犬
『近江国風土記』逸文 伊香刀美(いかとみ)という男が、天女たちの水浴を見た。彼は白犬に命じて、1人の天女の衣を奪わせた→〔水浴〕1a。
『マハーバーラタ』第17巻「大いなる最後の旅の巻」 大戦争後ユディシュティラは退位し、4人の弟及び共通の妻ドラウパティーとともに、1頭の犬を供として旅に出る。ヒマラヤを越えて進むうちに妻と弟たちは次々に倒れ、ユディシュティラと犬だけになる。インドラ神がユディシュティラ1人を天界へ迎えようとするが、ユディシュティラは「この忠実な犬も連れて行く」と言う。犬はダルマ神に変じてユディシュティラの慈悲心を賞賛し、彼らは皆天界へ昇る。
『桃太郎』(昔話) 鬼退治の旅に出た桃太郎は、犬に黍団子を与えて供とした。次いで猿と雉も供に加え、鬼が島に攻め入った(青森県三戸郡)→〔鬼〕4b。
*『オズの魔法使い』のドロシーは、愛犬トトと一緒の部屋にいて、オズの国まで運ばれる(*→〔風〕4a)。また、トトを捜していたために、故郷カンサスへ帰る気球に乗り遅れる(*→〔靴(履・沓・鞋)〕1a)。
*→〔蛇退治〕4の『捜神記』巻19-1・〔密通〕2aの『捜神後記』巻9-6(通巻100話)。
『フランダースの犬』(ウィーダ) クリスマス・イヴの午後4時、老犬パトラッシュは夕闇の雪の中に茶革の袋を嗅ぎつけてくわえ出し、ネロに差し出す。それは、粉屋コゼツが落とした2千フラン入りの財布だったので、ネロはコゼツの留守宅に届ける。コゼツは、それまでのネロに対する冷たい仕打ちを悔い、娘アロアとの交際も認めようと言うが、時すでに遅く、ネロとパトラッシュはその夜凍死する→〔クリスマス〕3。
『日本書紀』巻21〔第32代〕崇峻天皇即位前紀 捕鳥部万(ととりべのよろづ。=物部守屋の従者)が自刃し、その死体は朝廷の命令によって、8段に斬られた。万が飼っていた白犬が、死体の周囲をまわって吠え、死体の頭部をくわえて古い塚まで運んだ。白犬は塚の前に横たわり、餓死した。朝廷は白犬を称賛し、万の遺族は墓を2つ並べて造り、万と白犬を葬った。
『ウンベルトD』(デ・シーカ) 独身の老人ウンベルト・ドメニコは、小犬のフライクと一緒に、アパートの一部屋で暮らしている。彼は公務員として30年働いたが、年金支給額が少ないため家賃を払えず、アパートを出て行く。将来を悲観したウンベルトは踏切内に入り、フライクを抱いて列車に飛び込もうとする。しかしフライクは激しく鳴き、身をよじってウンベルトの腕をすりぬけ、逃げる。ウンベルトは、「残りの人生をフライクとともに生きよう」と考える。
*老人と老猫→〔猫〕2の『ハリーとトント』(マザースキー)。
『ハチ公物語』(神山征二郎) 秋田犬ハチは、大正12年(1923)12月に生まれた。ハチは、飼い主である東京帝大の上野秀次郎教授を、毎日、渋谷の駅まで送り迎えした。大正14年(1925)、教授は講義中に脳溢血で急死し、上野家は売りに出されて、ハチは野良犬となった。それでも毎日夕方になると、ハチは渋谷駅へ来て、教授の帰りを待った。昭和10年(1935)3月8日、降りしきる雪の中、ハチは渋谷駅前で死んだ。
種原の犬の墓の伝説 村に大きな寺が2つあり、1匹の犬が両寺の用をしていた。一方の寺で鐘が鳴ると犬は駆けつけ、書状を首に結んで、もう一方の寺に届けた。ある時、両方の寺の鐘が同時に鳴ったので、犬はあちらか、こちらか、と走り回って、とうとう死んでしまった。村人は犬を憐れんで墓を作った(鳥取県西泊郡大山町)〔*→〔二人妻〕3bの『三国伝記』巻1-25の犬と、やや似た印象がある〕。
★2.犬が人間に危険を知らせる・宝のありかを知らせるなど、貴重な情報をもたらす。
『宇治拾遺物語』巻14-10 藤原道長が法成寺の門を入ろうとした時、白犬が引き止めるので、安部晴明に占わせると、呪物が道に埋めてあることがわかる。「犬は通力のものにて告げ申して候」と晴明は言う(『十訓抄』第7-21・『古事談』巻6-62に同話)→〔呪い〕4。
