軍国主義との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:31 UTC 版)
戦後の建築評論家たちによって帝冠様式=ファシズム論はまるで定説のようにされてきた。しかし、造形統制の欠如は第三帝国様式を推進したドイツと比べれば明かで、統制は建設資材の制限に限られていた。建築意匠に対する指導としてあげられるのは防空迷彩ぐらいで、ビルに瓦屋根を載せろと指導されたことは一度も無い。日本の建築家たちは造形統制がないことに劣等感を抱き、むしろドイツ・イタリアのように造形統制を行うべきだと考えていた。 同じ事は軍関係の建築に限っても当てはまる。軍においてすらビルに瓦屋根をかけて国粋主義精神の鼓舞を計ろうとする統制はなかった。1920年代後半から建てられた軍の建築で、伝統的な日本趣味を取り入れた例は遊就館(1931年)や軍人会館など一部に限られる。 およそ洋式建築が似つかわしくない大坂城本丸という空間に建設された旧・第四師団司令部庁舎(1931年)に至っては、大坂城天守の再建工事と同時進行で建設され、当時の本丸には和歌山城二の丸御殿を移築した「紀州御殿」もあったため、出資者である大阪市から日本趣味を取り入れるようにとの要請があったにもかかわらず、第四師団経理部はこれを拒否して中世イギリスの城郭を模したロマネスク様式のデザインを採用している。当時の大坂城は外濠内の二の丸・西の丸から外郭にかけて、陸軍の煉瓦建築を主とする洋式建築群で埋めつくされており、陸軍はそれら洋式建築群との調和を内濠内の本丸においてさえも優先し、紀州御殿や大坂城天守との調和は一顧だにしなかった。また、大坂城京橋口に近接する大阪軍人会館(1937年)もモダニズムのデザインを採用している。 このように軍は建築意匠について統一的な意思を持っていなかった。 遊就館 大坂城天守(左)とロマネスク建築の第四師団司令部庁舎(右)
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