軍隊と越中褌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 00:19 UTC 版)
特に、軍隊で支給された下着(官給品)であったことで全国に普及する下着となった。十代の少年が入校する陸軍幼年学校(13歳)や海軍兵学校(17歳)でさえ、入校したら、「娑婆っ気」を抜く目的で、下着を含めて一切の私物は自宅に送り返すように指導し、入校者に下着として白い越中褌を支給した。軍隊組織において、制服を始めとして、下着まで統一することで個性を否定して規律を維持する必要があったからである(現在でも軍隊では下着まで統一している国が多い)。 明治政府が徴兵制度を導入したのは、義務教育と並び、国民の生活様式や言語を標準化させて富国強兵策を遂行する目的を担っていた。越中褌は六尺褌と比較して着脱が容易で生地も少ない経済性が官給品として軍隊で採用されたものと推測される。 戦前までは徴兵検査を受けることで「成人男子に達した証」と社会的に認知されるようになっており、徴兵検査(陸軍身体検査規則)で褌の着用を指導していたことも、疑似「褌祝」として成人男子に越中褌が普及した背景があった。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号に 陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス と記述され、徴兵検査受験者に褌の着用を指導していた。 なお、海軍艦艇においては、褌をそのまま海へ廃棄することは厳禁されており、必ず焼却することが義務付けられていた。日本独特の下着であるうえ褌はなかなか沈まず、日本海軍艦艇が付近を行動していることを暴露してしまうからである。
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