二木謙三とは? わかりやすく解説

二木謙三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/05 06:32 UTC 版)

二木謙三
生誕 樋口謙三
(1873-01-10) 1873年1月10日
日本 秋田県秋田市土手長町
死没 (1966-04-27) 1966年4月27日(93歳没)
日本 東京都港区白金台
肺炎
国籍 日本
研究分野 細菌学
研究機関 東京帝国大学
東京市立駒込病院
ドイツミュンヘン大学
日本医科大学
東京歯科医専
日本女子大学
日本伝染病学会
出身校 東京帝国大学
博士課程
指導教員
グルーバー教授
主な業績 赤痢菌駒込A菌、駒込B菌の分離
鼠咬症スピロヘータの発見
脾脱疽菌(炭疽菌)の免疫の解明
日本脳炎の診断法の確立
主な受賞歴 帝国学士院賞(1929年)
文化勲章(1955年)
補足
二木謙一(孫、歴史学者)
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

二木 謙三(ふたき けんぞう、1873年明治6年1月10日 - 1966年昭和41年4月27日)は、秋田県秋田市生まれの医学博士文化勲章受章者。北里柴三郎に比肩する世界的な細菌学者で、鼠咬症(そこうしょう)スピロヘータの発見、天然免疫学理の証明などの実績を遺した。また、玄米食の提唱、実践運動や教育者としても多くの功績がある。日本の医学界の重鎮であったと同時に、民間療法一般に理解があった。ノーベル生理学・医学賞の候補になったとも言われる[1]歴史学者國學院大學名誉教授、日本中世史(戦国史)が専門で有職故実研究の第一人者として知られる二木謙一の祖父。

生涯

友人の岡田道一らと日本心霊医学会を主宰したり、日本催眠学会 (田宮馨会長) の顧問、豊島岡女子学園中学校・高等学校第4代校長・理事長、勇退後は初代学園長、蓮沼門三によって結成された修養団の第3代団長を務めるなど多くの要職を兼ねた。

健康法

二木は秋田佐竹藩の藩医、樋口家の出身で、元の姓は樋口であった。8人兄弟の3番目に生まれた。3歳の頃、同じ秋田藩の藩医、二木家に養子縁組して、二木姓を名乗る。生まれた時には1年ももたないと言われる程の虚弱であった。20歳まで心身ともに数多くの病気に悩まされたが、徴兵検査のときに検査官から虚弱な病身を指摘され、軍隊の黒い麦飯を食えと一喝され、その翌日から麦飯食を始めた。これにより、虚弱な病身から開放された。このように二木は、藩医の家の生まれであること、そして、また、自らの深刻な病弱を日本の伝統的な食養生により救われたという原体験により西洋医学の道に進路をとり、そして、それと矛盾することなく東洋的な健康法の普及活動に志向した。

食事法としては玄米菜食による完全食は用いず、動物は少なくし、二分間煮で食べることを提唱していた。二木自身は48歳より、1日1食、玄米、塩なし、油なし、火食なし、動物不要の食事となった[3]

正心調息法の創始者である塩谷信男は二木の健康法を実践して病弱体質を克服した。二木は晩年も元気に活動し、亡くなる前には全国の弟子たちを電報で呼び集め、全員が揃ったところで「それじゃあ、君たち、最後の息をするから、さようなら」と言って世を去ったという[1]

食事

完全食
基本的には死んだものでなく生きた新鮮なものを、動物よりは植物を摂取することを推奨。中でも玄米は完全食であるという。
二分間煮
野菜を煮て食するに際しては、調理過程として、煮始めて沸騰し始めるが、沸騰時間は2分間として即加熱を停止し、蓋をしたまま5分~10分程してから食することをいう。
二分間煮とは沸騰二分間ということである。
適応食
年齢、性別、職業、季節、地勢などに応じて適切な食べ物を選択すべきであると説く。
  • 乳児 母乳、果汁、おかゆ
  • 1~6歳 玄米、野菜、豆、芋
  • 7~15-6歳 上記植物類に加えてえび、あさり等の小動物
  • 15-6歳から上は男女が分かれてくる
    • 男性 肉体労働を行う男性は食物欠乏のときは肉をとってもよい
    • 女性 大きな動物は食べないほうがよい
  • 40~60歳(初老) 男性でも大きな動物を食べるのはやめ、15歳以前の子供と同じく野菜類と小動物にする
  • 60~80歳(中老) 5歳以前の子供と同じく穀菜食にする
  • 80~(大老) ものをよく噛んで汁だけをしゃぶって食べる

