平塚らいてう 著書

平塚らいてう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 08:24 UTC 版)

著書

単著

  • 『円窓より』東雲堂書店、1913年5月。 
    • 『円窓より』(復刻版)不二出版〈叢書『青鞜』の女たち 第1巻〉、1985年11月。 
    • 『円窓より』(複製版)大空社〈叢書女性論 8〉、1995年6月。ISBN 9784756800176 
  • 『扃ある窓にて』東雲堂、1913年6月。NDLJP:911678 
  • 『現代と婦人の生活』日月社〈反響叢書 第2編〉、1914年11月。NDLJP:913472 
  • 『らいてう第三文集 現代の男女へ』南北社、1917年12月。NDLJP:908624 
  • 『婦人と子供の権利』天佑社、1919年12月。 
    • 上笙一郎 編『婦人と子供の権利』山崎朋子解説、久山社〈日本「子どもの権利」叢書 9〉、1995年10月。ISBN 9784906563166 
  • 『女性の言葉』教文社、1926年9月。NDLJP:1018755 
  • 『らいてう随筆集 雲・草・人』小山書店、1933年7月。 
  • 『母の言葉』刀江書院〈子供の研究と教育叢書 7〉、1937年2月。 
  • 『わたくしの歩いた道』新評論社、1955年3月。 
  • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 上、大月書店、1971年8月。 
  • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 下、大月書店、1971年9月。 
  • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 続(戦後篇)、大月書店、1972年10月。 
  • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 完、大月書店、1973年11月。 
    • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 1巻、大月書店〈国民文庫〉、1992年3月。ISBN 9784272888115 
    • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 2巻、大月書店〈国民文庫〉、1992年3月。ISBN 9784272888122 
    • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 3巻、大月書店〈国民文庫〉、1992年3月。ISBN 9784272888139 
    • 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝』 4巻、大月書店〈国民文庫〉、1992年3月。ISBN 9784272888146 
  • 『むしろ女人の性を礼拝せよ 平塚らいてう新性道徳論集』人文書院、1977年7月。 
  • 岩見照代編・解説 編『平塚らいてう』日本図書センター〈作家の自伝 8〉、1994年10月。ISBN 9784820580096 
  • 米田佐代子 編『金いろの自画像 平塚らいてうことばの花束』大月書店、2005年5月。ISBN 9784272350193 

