日清戦争後の国体論とは? わかりやすく解説

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日清戦争後の国体論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「日清戦争後の国体論」の解説

日本国内保守的国粋主義台頭しつつあるときに、日清戦争日本予想外大勝挙げ日本人自国実力認るうになると、日本のナショナリズム盛り上がり見せる。従来国粋保存といって漠然としたものであったが、日清戦争後国粋主義内容明瞭になるこのため、この時代自覚時代と呼ぶ者もいる。 日清戦争勝利治外法権撤廃などを背景に、欧米論理囚われない日本独自国体論が新たな形で登場する。すなわち、日本国民先祖同じくする一大家族喩え皇室国民本家位置付ける家族国家論流行し始める。 1897年明治29年9月穂積八束が『国民教育 憲法大意』を発行する。これは2年前に穂積八束井上毅指図受けて執筆した小冊子であり、日清戦争中に井上毅病死したことでお蔵入りになっていたものを、この時改め出版したのである。その第2章君主国体」で次のように説く国体主権所在により分かれ政体統治権行動形式により分かれる特定の一人がその固有の力により国権総覧し国を統治するものを君主国体と称する憲法国家統治大則定め国会政府裁判所統治機関設け立法・行政・司法を行うものを立憲政体称する我が帝国君主国体にして立憲政体よるものである。 君主固有の権力によって統治する憲法委任によって民衆代表者として君臨する類いは、君主称していても純正君主制ではない。外国歴史には皇帝称して主権者でない例が往々にしてある。 君主国権全般総攬する。統治権本体作用とを併せ持つということである。その一部を欠くものは君主制本領ではない。憲法により統治機関国権行使を司らせても主権君主存するなぜならば君主国体における憲法君主権力によって制定したものだからである。 欧州国体論じる者は、君主国権国会分つとか、あるいは君主国権本体であるが行使もたないとかいうことをもって立憲君主制本領となすことがある。これは立憲君主世襲大統領見なすものであって純正君主制ではない。 政体は国を統治する形式であるため、時勢に応じて変遷する政体憲法によって定まる我が国体は建国以来変更したとがない政体変更はあったが、常に純正君主国体の模範内外示してきた。明治憲法制定によりその基礎をますます固くした。 憲法改正してよい。国体変更してならない国体変更帝国滅亡である。以上。 穂積八束翌年6月に『国民教育 愛国心』を著す。日本国体先祖教との関係を説き国家主義気炎揚げ、以下のように説く日本固有の国体国民道徳基礎祖先教に淵源する。祖先教とは祖先崇拝大義をいう。日本民族固有の体制血統団体である。固有の国民道徳である忠孝友和信愛は、祖先崇拝大義源流とし、血統団体保持手本とする。堅固な家国体制祖先教に基礎があり、これを千古に建て万世伝えるのは民族特質であり国体精華である。 血統はこれを祖先受け子孫に伝える。その団結永久である。利害離合断続するものではない。これを統一するのは祖先威力である。家にあっては家長祖先威力代表し家族対し家長権行い、国にあっては天皇天祖威力代表し国民対し統治権を行う。 父母敬愛しこれに従順する至情そのまま父母父母に及ぼすべし。我ら祖先祖先天祖である。天祖国民始祖であり皇室国民宗家である。父母拝すべし。ましてや一家祖先拝すべし。さらには一国始祖拝すべし。 人は信仰により行動する限定され人智宇宙真理知覚できないからである。我ら祖先不死霊魂があることを確信し父母威霊幽界にあって子孫保護する確信してきた。これが先祖崇拝大義淵源であり、敬神国教である所以である。 我ら固有の国体民俗祖先祭祀を最も重んじる先祖崇拝大義国民確信に出る。不朽の国体はこれにより基礎を建て、国民道徳はこれにより深厚である。この民を千古万世保持するのは、この国体精華である祖先教の力である。 国は個人の合衆であるという説は国史事実反する。国民家族制によって分属する。家を合わせて国を成し、家籍を国籍基礎とする。もし祖先教を打破し家族制を廃止することがあれば、皇室神聖な理由侵犯する恐れがある。 国は統治権により保護される民族団体である。天皇統治権天祖に受け皇胤伝える。