魚雷の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 20:25 UTC 版)
「蒸気船時代の海戦戦術」の記事における「魚雷の開発」の解説
19世紀の末に魚雷が開発され、戦術に新たな不確実性要素が加わった。魚雷は水中を一定の深度で動く水雷であり、特定の目標に向けて発射でき、目視し難いものであり、水面下で爆発する。その動きが予測し難い全く新しい発明であった。魚雷単独では海戦における決定的な武器にはなり得ないのではないかという疑問が呈されたが、その能力が発揮されたときには大きな効果を生み出すことは疑いえなかった。小さな舟艇が大きな戦艦を魚雷で破壊できることから、フランスでは、前者(小さな舟艇)が後者(戦艦)を海上から駆逐するという説が最も説得力を持って支持を集めた。戦艦が、水雷艇や、それ自体が大きな水雷艇とも言える水雷艇駆逐艦にその座を明け渡すというのである。 しかし魚雷には制約があった。2,000ヤード(1,830 m、およそ1海里)以上の距離では有効に使用できないのである。水の抵抗により進路が不確実になり、速度も落ちるため、動いている敵艦は回避が可能である。水雷艇は艦砲によって簡単に沈められてしまう。夜には砲の危険性は減ずるが、探照灯の発明により夜中でも艦の周囲の水域を監視できるようになった。魚雷はのちに潜水艦の主たる兵装となった。これは水面下から攻撃ができ、その武器である魚雷と同様、目視し難いという利点があった。
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