共著

  • 平塚らいてう、平塚曙生『母子随筆』桃季書院、1948年3月。 

監修

  • 『われら母なれば 平和を祈る母たちの手記』平塚らいてう・櫛田ふき監修、青銅社、1951年12月。 

翻訳

作品集

著作集

  • 『青鞜』大月書店〈平塚らいてう著作集 1〉、1983年6月。ISBN 9784272300914 
収録:幽愁, 元始、女性は太陽であった―『青鞜』発刊に際して, 花芙蓉, ヘッダについて, 編集後の雑感想(『青鞜』第3号の編集後記), 高原の秋, ノラさんに, 円窓より, 四月の評論二、三, 読んだ「マグダ」, 田中王堂氏の『哲人主義』, 円窓より, 女としての樋口一葉女史, 靄の帯, 『恋愛と結婚』(エレン・ケイ著)連載にあたって, 一年間, 世の婦人たちへ, 民衆と政府と新しきものと, 赤城よりN氏に, 「動揺」に現われた野枝さん, 新しい女, 諸名士のいわゆる「婦人問題」について, わがまなこ, ヴィヴィとその母の生活, 編集室より, 独立するについて両親に, 荒木郁子氏の『火の娘』を読んで, 書籍紹介と批評『性的特徴』(ハベロック・エリス著、小倉清三郎氏訳), 『女性間の同性恋愛』(エリス著、野母訳)の序言, 西川文子氏の『婦人解放論』を評す, 小感二、三, 田村俊子氏の「炮烙の刑」の竜子について, 婦人の生活を重んじない社会, 旅の七日間, 森田草平氏に, 最近の感想, 『青鞜』第三周年における雑感, 御宿より, 談話に代えて『生活』記者に, いわゆる職業婦人について, 田村俊子さん, エレン・ケイ女史, 我国における婦人問題の世界的地位
  • 『母性の主張について』大月書店〈平塚らいてう著作集 2〉、1983年8月。ISBN 9784272300921 
収録:『青鞜』と私―『青鞜』を野枝さんにお譲りするについて, 小倉清三郎氏に―「性的生活と婦人問題」を読んで, 個人としての生活と性としての生活との間の争闘について, 処女の真価, 峠, 明治末年より大正初頭の我が婦人問題, 『愛の争闘』に現われたる両性問題, 南湖より(1), 母となりて, 母性の主張について, 現代の女学校教育に対する女学生としての不平, 南湖より(2), 南湖より(3), 南湖より(4), 差別的性道徳について, 厄年, 産児数制限の問題, 私の知っている神近市子さん, いわゆる自由恋愛とその制限, 今日の政局に対して, 母としての一年間, 青年男女の交際について, 矢島楫子氏と婦人矯風会の事業を論ず, 伊藤野枝さんの歩かれた道, 避妊の可否を論ず, 売笑婦問題について, 井上哲次郎氏の良夫賢父を難ず, 母性保護の主張は依頼主義にあらず, 嘉悦孝子女史の愚言, いま一度母性保護問題について与謝野晶子氏に寄す, 老死, 「死とその前後」を見て、他
  • 『社会改造に対する婦人の使命』大月書店〈平塚らいてう著作集 3〉、1983年10月。ISBN 9784272300938 
収録:婦人再婚論, 結婚の道徳的基礎, 婦人労働問題と種族問題, 現代家庭婦人の悩み, 戦後の婦人問題―婦人労働問題と種族問題, 永遠に夢の世界へ, 「例の会」のことと「燕」という名の起り, 我が国の婦人参政権問題について, 女工国日本, 我が国における女工問題, 名古屋地方の女工生活, 我が現行法上の婦人, 流行に対する婦人の覚悟, 男女同一賃銀の要求について, 婦人の団結を望む―関西婦人会連合会において, 卑劣なる男子の態度, 新婦人協会の議会運動について与謝野晶子氏にお答えいたします, 婦人自身にかえれ, 『女性同盟』創刊号宣言, 社会改造に対する婦人の使命―『女性同盟』創刊の辞に代えて, 花柳病男子結婚制限法制定に関する請願運動, 花柳病と善種学的結婚制限法, 北陸より関西へ, 治安警察法第五条の修正と花柳病男子の結婚制限, 婦人労働問題に対する一つの立場, 議会運動について, 婦人の時代がきました―大阪覚醒婦人大会において, 波紋(感想), 第1回総会に際し過去一年半を回想して, 軍備縮小問題―ハーディング氏の提議について, 柳原燁子さん, 川村警保局長の言葉, 女として生活するうえにおいて我が現行法に対して感じたこと, 離婚しえない悩み, 治警五条修正案通過祝賀演説会に寄せて, 家庭改造の根本義, 新婦人協会の回顧, 明るい色よりも暗い色, 震災雑記―子らへ, 都市経営に繋る女性の分け前, 自然女伊藤野枝さん, 新帝都のために, いわゆる恋愛の三角関係についての考察
  • 『むしろ性を礼拝せよ』大月書店〈平塚らいてう著作集 4〉、1983年12月。ISBN 9784272300945 
