本堂
本堂
本堂
〒643-0126 和歌山県有田郡有田川町本堂
〒786-0043 高知県高岡郡四万十町本堂
本堂
姓 | 読み方 |
---|---|
本堂 | ほんどう |
本堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 03:56 UTC 版)
本堂(ほんどう)とは、仏教寺院において、本尊仏を安置する建物。仏堂の一種。

解説
日本では一山の本尊を安置する、寺院の中心的な堂を指して「本堂」あるいは「金堂」と呼ぶことが多い。「金堂」が飛鳥時代から平安時代前半にかけての古代創建の寺院で多く使われているのに対し、「本堂」は宗派にかかわらず、古代以降も含め広く使用される。ただし、奈良時代創建の寺院でも、新薬師寺、西大寺のように現在は「本堂」と呼んでいる寺院もある。延暦寺など天台宗寺院では同様の建物を「根本中堂」もしくは「中堂」と呼び、禅宗寺院においては「仏殿」と呼ぶことが多く、黄檗宗では「大雄宝殿」と呼ぶ。しかし、禅宗にあっても特に方丈形式の中心堂宇を指して「本堂」と呼ぶ場合も多い。
一般的に大陸より初期に渡来した系統の伽藍においては「金堂」、禅宗にあっては「仏殿」、日本的発展を遂げた寺院では「本堂」と呼ぶと理解してよいが、上述のように明確な区別は困難である。
また、室生寺や當麻寺のように「金堂」と「本堂」が別個に存在する寺院もある。室生寺(奈良県宇陀市)には平安時代前期以来の「金堂」(国宝)があるとともに、鎌倉時代末期の延慶元年(1308年)に造営された灌頂堂が「本堂」(国宝)と呼ばれている。奈良時代に建てられた當麻寺(奈良県葛城市)でも創建当初の本尊仏である弥勒菩薩を安置する仏堂を「金堂」(国宝)と呼ぶのに対し、院政期の永暦2年(1161年)に建造された、当麻曼荼羅のある曼荼羅堂を「本堂」(国宝)と呼ぶ。これらは、寺院創建当初の古代にあって本尊仏を祀った建物を「金堂」とし、時代の変遷のなかで信仰対象の中心がかわり、のちに当該寺院の中心的な施設となった建物を「本堂」と呼ぶことで、呼称を使い分けるようになったものである。
金堂の例
本堂の例
備考
参考文献
![]() |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
- 藤原義一「本堂」日本歴史大辞典編纂委員会編集『日本歴史大辞典 8』河出書房新社、昭和54年(1979年)11月。
- 藤田勝也・古賀秀策『日本建築史』昭和堂、平成11年(1999年)4月。ISBN 4-8122-9805-9
関連項目
本堂(ウボーソット、ubosot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/21 06:33 UTC 版)
「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の記事における「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説
層塔化した屋根をもつ方形の本堂が境内の南東側にある。その装飾された入口は煉瓦とセメントで造られている。
※この「本堂(ウボーソット、ubosot)」の解説は、「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の解説の一部です。
「本堂(ウボーソット、ubosot)」を含む「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の記事については、「ワット・シーチュム (ラムパーン)」の概要を参照ください。
「本堂」の例文・使い方・用例・文例
- 本堂は火災から10年後に再建された。
- そのお寺の本堂に小坊主が一人ちょこなんと座っていた.
- 本堂より奥にあり,霊像を安置してあるところ
- 社寺の本堂の外側にあって,人々が立ち入ることのできる所
- 寺の本堂
- 本堂には金色の仏像があります。
- その中心となる線は寺の本堂を通っている。
- 研究者たちは「対称線上の本堂に立ち,庭を見ると,一番落ち着きを感じる景色を見ることができる。枝を広げる木の姿を無意識に認識することが心の落ち着きの一因かもしれない。」と言っている。
- 奈良県の唐(とう)招(しょう)提(だい)寺(じ)で,本堂である金堂とそこに安置されている仏像2体が現在修復中である。
- 人気力士や俳優が豆をまくために本堂前の特設舞台に姿を現した。
- 多くの人々がそれらをつかみ取ろうと本堂の前に集まった。
- 儀式では,僧侶たちが朱色の傘を頭上にさしかけられて寺の本堂まで歩く。
- 本堂の前で,貫主と僧侶は読経する。
- ピンクや赤,緑の裃(かみしも)を身につけた参加者が本堂前に登場した。
- 彼らは本堂の建物の前に立ち,群衆に向かって大豆や落花生をまいた。
- >> 「本堂」を含む用語の索引
- 本堂のページへのリンク