『日本書紀』巻7〔第12代〕景行天皇40年(A.D.110)是歳 ヤマトタケルは東征からの帰途、信濃国の山中で道に迷った。その時どこからともなく白い犬が現れ、ヤマトタケルは犬に導かれて美濃国に出ることができた。
*愛犬シロが、小判のありかを正直爺に教える→〔隣の爺〕1の『花咲か爺』(昔話)。
★3.犬の教えを人間が悟らない。その結果、犬もしくは人間が死ぬ。
『弘法様の麦盗み』(昔話) 唐へ行った弘法大師が、自分の腓(こむら)を切り裂いて中に麦種を隠し、こっそり日本に持ち帰ろうとする。犬が吠えて、そのことを唐人たちに知らせるが、弘法大師を裸にして調べても怪しいところがなく、これは犬の頭が狂ったのだ、と見なされて犬は殺される。
『忠義な犬』(昔話) 主人が毒蛇にねらわれているのを知らせようと犬が吠える。主人はそれを悟らず、犬が自分に歯向かうと誤解し、その首を切って犬を殺す。切られた首は飛んで蛇に食いつく〔*主人に忠義を尽くして殺される犬その他の動物→〔誤解による殺害〕1に記事〕。
『今昔物語集』巻3-20 天竺の男が火天(=火の神アグニ)を祭り、死後は梵天(=色界の初禅天)に生まれることを願った。しかし彼は、犬となって再びこの世に転生し、息子の家で飼われた。息子は犬の素性を知らなかったが、托鉢に訪れた仏が「この犬は、汝の父である」と教えた。
『日本霊異記』下-2 狐にとりつかれて病気になった人が、永興禅師の祈祷を受けるが、結局死んでしまった。その人は狐に仕返しするため、ただちに犬に転生した。1年後、永興禅師の弟子が病気になった時、犬は、弟子にとりついている狐をくわえて引きずり出し、噛み殺した。
*犬に転生して、憎い敵を食らう→〔動物音声〕1aの『十訓抄』第4-16。
『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第8巻第1章「ピュタゴラス」 ある時ピュタゴラスは、仔犬が杖で打たれている傍を通りかかった。ピュタゴラスは憐れみの心にかられて言った。「よせ。打つな。その犬は、私の友人の魂なのだから。啼き声を聞いて、それとわかったのだ」。
★4c.仔犬を見て、自分の父母の転生した姿かもしれぬ、と思う。
『明惠上人伝記』 明惠上人は、8歳で両親を失った〔*治承4年(1180)1月に母が病死。9月に父・平重国が戦死〕。ある時、上人は、犬の仔をまたいだことがあった。その後で上人は、「これは私の父母の転生した姿かもしれない」と考え、すぐに引き返して犬の仔を拝んだ。
『語らい』(星新一『マイ国家』) 女が、連絡の途絶えた恋人の思い出を、路傍の犬に語る。実は、すでに恋人は事故死しており、彼の魂は犬に宿ってこの世へ戻った。女は、目前の犬が恋人の生まれ変わりとは知らず、恋人への恨みを語り続ける。犬は尾をちぎれるほど振って、小さく吠えるだけである。
*牝犬を見せて、「貴女の前世における姉妹が転生した姿だ」と、嘘を教える→〔前世〕2の『鸚鵡七十話』第2話。
★4e.人間が犬に転生し、その犬が再び人間に転生したのが、現在の自分かもしれぬ、という空想。
『犬』(正岡子規) 昔、天竺の閼迦衛奴(あかいぬ)国に住む1人の男が、王の愛犬を殺して死刑になった。男は、粟散辺土(ぞくさんへんど)である日本の信州に、犬として生まれ変わった。信州には肴がないので、犬は、姨捨山(うばすてやま)の姨を喰った。その罪深い犬が転生したのが、現在の僕(=正岡子規)ではあるまいか→〔前世〕4d。
『宝物集』(七巻本)巻2 いったん畜生道に生まれると、そこから出ることは難しい。昔、釈迦如来は犬に生まれた。白犬に生まれて死んだ屍(かばね)を積み上げると、須弥山を1億も重ねたほどの高さになった。さらに、黒まだらの犬、赤まだらの犬などにも生まれたのだから、その屍の数は、どれほどの多さであろうか。