収録:この社会悪の怖ろしさを知れ, 我が婦人参政権運動の将来, 母としてのわたくしの生活, ひと昔前の婦人界, むしろ性を礼拝せよ, 生命から見はなされつつある現代の女性, ある母の手紙―富本一枝さんに, 春窓雑筆, 佐久山に住みて, 参禅していたころ, エミール・ルカの『エロス』を読みて, 青春期の危機に心せよ―大磯心中事件について, 三宅やす子さん, おのれと語る, 市川房枝さんのこと, ある女流教育家の言葉, ある日の子供, 家庭の仕事を職業とみる, 春が来た, 竹林, 栗の花, 野の花, 童心, 長髪について, ある日の子供, 夕やけ空, ある日の子供, 烏山より, 烏山より, 百舌の声, 烏山より, 田中芳子さんの近業, 山川菊栄さん, 小さき生命, 断想, 奥むめおさんのこと, 深草の里, わだちの音(1), 虐げられたる現代の母性, ただひとりを, 千駄ヶ谷に住みて, あの時分の人たち, タゴールの婦人論を読みて, なぜ女性作家が活躍しないか, 農村婦人の生活と健康, 私が大きくなったら, 心の置き方, 麦の芽, 母性の萌芽, うれしい雨, 子供を成城小学校に入れたことについて, 烏山より, 烏山より, 妻の俸給, 三宅やす子氏の創作の中の女性について, 子供に見せたい映画, ある日の日記, わたくしたちの貧乏について, エレン・ケイ女史の死, 高群逸枝さん, 高群逸枝さんの『恋愛創生』を読む, ひとりいて, 蛙なく, 土に座して, 娘のころのおもいで, 母の感謝, わたくしの断髪, 婦選のこと, 職業婦人連盟について, 父兄の一人として―高等女学校設置問題についての私見, 女の立場から生田長江氏の婦人非解放論を評す, 砧村に建てた私たちの家, わだちの音(2), 無産政党と婦選運動, 無産政党と無産婦人団体, 転換期に立てる日本の婦人参政権運動, モダンガールについて, わが子の性教育について, かくあるべきモダンガール, 青鞜社のこと, 子らの夏やすみ, 学校生活を卒えたお嬢さんたちへ, 母性愛の主唱, 世界の女性―エレン・ケイ, 女子教育における母性主義について, 青鞜社はどんな役目をしたでしょう, 新婦人団体への待望, 政治的進出時代, 分裂前の自我, 海のおもいで, 砧村に住みて, 靴下つくろい, 男女の共学, 映画に対する母の態度, 女高師問題について文部当局へ, 夫に従うべきか親に従うべきか
  • 『婦人戦線に参加して』大月書店〈平塚らいてう著作集 5〉、1984年2月。ISBN 9784272300952 
収録:現代の教育, 相続法改正案について、その他, 婦選運動者へ―全婦人団体よ、婦選をその綱領に掲げたる無産政党を応援せよ, 二十五年前のわたくし, 児童映画の問題と入学制度の問題, 婦人雑誌の悪傾向について, 知識婦人についての考察, 婦選運動をいかに導くべきか, 政友会の婦選案に対する全国婦人同盟の声明批評, 汎太平洋婦人会議と日支問題, 二業地許可問題, 対支問題と婦人界, 砧村より, 中学制度改善案に対する私見, 傍聴雑感, 救護法・母子保護法・その他, 親ごころ、子ごころ, 母性愛が要求する産児制限, バーナード・ショウの社会主義解説, 最近雑感二、三, 新性道徳のカオス, 恋愛殉死論, 寺内綾子さんの殉死, 婦人の緊縮運動, 婦選時代の日本婦人, ある日の対話, 小学校時代のおもいで一つ, 婦人戦線に参加して, かえりみて, 三十年前の私, 明治から大正へ、女流雄弁界の動き, 一、二の反動女性, 砧村雑草, 麻雀狂時代, むしろ母子保護法を制定せよ, 儲けない商売―消費組合について, 母性にそそぐ涙, 本能としての協同心の発展, 中産家庭婦人と消費組合運動, 制服について, 子らの疑問, 不死について, 明日の女性に要求される一つの資格, わたくしの見た教育的生活環境としての自由学園, 世帯疲れに窶れた妻に代わりて, 育児社会化の思想を再吟味せよ, 協同組合組織による病院の設立, 産児調節相談所, ラジオと婦人の生活, 中年婦人と健康, 近く母となる若き友へ, 上方の女, 修禅について, 男性の旧い感情, 二百号記念を迎えて創刊当時の思い出を語る, ミセス羽仁の『みどりごの心』を読む, 銀座商店街のデパート身売り, 母よ手をとれ、悲嘆の嵐の中で―村々に医療組合を持とう, 消費組合と婦人の位置, 娘に恋を打ち明けられた時, 娘の結婚について, 青年辻潤氏, 死ということ, 祖先を語る, ニュースの中から問題を拾って―女共産党員への抗議, ニュースの中から問題を拾って―百貨店女店員の採用条件, ニュースの中から問題を拾って―弱かった二令嬢 「箱入娘」の多いことよ, ニュースの中から問題を拾って―市政浄化と女性, 女性共産党員とその性の利用, 結婚する娘に, 朝と夜の心の調整, 竜胆の花を買う, 友達の遺書, 今井邦子さんの『茜草』を読む, 女性と読書, 憶い出の中の鳥たち, 本議会に何を期待するか, むしろよろこばしき結婚解消, 片多徳郎氏のこと, 欲望の解放から統制へ, 心のゴミさらい, 第一歩を踏み誤った女, 三峰山へ
  • 『娘に母の遺産を語る』大月書店〈平塚らいてう著作集 6〉、1984年4月。ISBN 9784272300969 
収録:友松円諦氏をめぐる浄土問題について, 現実生活に処する道, 娘に母の娘時代を語る, 学校の暴力行為, またしても傾ける首, 顔がみたい優良国民, 列車内の飲酒, 非教育的な暴力の解決, 叱責よりも親ごころ, 武者小路実篤氏の『日本の偉れた人々』, わたくしの郷里, 公民教育の徹底, 子女の家出問題, 消費者―中央市場の紛争と消費組合問題, 母の務めを終えた寡婦の生き方, 軍人観, 公娼廃止, 残忍以上, 『婦人公論』二〇周年に際して女性への言葉, 窪川稲子さんへ―「怖ろしき矛盾」を読みて, 教員と恋愛, 今井邦子夫人の『和琴抄』を読む, 眼と力を内へ, 年齢を思う, 肉親の離反, 孤独か、再婚か, 怪我の功名, 嫁、姑、夫, 声のみでは帰れない, 結婚と離婚―中川善之助氏の新著『妻妾論』を読む, 教員は精神薄弱者か, まず万教和協せよ, 性に目覚めるころの思い出, 女性の感激, 砧村に住みて, 男性の恋愛観、女性観, 助からぬ消費者, 帰らぬ娘, 「母親」の反省, より広い視野があるはず, 最近の婦人雑誌を見て, 梅雨時の孟宗林, 職業婦人とお化粧, 「老いたる父」の問題, 共同炊事はいかが, 最初の記憶, 責任は父親に, 女の勝気, 青鞜時代, 母である歓び, 娘に母の遺産を語る, 『新生』の女主人公長谷川こま子さんについて, 「母子保護法」に寄す, 一つの解決策, 女の感想, われら何を成すべきか?, 少女とその母に贈る, たべもの, 娘の結婚式に臨みて, 雨の藤, 「坐ること」と「歩くこと」, 正七位お郁さん, 若き母たちへ―食養法について, お米の問題, Y夫人の夢, 民族優生保護法に関連して, 今議会と婦人, 最近の発見, 戦争と産児, 花菖蒲咲くころ, 目白の思い出, 混食について, 高群逸枝氏の『女性二千六百年史』, 美完元の雷鳥, 旅中雑記, 馬場孤蝶先生を偲びて, 新政治体制と婦人, 日記抄, 女子国民服への要望, 結婚・家庭・子供, 亡き父を偲びて, わが少女の日, 母娘の会話, 玄米食の体験を語る, 小貝川通信
  • 『私は永遠に失望しない』大月書店〈平塚らいてう著作集 7〉、1984年6月。ISBN 9784272300976 
収録:婦人代議士に, あなた自身を知れ, 学校を出たころのわたくし, 心の平和運動, わたくしの夢は実現したか, 陰陽の調和, 雷鳥の軸, 民族の未来のために, 「婦人の日」大会における表彰に答えて, このごろの婦人の傾向について, 昔の女学生と今の女学生, 平和のつばさ, 初対面の印象, 婦人の日を迎えて, 女流作家が世に出るまで, 非武装国日本女性の講和問題についての希望要項, 非武装の平和, 日本の母の立場, 朝鮮の動乱と私たち女性の覚悟, 憲法を守りぬこう, 世界平和への道, 婦人団体の国連研究, 窮極の平和を目ざして, 人類に一つ言葉を!, 婦選行使五周年を迎えて, 晶子先生とわたくし, 昭和婦人解放運動史―太平洋戦争に突入するまで, 高村光太郎と智恵子夫妻, 一つの世界の建設, 婦人少年局の廃止反対声明書(草案), 『われら母なれば』まえがき, 人類の平和への意志, 危機の新年に立つ, 非武装国日本女性より米国上院議員諸氏に訴える, 戦争放棄と日本の婦人, 働く女性への一九五二年の課題, 母こそ平和の力, 婦人の日を迎えて, わたくしたちの菜食主義, 真実を早く, 予備隊と婦人部隊, 高良さんをお迎えして, 平和を望む全女性に訴える, 左社中心のたたかい, 婦人の日、心に誓うこと, “婦人の世界大会”のよびかけに答える, 投票にのぞむ覚悟, 貴重な国際的センス, 天の下には成らぬものなし, 一つに結ぶ力, 平和へのみのり, 一九五四年の婦人運動の方向, 今年はたいへんな年, 近ごろおそろしいことの一つ, 収穫をめざして―一九五四年婦人の課題, あの日の感激のなかで―日本婦人大会を終えて, 吉田首相へ―年賀状に対するお返事を読んで, 国際婦人デーに思う, 平和大集会へのよびかけ, 一年の歩みをかえりみて, 女性と政治, 近所づきあい, 新中国の国慶節に招かれて, 婦人党内閣宣言, 世界によい政治を―文化の日に思う, 中華人民共和国のみなさんへ, 李徳全さんをお迎えして, 逗子の海岸, アンナ・コズローワさんへ, 洋装のおもいで, 日本母親大会おめでとう, 主婦解放論―石垣・福田両氏の婦人論をめぐって, 某月某日, 年頭の所感, 庶民のなかに生まれる力, 今年の婦人の課題, 日本婦人一〇年の歩みを語る, 砂川基地拡張に思う, 婦人参政の成果, “将来”を選ぶ重大な機会, 大山先生の思い出, 青鞜運動の背景, 魅力あるお人柄, 子どもの世紀, 今年こそ私の念願の達せられる年としなければならない, 良書のすすめ―平井潔著『愛と性』, ウィーン集会の成功を祈って, ことしこそ核実験停止を, 高村智恵子さんの印象, 若い婦人に期待する, 福田英子さんのおもいで, 好日抄, 食養に生きる, 昔は産制さえ罪悪, 清らかな強さ―猿橋勝子さん, 婦人運動五〇年をかえりみて, 火の女火の国に帰る―除幕式祝辞, 鴎外夫妻と『青鞜』, 鴎外先生について, 野卑な攻撃を見かねて, 世界の婦人の祈り, 奥村博史の裸婦素描について, 自我の確立へのたたかい, 最後の拠点は第九条―“日本をどう防衛するか”の質問にこたえて, 憲法を守りぬく覚悟, 「ベトナム話し合いの会」によせてひとこと, 働く人びととともに力づよい運動を―世界に高まるベトナム戦争反対の行動, 中立のあかし、朝鮮人の帰国協定, 人道的立場守れ―在日朝鮮人の帰国継続を, 心からの支持と協力を―ベトナム戦争を終わらせるための二つの国際会議, 北爆全面停止をむかえて, 折にふれて, 婦人のすべての票が安保廃棄の政党へ
  • 『写真・書簡・年譜・著作目録』大月書店〈平塚らいてう著作集 補巻〉、1984年11月。ISBN 9784272300983 
収録:写真集, 書簡集, 書簡集注解, 平塚らいてう年譜(小林登美枝), 平塚らいてう著作目録

