一次世界大戦では鉄道輸送による歩兵の大量投入が実施され、両軍100万単位の兵員がフランスの北部から東部に至る長くそして幅数キロに過ぎない局地的前線で相見えた。こうした塹壕戦という戦争形態の変容に加えて、この戦争では総力戦体制の確立という社会変革をともなった。 第一次世界大戦中、ロシア帝国では第一次世界大戦における大量の戦死者の発生と労働大衆の疲弊から国民の不満が高まり、ネフスキー大通りで集会する市民を政府軍が殺傷したのを機に反乱兵が蜂起して二月革命が勃発、その後レーニン率いるボルシェビキによる政権奪取十月革命を経て社会主義国家ソ連が成立を見た。ドイツ帝国も同様にキール軍港での水兵の反乱に端を発して革命が勃発し、帝政の崩壊とドイツ共和国の樹立が宣言され、停戦協定とヴェルサイユ条約によって第一次世界大戦は終結した。エンゲルスが主張するように、軍国主義はそれ自体に崩壊の契機と人民による暴力革命の種を内在させていると言える。 現代の陸軍では、徴兵制によって組織された歩兵の大兵力による軍隊ではなく、専門的に訓練された少数の職業軍人からなる兵員で構成されている。現代の兵士は通信装置を持ち、人工衛星GPS情報から地形情報を入手して索敵を行い、ドローンや電子機器といった機械を使用するなど装備も兵器も高度に機械化されている。また、戦車や装甲車に乗車して機動的に展開し、敵を短期に撃破する形態へと移行しており、戦争形態も社会と技術とともに進化を続けている。 軍国主義の栄枯盛衰の最たる事例は、大艦巨砲主義の歩みと挫折に端的に表れている。大艦巨砲は工業力の発展とともに形成される。視点を陸から海へと移しても軍国主義は工業の発達に依存し、その発展の極致で崩壊を開始する弁証法的過程を辿っていくことが指摘された。 「クリミア戦争時の戦艦は六〇門ないし一〇〇門のカノン砲をもつ木造の二層甲板艦と三層甲板艦であり、まだ主として帆で動かされ、単に補助的なものとして弱い蒸気力を備えていたにすぎない。……。この戦争のおわり頃には装甲された浮き砲台が出現した。これは…当時の大砲では歯が立たない怪物であった。まもなく装甲は戦艦にも転用された。……つぎつぎに使用されていった装甲の厚みに対しては、いつも新たな、もっと重い大砲が出現して、それをたやすく射抜いた。今日すでに……巨大な、装甲されたスクリュー推進式蒸気船であり、旋回砲塔と四門ないしせいぜい六門の重砲をそなえ、艦首は吃水線下では敵艦を突き沈める衝角となっている。……。近代の戦艦は近代工業の産物であるばかりでなく、同時にその一つの見本であり、一つの浮き工場―主としてもちろん貨幣の浪費を生み出すものではあるが―でもある。……。装甲艦はイギリスで建造されている。……。もっとも重い大砲を供給することのできる三つの鉄工所のうち、二つ(ウリッジとエルリッジ)はイギリスにあり、第三のもの(クルップ)はドイツにある。デューリング氏によると「経済状態の決定的原因」であるところの「直接的な政治的暴力」が、むしろ反対に、まったく経済状態に隷属していること、海上での暴力の道具としての戦艦の建造ばかりでなく、またその操縦までも、それ自身近代大工業の一部門となっていることが、ここで手に取れるように示されている。……。 国家にとってはいまや一隻の軍艦に昔の一小艦隊全部と同じくらい費用がかかるし、国家はこの高価な軍艦が、まだ進水していないうちに、もう時代遅れになり、従って価値を失うことを黙って見ていなければならない。……。装甲と大砲との間のこうした競争で戦艦が人工の極地にまで完成され、それがために法外に高価になるとともに、また戦争の役に立たなくなることが分かっても、軍国主義もそれ自身の発展の帰結によって滅亡する、あの内的な弁証法的運動法則を…海戦の領域でも明らかに示していることが分かっても、腹を立てる理由はないのである。」 帝国主義的な海軍力の軍拡競争は、必然的に射程距離の長い巨砲を積み、巨大な積載量に耐えられ、スクリュー式で高速推力を出せて、鋼鉄装甲で覆われた大艦の建造競争へと発展していく。しかし、兵器開発の弁証法的過程で、この建艦競争は同時に大艦を撃破できるような対抗兵器の開発にも道を開くことになり、最終的に大艦の時代の終焉をもたらすことになる。エンゲルスの時代、大砲だけでなく船底を破壊して浸水により沈没させる魚雷の開発が進展しており、巨大戦艦の時代は終わりが見え始めていた。大艦は隔壁による遮蔽で浸水は一時的にしのげるが、第二次世界大戦でレーダー探知と戦闘機の時代がくると戦艦武蔵や戦艦大和のような巨大戦艦の対空防御力は期待外れだったため、大日本帝国とともに歴史から姿を消した。 そして、現代、航空母艦と巡洋艦の艦隊による制海権確立の時代が到来する。しかし、戦闘機の戦闘力向上とともに機体価格が上昇して配備数が減少すると、ソ連によるミサイル戦闘艦の開発が進展してソ連の制海力が向上していく。米ソ冷戦の軍拡競争によって、戦艦はイージス艦の開発やミサイル防衛、航空機や戦闘艦のステルス化によって軍拡の新時代へと移行している。 エンゲルスはデューリングの抽象的な暴力論を社会・経済の歴史的変遷の視点に立って反駁した。エンゲルスは、戦争という暴力形態を政治的意思決定の産物というよりも工業技術の水準や武器生産などの経済・社会的要因に影響を受けて発達を遂げていくものと指摘するとともに、やがて軍国主義を形成して大戦争とその敗北によって人民革命が起こり、技術進歩をともなう社会変動が展開して戦争形態そのものが革新されるという見解を提示した。
※この「軍国主義の盛衰」の解説は、「反デューリング論」の解説の一部です。
「軍国主義の盛衰」を含む「反デューリング論」の記事については、「反デューリング論」の概要を参照ください。
- 軍国主義の盛衰のページへのリンク