皇位天祖霊位である。天皇国民保護するのは天祖対す任務である。国民皇位忠順であるのは天祖威霊服従するのである先祖教により構成され血統団体社会主力崇拝するこのため法律本源であるとともに教義源泉である。崇拝には理由がある。迷信ではない。 外国主権強大であるために服従され、我が国主権神聖であるために敬愛される。以上。 こうした国家主義的風潮のなかで雑誌日本主義』が発刊される。これより先、1897年明治29年5月柴田峡治が稲垣乙丙加藤弘之湯本武比古品川弥次郎数十名の賛同得て大日本教会組織した。その主義は「教育勅語大経典とし、これを社会全般に普及し感化実績収めんと欲すということにあった大日本教会1898年明治30年5月機関誌日本主義』を発刊し、その主義綱領を「日本主義によりて現今我邦における一切宗教排撃す。我が国民の性情反対し、我が建国精神背戻し、我が国家の発展阻害するゆえなり。しかしてこれに代える国家主義をもってするなり」、「君臣一家我が国体の精華なり。これ我が皇祖皇宗宏遠なる丕図(企画)に基づくものにして、万世臣子永く景仰すべき所なり。ゆえに国祖および皇宗日本国民宗家として無上崇敬披瀝すべき所、日本主義はこれゆえに国祖を拝崇して常に建国抱負を奉体せんことを務む」とする。 木村鷹太郎日本主義のために最も努力した。その意見1898年明治31年3月公刊した『日本主義国教論』にあらわれている。同書に以下のようにいう。 日本主義保守的国粋主義でなく、卑屈外国崇拝でもない日本自我守って生物学原則従い外来文物を我に同化し、自我養い自主実現期するのである。 まずは国教定める。国教とは、国家目的主義理想定め国民にその信奉求め、その教育努めものをいう。つまり国民精神統一である。そして国家国民精神統一しよう思えば思想道徳宗教嗜好祭礼節などを統一し、少しでも国家目的理想合わないものは全て禁止する。特に宗教において国家主義理想害するローマカトリックギリシャ正教イエズス会などは厳禁する国家精神反する自由は許可しない。 この意味においての国教は以下のものを基礎条件とする。国民性表れ国体和合し国家的であり、歴史上国体汚したともなく国家的生物原理適合するもの、 快活にして心身ともに健康であり、希望進歩の念を持ち厭世悲哀誘わないもの、 教理上も実践上も国体従い皇室密接なる関係を有し皇室中心を置き、皇室至上崇めるもの、 精神高尚優美貴ぶ同時に実際重んじ質実奨励し実力養成することを教えるもの、 国民的国家的であるため祖国愛し、平和を理想としても尚武精神有するもの、 健全な精神美術生み出し教育的であって科学反せず迷信唱えないもの、 女子卑しまず、女子に相当の位置認めるもの、 日本世界中心考える、国民的自信、大抱負有するもの。 我が国歴史全て上の理想によって発展してきた。 我らの神とは、我ら国民祖先とし、国家至上とし、その徳、その至上において、我ら理想として崇拝するのである。 以上のような思想木村鷹太郎が『日本主義誌上掲げたところ、すこぶる反響大きかったという。 高山樗牛雑誌日本主義同人であり、木村鷹太郎とともに日本主義のために努力する高山樗牛その主張雑誌太陽』に続々発表する。まず『太陽明治30年6月号に「日本主義賛す」と題して以下のように主張する本邦建国精神国民特性かんがみ我ら国家将来のため、ここに日本主義賛する日本主義とは国民特性にもとづく自主独立精神によって建国当初抱負発揮することを目的とする道徳的原理である。 我ら日本主義によって一部宗教排撃する。これを国民性情反対し、建国精神背戻し、国家発展阻害するものと見なす宗教とは現実到達できない超自然的理想思慕する信念である。西洋では宗教文化大きな影響及ぼしたが、我が国ではそうでない仏教表面行われたに過ぎない我が国民の思想は本来現世的である。多少幽界観想することがあっても現世的思想比べれば言うに足らない社会的生活を尊び国民的団結重んじ君民一家忠孝無二の道徳維持するのは現世的国民として皇祖建国偉大な企図大成する運命を担う所以である。 宗教国家利益矛盾する国家現世に立ち、宗教来世尊ぶ国家差別立て宗教は平等を説く国家人類必然の形式である。人は一人生息できずに家族成し家族だけで生活できずに社会生じ社会の上主権定めてこれを統御する要点民衆最大の幸福を企図することにある。