評論集

  • 小林登美枝・米田佐代子 編『平塚らいてう評論集』岩波書店〈岩波文庫〉、1987年5月。ISBN 9784003317211 
収録:元始女性は太陽であった, 世の婦人たちに, 扃ある窓にて, 新しい女, 独立するについて両親に, 「個人」としての生活と「性」としての生活との間の争闘について(野枝さんに), 母性の主張について与謝野晶子氏に与う, 母としての一年間, 与謝野、嘉悦二氏へ, 母性保護問題について再び与謝野晶子氏に寄す, 婦人の労働問題と種族問題, 現代家庭婦人の悩み, 社会改造に対する婦人の使命, 軍備縮小問題, 家庭改造の根本義, 都市経営に繋る女性の分け前, 子供の教育のことなど(一枝さんに), 家庭の仕事を職業と見る, 子供を成城小学に入れたことについて, 土に座して, かくあるべきモダンガアル, 婦選運動者へ, 婦人戦線に参加して, 母の務めを終えた寡婦の生き方, 職業婦人とお化粧, わたくしの夢は実現したか, 「婦人の日」大会における表彰に答えて, 非武装国日本女性の講和問題についての希望要項, 人類に一つ言葉を!, 一つの世界の建設, わたくしたちの菜食主義, 主婦解放論, 庶民の中に生れる力, 子どもの世紀, 世界の婦人の祈り, 憲法を守りぬく覚悟

