軍隊と艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:36 UTC 版)
1366年の初頭にアメデーオ6世は、サヴォイアにて自軍を召集した。軍の半数以上がサヴォイア家に仕える代々の封臣 (vassal) であり、 その家系のほとんどが伯国を代表するものであった。アメデーオ6世の異母兄弟であるオッジェーロ (en) 、同じく異母兄弟であるウンベルト (en) の息子で甥にあたるウンベルトも加わった。ピエモンテ領主ジャコモ(イタリア語版)の弟であるアイモーネとアントニオという名のアメデーオ6世の2人の庶子も加わった。十字軍の中にはイングランドの騎士であるリチャード・ミュサルド、アメデーオ6世の従兄弟であるギヨーム・ド・グランソン、ジュネーヴ伯(フランス語版)アメデ3世(フランス語版)(自身は病気のため誓約を果たせず)の後継者であるエイモン3世(フランス語版)、ルイ・ド・ボージュー、アントワーヌ・ド・ボージューの代理であるアロワニェ卿がいた。この時点までに十字軍はヴェネツィアに到着しており、ガスパール・ド・モンマユール元帥の監督のもとで3つの軍団 (en) に組織化された。第一軍はアメデーオ6世、ガスパール、エマール・ド・クレルモン、ギーとジャン・ド・ヴィエンヌの兄弟が指揮し、第二軍はエティエンヌ・ド・ラ・ボーム、バセット卿、サンタモール卿が指揮し、最大の兵力を誇る第三軍通称「大軍団」はギヨーム・ド・グランソン、アンテルム・ドゥティエーレ、フロリモン・ド・レパール及び伯爵の関係者が指揮した 。 アレクサンドリア十字軍がイスラム諸国との商業関係に損害を与える事態を見たヴェネツィア共和国は、この十字軍計画への参加あるいは彼らに対する東方行きの物質輸送の供給をためらう姿勢を取った。1365年春にウルバヌス6世によって発せられた手紙は、ヴェネツィアを納得させるには至らなかったが、アメデーオ6世の使者はアメデーオが要求した5艘のガレー船と2艘のフステ(英語版)のうち、2艘のガレー船の約束を取り付けた。十字軍の立案者であるウルバンは、ジェノヴァ及びマルセイユと交渉して船を確保したものの、神聖ローマ皇帝カール4世から得た東方遠征の物質輸送の約束は履行されることはなかった。自由共同体から多数の商人が十字軍に参加してトゥールニュにてアルノー・ド・セルヴォールのもとに結集はしたものの、1366年5月26日に彼がマコン付近にて暗殺されるや、遠征に参加するのを止めた。
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