★4g.犬に道を譲る。
『イスラーム神秘主義聖者列伝』「バーヤズィード・バスターミー」 狭い曲がり角で1匹の犬に出会った時、導師バーヤズィードは身を引いて道を譲った。弟子にその理由を聞かれて、導師は答えた。「犬が心の声で、私に語りかけたのだ。『久遠の昔、天地創造の始源、私は何の落度があって、犬の皮膚を身につけているのか? あなたは何の功績があって、高い地位の衣を身にまとっているのか?』。こういう思いに心を動かされて、私は犬に道を譲ったのだ」。
『南総里見八犬伝』肇輯巻之3第6回・第2輯巻之1第12回 玉梓は処刑される時、金碗八郎と里見義実を呪い、「子々孫々まで畜生道に導こう」と言い遺す。玉梓の死後2ヵ月で金碗八郎は自刃する。さらに玉梓の怨魂は、犬の八房となって、17年後に里見義実の娘・伏姫の死をもたらす。
『西班牙犬の家』(佐藤春夫) 「私」は犬の「フラテ」と散歩に出て、雑木林の中に西洋風の家を見つけ、中に入る。主人は留守らしく、そこには黒いスペイン犬がいるだけだった。帰りがけに「私」が窓から家の中を覗くと、スペイン犬は「今日は妙な奴に驚かされた」とつぶやいて、50歳ほどの黒服の男になり、煙草をくわえ本を開いた。
『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇13年(A.D.469)8月 小野臣大樹が兵士百人を率い、文石小麻呂の家を囲み、焼く。炎の中から、馬ほどの大きさの白犬が飛び出し、大樹臣を追う。大樹臣が刀を抜いて斬ると、白犬は文石小麻呂になった。
『もと犬』(落語) 白犬が蔵前の八幡様に願掛けして、21日目の満願の朝に人間になる。彼は千住の隠居の家に奉公するが、犬の性は抜けず、名前を問われて「白」と答え、「鉄瓶に湯が沸いてチンチンいっている」と聞いて、前足を上げチンチンをする。隠居が女中のおもとを呼んで「もとは居ぬか?」と言うと、白は「はい。今朝人間になりました」。
★7a.人間を襲う犬。
『神統記』(ヘシオドス) 冥王の館の前の番犬ケルベロスは残忍な性質で、50の首を持っている。館の内に入る人間には甘えるが、門から出ようとする者は捕らえ、容赦なくむさぼり喰う〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第5章では、3つの犬の頭と龍の尾を持ち、背にはあらゆる種類の蛇の頭を持っていた、と記す。『神曲』(ダンテ)「地獄篇」第6歌では、ケルベロスは地獄の第3圏におり、3つの口で死者たちを喰う〕。
『バスカヴィル家の犬』(ドイル) 18世紀中頃、ヒューゴー・バスカヴィルは、月下の沼沢地で巨大な犬に喉笛を喰い切られて殺された。バスカヴィルの血筋を受け継ぐ男がこの伝説を利用し、猛犬を手に入れて顔面に燐を塗り、眼が光り火を吐く魔犬を作り上げる。彼は、自分がバスカヴィル家の領地と資産を相続するために邪魔な親戚を、この犬を使って殺そうとする。
送り犬の伝説 夕方、おじいさんが山道を歩いていると、山犬がたくさん出て来てつきまとう。1頭がおじいさんの頭上を飛び越え、ちょんまげに爪をかけて引き倒そうとする。倒れると、山犬たちに襲われ、噛みつかれるので、おじいさんはまげを解き、髪をふり乱して村へ逃げ帰った(山梨県北巨摩郡高根町赤羽根。*村の近くまで来て「ありがとうよ」と言えば、送り犬は去って行くという)。
*もしも転んでしまったら、「一休みしている」と言わなければならない→〔のりなおし〕5の『山犬の話』(松谷みよ子『日本の伝説』)。
『フランス田園伝説集』(サンド)「田舎の夜の幻」 白い猟犬の幽霊が、人の後をつける。はじめは小さな犬に見えるが、そのうちに馬ぐらいの大きさになって、背中にとびついてくる。2~3千ポンドの重さだ。家にたどり着いて戸口が見えるまでは離れない。この妖獣に出くわすのは、酒場で遅くなった時である。その後ろに2つ3つ鬼火がついて来て、沼や川へ引きずられ、溺れさせられなければ幸いだ。