注釈

  1. ^ 「自然主義の高潮 紳士淑女の情死未遂 情夫は文学士、小説家 情婦は女子大学卒業生」と、当時、新聞各紙がスキャンダラスに報道した[6]
  2. ^ 父の方針転換は鹿鳴館時代終焉の時期と符合する。
  3. ^ 後日、森田草平はこの事件を元に小説「煤煙」を書いたため「煤煙事件」の名がある。
  4. ^ 『青鞜』は18世紀イギリスの女性サロンブルー・ストッキングen:Blue Stockings Society (England)にちなんだ名前である。
  5. ^ 日本女子大学校時代に明とテニス部で一緒で、ダブルスを組んでいた。
  6. ^ 雷鳥は高山に棲む鳥で「孤独の鳥」「冬山の鳥」とも呼ばれていた。塩原事件の事を意識して付けた筆名だと言われている。
  7. ^ ただし、らいてうは、鴎外「先生について思い出すことはエレン・ケイの紹介です。(先生はおそらくケイを日本に紹介された最初の方でしょう)それは、ほんの短いケイとその著書の紹介でしたけれど、これがわたしのケイに親しむ最初のきっかけとなり、(下略)」と書いていた。ちなみに1912年(大正元年)12月、石坂養平がケイを紹介する「自由離婚説」を『帝国文学』に発表すると、早速ケイの著作『恋愛と結婚』を購入し、ケイに傾倒して行った[8]
  8. ^ 下略した文章は「詩の領分の作品は無いらしいが、らいてうの名で青鞜に書いてゐる批評を見るに、男の批評家にはあの位明快な筆で哲学上の事を書く人が一人も無い。立脚点の奈何は別として、書いてゐる事は八面玲瓏である。男の批評家は哲学上の問題となると、誰も誰も猫に小判だ。」
  9. ^ らいてうは、鴎外の回想をいくつか書き残した。「たとえば、「青鞜」―ブリュウ・ストッキングという名は非常によかったと褒めていられたということが、まず誰からか伝えられたのでした。後日、「青鞜」は鴎外のつけた名だなどもっぱら伝えられたのは、あるいはこれが転化したものかもしれません。奥様の森しげ女さんが「青鞜」の賛助員でしたから、雑誌が毎号お手許に届いているからでもありましょうけれど、(中略)とにかく「青鞜」とともに先生に見守られているのだというような気持ちをある期間もっていたものでした。そしてこれらのことは漱石の婦人に対する態度、その無関心さと、無理解さと比べて何という違い方でしょう。」[9]。なお後述のとおり、「新婦人協会」の設立に関しても、鴎外に言及した。
  10. ^ 前者は、当時未成年の尾竹紅吉(おたけ・べによし、のちの富本一枝)がバー「メイゾン鴻之巣」に行き「青鞜」への広告出稿を依頼したところ、五色のカクテルを供された事件。後者は、らいてう、尾竹紅吉、中野初子の3人が、紅吉の叔父で画家の尾竹竹坡(おたけ・ちくは)に連れられて吉原の遊郭で花魁見物をした事件。
  11. ^ 奥村は病弱で、その直後に結核を発症している。
  12. ^ 1941年。(昭和16年)に長男の兵役を前にして軍隊内で私生児として不利益を被らないようにという考えから奥村家の籍に入っている。
  13. ^ 当時の制度では、父が認知して父の戸籍に入れれば「嫡出子」に次ぐ「庶子」として認められたが、母の戸籍に入れた場合はそれも認められなかった。
  14. ^ 1962年、らいてうは森鴎外の回想文で次のように書いた。「「新婦人協会」という婦人の組織つくりをはじめたとき、「青鞜」の場合と違い、こんどは男の方々にも賛助員をお願いすることにしましたが、そのときもちろん鴎外先生をその中に加えるのを忘れませんでした。で、協会の趣意書、綱領、規約の草案と先生宛のわたくしの手紙をもって、市川房枝さんに先生の団子坂の御宅に行ってもらいました。(中略)当時の市川さんはまだ無名の若い婦人でしたが、すぐお会い下さって、賛助員になることを承諾され、はげましの言葉を下さった上に、ご自分で硯を持ってきて、朱墨をすり、趣意書から規約まで詳細にお目を通して、それにこまかく朱筆を加えて下さるのでした。これには市川さんも少し驚きもし、また大いに勇気づけられもしたようでした。なぜなら、同じことで市川さんが訪問した有名婦人の中には賛成はおろか、らいてうは不道徳な女で、社会的信用がゼロだから、そんな女が計画しても成功する筈がない。あなたもおやめなさいなど逆説法されたりして、わたくしをまだ深く知らなかった市川さんはいささか心の動揺をしていた時でしたから。」[13]
  15. ^ このページによると、イギリスの菜食主義の指導者。

