念仏
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脚注
参考文献
- 多屋頼俊 著、横超慧日・舟橋一哉 編 編『仏教学辞典』(新版)法藏館、1995年4月1日。ISBN 978-4831870094。
- 中村元、福永光司・田村芳朗・末木文美士・今野 達 編『岩波仏教辞典』(第二版)岩波書店、2002年10月30日。ISBN 978-4000802055。
- 瓜生津隆真 著、細川行信 編 編『真宗小事典』(新装版)法藏館、2000年3月1日。ISBN 978-4831870674。
- 勧学寮 編『浄土三部経と七祖の教え』本願寺出版社、2008年7月16日。ISBN 978-4894167926。
- 森三樹三郎『老荘と仏教』講談社〈講談社学術文庫〉、2003年9月11日。ISBN 978-4061596139。
- 岸田緑渓『親鸞と葬送民俗』湘南社、2013年9月1日。ISBN 978-4434182921。
- 峰島旭雄「念仏と呪術-念仏=呪術論争をめぐって-」『The Waseda commercial review(早稲田商学)』第155号、早稲田商学同攻会、1961年11月、45-80頁、ISSN 0387-3404。
- 坂本要「「念仏=呪術論争」再考」『俗信と仏教 / 仏教民俗学大系』第8号、名著出版、1992年11月30日、401-420頁、ISBN 978-4626014573。
関連項目
- 阿弥陀三尊
- 融通念仏
- 称名念仏
- 七高僧
- 念仏宗
- 一遍上人 - 踊念仏の誕生を描いた日本映画。
- 題目の唱題 – 法華経系・日蓮系などの宗教において「南無妙法蓮華経」と唱えること。
- 真言(心呪、大咒・中咒・小咒)
- 陀羅尼
注釈
- ^ (略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い[1]。
- ^ 仏、法、僧(三宝)を心に思いとどめること、念仏、念法、念僧のこと[2][3]。
- ^ 念仏、念法、念僧、念戒、念施(念捨)、念天[2][3]。
- ^ 六隨念に念休息(念滅)、念安般(念出入息)、念身非常(念身)、念死を加える[2][3]。
- ^ 一切の諸仏が目の前に現われること
- ^ 仏の持つ諸得性を澄みきった理知のはたらきによって観察すること。
- ^ 仏やその仏国土(浄土)のすぐれた様相を心に想い描き念ずる事をいう。
- ^ これを隠元は「病に応じて薬を与える」と表現している[4]。
- ^ 「王舎城の悲劇」を導入部に観想念仏と称名念佛が説かれている。この経典は、サンスクリット原典が発見されておらず、中国もしくは中央アジア編纂説がある。
出典
- ^ 中村元 2002, p. 114.
- ^ a b c 中村元 2002, p. 1070.
- ^ a b c 多屋頼俊 1995, p. 359.
- ^ 森三樹三郎 2003, pp. 159–160.
- ^ 中村元 2002, p. 108.
- ^ “きょうのことば”. 大谷大学 (2000年8月). 2004年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月18日閲覧。
- ^ 中村元 2002, pp. 107–108.
- ^ 「青鉛筆」『朝日新聞』、1978年2月4日、朝刊、第13版、19面。
- ^ “岩下の踊り念仏(信州の文化財)”. 八十二文化財団. 2021年6月18日閲覧。
- ^ 岸田緑渓 2013, pp. 121–123.
- ^ 峰島旭雄 1961.
- ^ 坂本要 1992.
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