栗塚旭 栗塚旭の概要

栗塚旭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 14:18 UTC 版)

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くりづか あさひ
栗塚 旭
本名 栗塚 旭
生年月日 (1937-05-09) 1937年5月9日(81歳)
出生地 日本の旗 日本北海道札幌市
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ・映画・舞台
活動期間 1957年 -
主な作品
テレビドラマ
新選組血風録
俺は用心棒
帰って来た用心棒

燃えよ剣
暴れん坊将軍

北海道札幌市[1]出身。札幌市立向陵中学校京都府立洛北高校卒業。

来歴・人物

幼少の頃に父を亡くし、札幌市立向陵中学校[1]を卒業する頃には母も亡くしたため、教師をしていた兄夫婦を頼って1953年京都市へ移り住む[2]

高校へは編入という形で入学し、定時制へ1年間通ったのち、全日制へ移った[2](定時制当時は、法然院などへ来ていた映画撮影隊のロケーションを昼間の空いた時間を使ってよく観に行っていた[2])。高校では放送部に所属[2]し、部の新入生の恒例行事として参加させられた『正しい日本語講座』で講師をしていた毛利菊枝との出会いが後に人生の転機につながる[2]。高校3年生時の文化祭では三島由紀夫原作の『邯鄲』を上演[2]し、次郎役(主役)を演じて演出も担当した。

高校卒業後、浪人中だった1957年、予備校に通っていたが大学受験の勉強に身が入らず、毛利が主催する劇団くるみ座の稽古場へ見学に行ったところ、「イヤイヤ机に向かっているより青春を賭けるのはこっちだ[3]」と演劇にひかれ、くるみ座付属の「毛利菊枝演劇研究所」に入所。研究生を経て、1958年、正式に劇団員となった。

くるみ座に入った当初は、演劇よりも広告モデルの仕事などの方が多く、大阪そごうデパートクラボウのワイシャツなどの新聞広告・週刊誌広告のモデル仕事をこなし、高島屋のテレビCMにも出演[4]1960年代前半期にはKHKラジオ(現・KBS京都ラジオ)の『藤井大丸テレフォンリクエスト』のディスクジョッキーを2年間ほど担当した[5]

その間、志願して毛利菊枝の付き人もこなし、毛利に付き従って映画やテレビドラマのさまざまな撮影現場に足を踏み入れ、この時の付き人の経験は「カチンコの音にも慣れ、撮影所の裏表も見ていて対処の仕方を体で覚えていたので、いざ自分がカメラの前に立っても緊張することがなかった」と、後に自身が映像作品に出演した際に役立ったと述懐している[6]

テレビドラマは、日本電波映画東伸テレビ制作の作品に脇役で何本か出演した後、1964年(昭和39年)に「栗塚旭を明智光秀役で使いたい」と東映から劇団へ連絡が入り[2]NET東映京都テレビプロダクション制作の品川隆二主演『忍びの者』で光秀役に起用され、そこで監督の河野寿一や当時はまだ助監督だった松尾正武らと出会う。その後、同社制作の『つむじ風三万両』、『六人の隠密』、『柳生武芸帳』と、東映京都テレビプロ作品に立て続けにゲストで起用された。

1965年の『新選組血風録』で主役の土方歳三役に抜擢ばってきされ、これが「栗塚=土方」のイメージを決定づけるハマリ役となって評判を呼び、ニヒルな演技と風貌で人気を集め、生涯の当たり役となった。

1966年(昭和41年)に京都市民映画祭『テレビ部門主演男優賞』と日本映画製作者協会「スター新人賞」を受賞し、その後も脚本家・結束信二と河野寿一監督、松尾正武監督らの手による『われら九人の戦鬼』、『俺は用心棒』、『帰って来た用心棒』、『用心棒シリーズ 俺は用心棒』、『天を斬る』、『燃えよ剣』などの東映京都テレビプロ作品やTBSテレビ松竹制作の『』といったテレビ時代劇、さらに『ばってら』、『商魂』などの現代劇でも主演をつとめ、松竹映画では『映画版・おはなはん(第1部・第2部)』、『春日和』、『女の一生』などで岩下志麻の相手役を演じ、1978年(昭和53年)から始まった『暴れん坊将軍』シリーズではセミレギュラーの山田朝右衛門役を20年近くに渡って演じた。

1968年(昭和43年)末に劇団くるみ座を退団[1]。俳優業の傍ら、京都哲学の道沿いに購入した自宅の敷地内で1972年(昭和47年)4月[1]より喫茶店「若王子」を経営していた。しかし長年に渡って店を手伝っていた義母の死去、義姉の病気などの諸事情により2002年平成14年)1月に休業した。閉店後も同地に居住している。

2004年(平成16年)のNHK大河ドラマ新選組!』では、土方歳三の実兄・為次郎役として出演。ドラマ収録時に会った土方歳三役の山本耕史の年齢(当時27歳)が、自身が土方を演じた当時の年齢とほぼ同じなのを知り、「何も恐れることはないし、堂々と演じたらいい」と励ましのエールを送ったという[2]

