軍隊と娼婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:29 UTC 版)
16世紀にはスペイン軍がオランダ侵攻した際に売春婦が1200人随行したとされ、またドイツで1598年に刊行された軍事教科書では随行売春婦の役割について論じられている。 十字軍の遠征にも売春婦が同行していた。売春婦部隊が存在したとする者もいる。 元来李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露したり、性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性(「婢」)を意味していた妓生は、国境守備将兵の慰安婦としても活用され、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族が出没する白頭山付近の「邑」に派遣された。朝鮮の妓生は、甲午改革で法的には廃止されたが、後に民間の私娼宿(「キーセンハウス」など)の呼称として残存し、現在に至る。 日本にも古くから御陣女郎がいた:91。 ジョージ・ヒックスは、ローマ帝国は捕虜女性を性奴隷とし「日本軍と同様の慰安制度」を採用していたと主張している。 軍隊の利用を目的に設置された売春宿については、「軍用売春宿」参照。
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