『荒野の呼び声』(ロンドン) セントバーナードの父とシェパードの母との間に生まれた大型犬バックは、雪のアラスカ地方で、橇犬として活躍する。仲間のエスキモー犬たちとの闘争を経て、バックの中の野性が目覚めてゆく。バックが信頼していた飼い主ソーントンが、イェハット族に襲われ、殺される。バックは、イェハット族の何人かを噛み殺して敵(かたき)を討った後、人間世界を捨て、狼たちの群れに入る。バックは狼たちのリーダーとなり、山を駆ける。
★8a.犬頭人身。
『南総里見八犬伝』第2輯巻之1第12回 伏姫と八房が富山にこもって、数ヵ月を経たある春の日。伏姫が、たまり水に映る自分の姿を見ると、身体は人で頭は犬となっていた。驚いて見直すと人の姿に戻ったので、心の迷いであろうと伏姫は思った。しかしその頃から、伏姫には懐妊の兆候が現れた。
*犬と人間の交わりの結果、犬頭人身の子供が大勢誕生する→〔犬婿〕5の『高岳親王航海記』(澁澤龍彦)「蜜人」。
★8b.人面犬身。
人面犬(水木しげる『図説日本妖怪大鑑』) 文化7年(1810)6月8日、江戸、田所町の紺屋の裏で、牝犬が子犬3匹を産んだ。その中の1匹が、人間そっくりの顔をした人面犬だった。興行師がその人面犬を東両国で見世物に出したところ、毎日、押すな押すなの大盛況となった。人面犬はほどなくして死んだが、その後も3~4日は、線香を焚きながら興行していたという。
人面犬(日本の現代伝説『ピアスの白い糸』) ある女性が犬に襲われて重傷を負い、数日後に死んだ。その数週間後から、死んだ女性の顔をした犬が、近所でたびたび目撃されるようになった〔*人面犬の話は、この他にも種々の形が流布している。人面犬が話題になった1980~90年代以前にも、『小平市の武蔵野美術大学に近い玉川上水あたりに、太宰治の顔をした犬が出没する』などという話があったという〕。
★9.「犬」の文字。
『犬の字』(落語) 白犬が神に祈って人間となり、白太郎という名前で、ある店の手代になる。店の主人が、白太郎は完全に人間になったかどうか見きわめようと、寝姿をのぞく。白太郎は枕をはずし、大の字になって寝ている。主人はがっかりして言う。「やはり前身が知れる。大の字の肩の上に、枕でチョンを打ってある」。
『江談抄』第2-9 上東門院が一条帝の女御だった時、帳の内に犬の子が入っており、人々が怪しんだ。大江匡衡が「犬の字は点を大の下につけると太、上につけると天の字になる。これは、皇子が誕生し、太子となり天子となる兆」と言う。果たして上東門院は懐妊し、後朱雀帝を産んだ〔*『十訓抄』第1-21の異伝では、後一条帝を産んだとする〕。
『南総里見八犬伝』第2輯巻之2第14回 里見義実は、金碗大輔を娘・伏姫の婿にする心づもりだった。その伏姫が切腹して死に、金碗大輔も後を追って自殺しようとする。里見義実はそれをとどめ、「入道して仏に仕えよ」と金碗大輔に命ずる。金碗大輔は、「伏姫の死も我が出家も、みな八房ゆえ。犬にも及ばぬ大輔は、犬という字を2つに裂き、丶大(ちゅだい)と名乗りましょう」と述べ、日本廻国の旅に出る。
★10.犬の口に手を入れる。
『古今著聞集』巻16「興言利口」第25・通巻525話 やたらに人に噛みつく犬がいた。この犬を取り押さえることができるかどうか、随身・友正が朋輩と賭けをする。友正は、飛びかかって来る犬の口に、握ったこぶしを突き入れる。そのため、犬は噛むことができない。友正はもう一方の手で、犬を死ぬほど撲りつける。このことがあって以来、犬は人に噛みつくことがなくなった。
*犬ならばよいが、狼の口に腕を入れると、噛み切られる、あるいは噛み砕かれる→〔狼〕5。
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