日清戦争時の逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 05:43 UTC 版)
1894年(明治27年)に開戦した日清戦争は日本が初めて経験した本格的な対外戦争であり、日本国民から義勇兵の志願が相次いだ。警視庁においても戦争に貢献したいという意見が全庁員の間にみなぎり、当時警視総監になっていた園田安賢は、西南戦争のとき抜刀隊が編成された例に倣って、抜刀隊を編成して戦地へ派遣したい旨の建言書を、第二部長(保安部)森田茂吉を使者として内閣総理大臣伊藤博文に提出した。伊藤は自分にはよく判らないとして、陸軍参謀次長川上操六に提出するよう指示した。 森田から建言書を渡された川上は、「警視庁の奴らは、今ごろこんな事を考えているのか。馬鹿な奴らだ、日本に軍制が布かれてから、もう20年以上も経っているではないか。日本の軍隊は、そんな幼稚なもんじゃない。抜刀隊なんていりやせん。帰って園田にそう言え」と激しい剣幕で突き返した。
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