この理想仏教キリスト教のような宗教決し相容れない。これが日本主義立て理由である。 君臣一家我が国体の精華である。これは皇祖皇宗宏遠企図に基づくものであり、万世にわたり臣子永く仰ぐべきところである。ゆえに、国祖と皇宗日本国民宗家として最上の崇敬を受けるべきであり、日本主義は国祖を拝崇して常に建国抱負を奉体しよう努める。以上。 高山樗牛続けて日本主義哲学」「日本主義対す世評慨す」「世界主義国家主義」「宗教国家」「基督教徒の妄想」「国家的宗教」「国家至上主義対す吾人見解」「国民道徳危機」等の論文発表し日本主義高唱する。「基督教の逢迎主義」では、キリスト教国体迎合しようとするのを笑いどれほど迎合して抜本的に改変しない限り日本主義容れることはできない説く。また「我国体新版図」と題して国家主義論じ君民一家国体次のように主張する我が国体が世界冠絶することは、我ら国民内外に誇るところである。この天下無双国体要する君臣特殊な関係に由来する。すなわち、国土皇祖皇宗の創定したところであり、国民概ね神孫皇族末裔であり、皆この域内生息し一系皇族奉仕してきた。皇室宗家であり、国民は末族である。建国当初家長制度二千五百年経てその範囲拡張したが、その本来の精神変わらない我が国体の特性この君一家という国民的意識起源する。 ある論者は、君民一家国体について、これを重視すれば新版図の民を包含するのが難しくなる指摘して、これを非難する。この新版図の問題如何するか。それは権力関係しかない。内に君民一家鞏固な国体をつくり、その力をもって新版図に臨み一面仁恵を施すしかない。以上。 高山樗牛はまた「国粋保存主義日本主義」と題して明治20年後に起った反動的国粋主義日本主義との違いについて次のように述べる。 国粋保存主義日本主義系統同じだ内容異なる。日本主義世界時局対処し国家の独立進歩国民安寧幸福を保全するため、適切な国民道徳立てることにより人心統一する。 縦は過去歴史成功失敗の跡を訪ね、横は世界大勢興亡の理を求め国体・民性を中心に内外事物対し精緻な考察加え、これにより一国思想期する日本主義は、国家の独立国民の幸福を保全するため、国体維持と民性の満足を二大制約とする。この二大制約中核として内外文物対し公平な研究試み、その研究結果により取捨選択を行う。以上。 湯本武比古雑誌日本主義』の同人である。雑誌日本人明治31年3月号で発表した論文日本主義主張する」は日本主義流行一面である。曰く我ら日本主義主張するといって敢えてみだりに排外主張しない。国体精華すなわち国粋保存説くといって敢えてみだりに自己過大評価しない。旧来の陋習恋々とすべきでなく、国家文明富強進め皇基振起すべきため智識世界求める。ただし西洋開化を学ぶのは、開化そのもの目的ではなく建国精神発揮するための方便である。我らはこの主意により日本主義主張し国粋保存説く。これを従来偏狭頑固と同一視しないことを望む、と。湯本武比古はさらに「帝国主義」と題して曰く近ごろ急に帝国主義台頭したが、その意義には一定の説がない。我が国においては欧州帝国主義そのまま用い必要がない皇国主義すなわち帝国主義とすれば憲法発布勅語の旨を奉体すれば間違いない、と。 日本主義は、強烈な反響呼んだが、次のような多少反対論もあった。 姉崎正治いわく、日本主義はその根拠歴史研究証明すべきだが、今のところ外形のみを宣揚して内実示していない、と。 早稲田文学記者いわく、日本主義には、熱誠無く理想無く人物も無い、と。 中島徳蔵いわく、日本主義未だ理論的根拠がない、と。 釈雲照は、日本主義宗教排斥に対して仏教立場から反駁した。 当時日本主義勢力強烈であった例外として久米邦武1899年明治32年2月に、国体論なるものは恋旧心から起った迷想であると断言したこともあったが、世間一般日本主義理想をもって国体観を発表したものが多い。たとえば同年加藤弘之日支両国国体異同」、林甕臣帝国教典』、1900年明治33年鳥尾小弥太人道要論』、1901年明治34年小柳人道原論』などがある。同年湯本武比古石川岩吉共著日本倫理史稿』は建国神話叙述し「この国体は即ち我が国家主義の倫理思想胚胎し来たるものなり」と述べる。

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