出典

  1. ^ 「いま敗戦の苦汁とともに、わたくしたち女性の掌上に、参政権が突如として向こうから落ちてきた。まったく他力的に。連合国軍の占領政策の遂行、なんという運命の皮肉だろう。久しく求めてえられなかったものがあたえられたよろこびを、すなおに、朗らかによろこびきれないものが胸にいっぱいつかえていた。」
    岩波文庫 「平塚らいてう評論集」pp.259-276「わたくしの夢は実現したか」(『女性改造』1948年10月号より転載)のp.262より。
  2. ^ a b 女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう
  3. ^ 青鞜(第一巻一號)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2024年2月4日閲覧。 本文は『元始、女性は實に太陽であった』で始まる。
  4. ^ 平塚の卒業100年を記念して創設された賞『平塚らいてう賞 - 学校法人 日本女子大学』参照
  5. ^ 「平塚明子(らいてう)」 長谷川時雨[1]
  6. ^ [2]
  7. ^ a b c d e f 元祖「#わきまえない女」、その意外な素顔とは 平塚らいてう没後半世紀、遺族が日記公開(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2021年10月18日閲覧。
  8. ^ 金子(1992)、p.316。
  9. ^ 「鴎外先生について」『文学散歩』1962年10月。8月26日執筆と明記。
  10. ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p.384 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  11. ^ a b c 平塚らいてうとはどんな人?大正時代に事実婚を選択した、時代の先端を行く女性の人生を紹介 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン”. 和樂web 日本文化の入り口マガジン. 2022年1月14日閲覧。
  12. ^ 『平塚らいてう著作集2 母性の主張について』大月書店、1983年8月
  13. ^ 金子(1992)、p.322。
  14. ^ 堀場清子『青鞜の時代』岩波書店、1988年
  15. ^ プロフィール | 日本婦人団体連合会(婦団連)
  16. ^ 新婦人の紹介”. 新日本婦人の会. 2024年2月22日閲覧。
  17. ^ 『全国組織婦人団体名簿』 1981, pp. 10–11.
  18. ^ 奥村博史 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年10月18日閲覧。
  19. ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)p.195
  20. ^ 元祖「#わきまえない女」、その意外な素顔とは 平塚らいてう没後半世紀、遺族が日記公開(47NEWS)”. Yahoo!ニュース. 2021年10月18日閲覧。
  21. ^ 「わたくしたちの菜食主義」『平塚らいてう評論集』岩波文庫
  22. ^ a b c d e f g 影山昇「平塚らいてうと奥村博史 : 愛の共同生活と成城教育」『成城文藝』第174巻、成城大学文芸学部、2001年3月、104-59頁、ISSN 0286-5718CRID 1050282677573499136 
  23. ^ a b 奥村博史 おくむら ひろしコトバンク
  24. ^ 母の死築添美可、平塚らいてうを記念する会ニュース、1993
  25. ^ 山川宏「奥村 敦史 名誉教授のご逝去を悼んで」(PDF)『WME ニュースレター』第43号、早稲田機友会編集事務局、2015年10月、p.6、2019年7月11日閲覧 
  26. ^ 1/21 『平塚らいてう 孫が語る素顔』の著者 奥村直史さんを囲んで | 片山かおるといっしょにかえる小金井の会”. 2022年1月14日閲覧。
  27. ^ 『青踏』創刊100周年記念講演会 静岡女性史研究会創立35周年「平塚らいてう-孫が語る素顔」静岡県男女共同参画センター「あざれあ」、2012年3月24日






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