二木式腹式呼吸法

胸と腹が一緒に出て一緒に引っ込んでゆく胸腹式呼吸法を推奨。肺の呼吸面をまんべんなく広くし、肺全体が自由に呼吸することになる。息を吸うときは腹が膨れるように硬くなるように吸い、あまりいきまないように少しとらえてから静かに吐き出す。胸の方から先に空気を出し、次に上腹にある空気が胸を通って外へ出るように、下腹には少し空気が残るように出す。

逸話

  • 二木家に養子縁組されてまもなく、母親のところへ帰りたいがために、魚屋の行商の後へついて10キロ以上に及ぶ道を一人で歩くという、小さい頃から非常に強固な意志の持ち主だったことを物語るエピソードがある。
  • 体が元来弱かったことは先述したが、大学進学後、本人が「俺は一切ものを忘れてしまった。分らないと言ったら分らない。何も分らなくなってしまった。」と語るほど、文字も読めなくなってしまうようなひどい神経衰弱を患ったが、持ち前の根性で回復。その経験が、ドイツ留学以降の偉業を生む下地となっている。
  • 元々謙虚な性格で、新型病原菌を発見しても、自分の名前を使用する事は一切考えなかった。コレラ竹内菌という名前も患者の名前を使用し、駒込A菌・B菌も実験道具で有名な駒込ピペットも勤めていた駒込病院から取ったものである。
  • 神道についても造詣が深く、古事記や祝詞の講義を行ったり明治期の神道家・川面凡児(かわつら ぼんじ)の確立した行法に基づき禊の練成会を行っていた。
  • 60代のとき、皇武館(合気会本部道場の前身)に入門し合気道開祖植芝盛平に師事した。早朝に道場を訪れ、寝ている内弟子を叩き起こしては投げ飛ばし、すぐに帰っていくのが常だったという。また上記の練成会の参加者にも合気道を紹介しており、その一人である阿部醒石はのちに植芝の弟子になった。

著書

  • 『コレラ予防注射講話』 国家医学会、1916年大正5年)。
  • 『食物と健康』 修養団出版部、1921年(大正10年)8月。
  • 身土不二』任天居、1929年(昭和4年)。
  • 『完全営養と玄米食』 1932年(昭和7年)。
  • 『古史読本:全』 1932年(昭和7年)2月。
  • 『二木博士論文集』高木逸麿、1933年(昭和8年)9月。
  • 『完全にして正しき食物』 大日本養正会《大日本養正会叢書1》1932年(昭和7年)10月
  • 『なぜ玄米でなければならぬか:栄養上経済上より見たる玄米白米等の比較優劣図表並に其の解説』大日本養正会《大日本養正会叢書2》、1934年(昭和9年)4月。
  • 『腹式呼吸と健康』 大日本養正会《大日本養正会叢書3》、1936年(昭和11年)12月。
  • 『栄養の適応と体質改善』 大日本養正会《大日本養正会叢書4》、1937年(昭和12年)9月。
  • 『米食の実際』 大日本養正会《大日本養正会叢書5》、1941年(昭和16年)。
  • 『国家経済と国民栄養図表解説』 大日本養正会《大日本養正会叢書6》、1940年(昭和15年)12月。
  • 『古事記神代篇の正しき解釈』 大日本養正会《大日本養正会特輯1》、1938年(昭和13年)7月。
  • 『二木博士講話集』大日本養正会《大日本養正会特輯2》、1939年(昭和14年)。
  • 『日本人種の起原新説・大和言葉の特性:日本人種日本国土生え抜論』大日本養正会《大日本養正会特輯3》、1939年(昭和14年)6月。
  • 『健康への道:完全正食の医学』 新紀元社、1942年(昭和17年)9月。
  • 『栄養の効率化』 大日本養正会。
  • 『目先の健康と本当の健康』前島会、1957年。
  • 『健康への道』致知出版社、2003年2月。ISBN 978-4884746438。(新紀元社からの初版は1942年(昭和17年))。
  • 『完全営養と玄米食』土曜社、2022年。
  • 『健康への道』土曜社、2023年。

脚注

  1. ^ a b 二木謙三 『健康への道』致知出版社、2003年2月。ISBN 978-4884746438。1頁
  2. ^ 秋田市の先人たち 二木謙三(秋田市)2024年12月21日閲覧。
  3. ^ 『新食養』1号(通巻95号)、5頁。

関連項目

外部リンク

先代
平沼騏一郎
修養団団長
第3代:1946年 - 1964年
次代
倉田主税




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二木謙三」の関連用語

二木謙三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二木謙三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの二木謙三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS