大下藤次郎とは? わかりやすく解説

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大下藤次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/15 00:06 UTC 版)

大下 藤次郎(おおした とうじろう、明治3年7月9日1870年8月5日) - 明治44年(1911年10月10日)は、明治時代の日本の水彩画家。中丸精十郎原田直次郎に師事した[1]

略歴

  • 1870年 東京・本郷真砂町[2](現・文京区本郷)で、旅人宿・馬宿・馬車問屋を営む家に生まれる。
  • 19歳のころ、家業を手伝う傍ら美術界へ進むことを決意する。
  • 1892年 アルフレッド・パーソンズ、ジョン・ヴァーレー・ジュニア[3]らが来日して水彩画展を開き[4]、その絵に感銘をうけ、水彩画に興味を持つようになる。また、三宅克己と知り合う。
  • 1893年 父親が死亡する。この頃、原田直次郎について絵を学ぶ。
  • 1898年 半年ほど、オーストラリアへ旅行する。
  • 1901年 技法書の『水彩画之栞』[5]を刊行し、ベストセラーとなる。
  • 1903年 青梅に転居する。
  • 1905年 春鳥会(現・美術出版社)をおこし、美術雑誌『みづゑ』を刊行する。
  • 1907年 日本水彩画研究所を設立する。第一回文展に『穂高山の麓』[6]を出品。
  • 1909年 甲州・白峰山(南アルプス北岳)をめざした山旅に出る。この山旅から紀行文『白峰の麓』と水彩画「西山峠」(島根県立石見美術館所蔵)が生まれた。描かれた山は峠越えの際に見た悪沢岳(赤石山脈)である。
  • 1911年 瀬戸内などを旅した末、突然の病に倒れ、死去する。墓所は雑司ヶ谷霊園

著作

  • 『水彩画之栞』
  • 『白峰の麓』明治42年(1909年)11月
  • 『大下藤次郎紀行文集』近藤信行編、美術出版社、1986年
  • 『大下藤次郎美術論集』福田徳樹編、美術出版社、1988年
  • 『大下藤次郎の水彩画 島根県立石見美術館所蔵 作品集』
川西由里ほか編・解説、美術出版社、2008年。新版・美術出版エデュケーショナル、2018年
他に美術館で企画した「大下藤次郎展」図録が多くある。

作品

伝記研究

  • 土居次義『水彩画家 大下藤次郎』美術出版社、1981年
  • 『水絵の福音使者 大下藤次郎』美術出版社、2005年 - 「鑑賞編」「資料編」の2分冊
高階秀爾 評伝、原田光・川西由里 編・解説

参考文献

出典

  1. ^ 山岳風景画の世界”. 市立大町山岳博物館. p. 6. 2024年12月15日閲覧。
  2. ^ 大下藤次郎 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク
  3. ^ ジョン・ヴァーレーの孫
  4. ^ 三宅克己,『思い出づるまゝ』,p58
  5. ^ 水彩画之栞”. 近代デジタルライブラリー. 2013年6月26日閲覧。
  6. ^ 作品詳細-穂高山の麓”. 独立行政法人国立美術館. 2013年6月26日閲覧。

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