軍隊と部落民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:24 UTC 版)
部落民にとって兵役の負担は一般社会に比してさらに一層の重税であった。それにも関わらず、部落出身者の国民男子は大日本帝国陸軍及び大日本帝国海軍への兵役中においてあらゆる侮辱を忍び、成績が良好であっても進級することは甚だ困難であった。すでに入営の際に部落出身者という旨を記入し、劣等扱いをした。軍隊内の凌辱に堪えきれず自ら銃台をもって頭を打ち割った兵士や、脱営して古沼に投じた兵士がいた。群馬県の一部の村では、入営のとき次のような出来事があった。 その村から帝国軍人として徴兵された十幾人のうちに部落の青年が二人あった。十二月の入営期がきて、部落出身以外の壮丁は、在郷軍人からも町民からも送別の歓待至れり尽くせりで、在郷軍人会からは軍服を貸し渡した。ところが部落の両青年にはそれを貸してくれなかった。仕方なく一人は新調して間に合わせたが、もう一人は貧しかったため、ようやくにして一着の古いぼろぼろの軍服を町の軍人会に哀訴(あいそ)嘆願して借りた。軍人会は「穢多の奴(やつ)に貸す服はない。奴らにはこれでたくさんだ。」と述べたという。
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