2005年(平成17年)、主演映画『二人日和』(監督:野村恵一)が岩波ホールでロングラン上映され、同作品は第5回ニッポン・コネクション(ドイツ・フランクフルト日本映画祭)グランプリ、第60回毎日映画コンクール技術賞、第25回藤本賞奨励賞、第2回おおさかシネマフェスティバル撮影賞を受賞した。作品は現代の京都を舞台に、神主や京都御所関係の神官装束を作り続けてきた、栗塚演じる寡黙な伝統職人と、長年連れ添った余命幾ばくもない妻(藤村志保)との夫婦の機微が描かれた。

2006年(平成18年)から2009年(平成21年)にかけ、CS時代劇専門チャンネルにて往年の主演ドラマ『新選組血風録』、『燃えよ剣』、「用心棒シリーズ」、『天を斬る』やその他の出演作品が再放送されたことをきっかけに、当時からのファンはもとより、栗塚の全盛期を知らない新たなファン層からも大きな反響を呼び、時代劇専門チャンネル公式ホームページ内には栗塚ファンに向けての専用掲示板が別個に設置されるなど、異例ともいえるほどの好評を博した。

この時の人気再燃ぶりは、読売新聞夕刊2007年(平成19年)12月12日)でも「土方歳三役・栗塚旭ブーム再燃 若い女性層にも広がる」という記事として取り上げられ、その後も時代劇専門チャンネルの広報番組や特別企画番組にゲストとしてたびたび出演するなど、時代劇専門チャンネルのマスコット的な存在となっている。現在も関西を中心に活動している。

エピソード

  • ニヒルでクールな役柄が多いが、性格は全く正反対のネアカであり、自他共に認める笑い上戸(本人いわく「ゲラ」)。そのため『新選組血風録』の収録の時、監督の河野寿一から「おまえは喋るな、動くな、笑うな」ときつく演技指導されていた[7][出典無効]
  • 『新選組血風録』の企画書には当初、栗塚旭は篠原泰之進役に想定され、土方歳三役は品川隆二であったという。同時期に仕事が入ったことで品川が降板、栗塚が土方役に選ばれたという。ただし、プロデューサーの上月信二の証言[要出典]によれば、当時このような事実はなかったとのことで、この話を否定しているが真偽は不明である。
  • 幼少の頃は、音楽・映画・演劇鑑賞や絵を描くことは好きだったが学校の体育の授業をほとんど見学で過ごすほど体力がなく、学芸会で何かやれと言われると泣いてしまうような子供だったという[2]。本人いわく「映画少年」で、学校を休んで映画を観に行き、映画館から出て来たところを先生に見つかって怒られたこともあったという[7]
  • 『新選組血風録』の原作者・司馬遼太郎は、自身の原作を元に1963年(昭和38年)に制作された市川右太衛門主演の東映映画『新選組血風録 近藤勇』の内容に不満を持っており、当初は東映によるテレビドラマ化には難色を示していたが、プロデューサーが熱心に説得したこともあって態度を軟化させ、さらに司馬を納得させるためにプロデューサーが嵐山の料亭で土方の扮装をさせた栗塚を司馬夫妻に引き合わせたところ、夫妻は「いい青年ですね」と満足そうな様子を見せ[8]、司馬は「頑張って下さい」と栗塚を励まし、栗塚が持参した原作本にサインをしてくれたという[9]
  • 『新選組血風録』で共演した坂口祐三郎は、栗塚の素顔はナヨナヨした人で、撮影中すぐに機嫌が悪くなる監督の河野寿一の機嫌をとるために2人でオネエ言葉で会話しながらふざけてみせると、それを見た河野が「こいつら、またそんなことやって」と呆れながらも機嫌が良くなって撮影が早く進むため、ダレている時や撮影を急がなければならない時は、河野の前でオネエ会話を2人でやってくれと、助監督の松尾正武から頼まれたと著書で述べている[10]
  • 現在に到るまで独身であるが、トークショーイベントの中で、「土方さんに殉じています」と語っている。
  • 時代劇専門チャンネル情報番組『瓦版』の1コーナー「時代劇体操」のテーマソングである「あっぱれ!みなさま」の歌詞の合間には、時代劇専門チャンネルでも再放送された栗塚主演のテレビドラマ『天を斬る』の主題歌中に流れる栗塚の発したものと同じ「斬る!」という短い台詞が入るが、これはこの曲(CHINO版・瀬川瑛子版共に)のために新たに録り下ろした栗塚自身の声である。また、2012年12月からリニューアルされた「時代劇体操」のNEWバージョンには、歌う瀬川瑛子の後方にある高い台の上に置かれた大型テーブルの前でターンテーブルミキサーを動かすクラブDJのような動き(スクラッチ)を見せて踊る「DJ土方」役として出演。久しぶりに土方の扮装をする依頼を受けて最初は丁重に辞退したものの、自分が死んだ時の遺影写真が何もないので冥土のみやげに一度扮装をして末期まつごの時には飾らせてもらおうと思って参加させていただいた、とインタビューで語った[11][出典無効]



  1. ^ a b c d 『日本映画人名事典』男優篇 上巻、キネマ旬報社 編、キネマ旬報社、1996年、575頁。ISBN 4-87376-188-3
  2. ^ a b c d e f g h i 「新撰組と私」『洛北高校同窓会誌 あかね』第42号、洛北高校同窓会、2004年。
  3. ^ 黒須洋子 2000, p. 224
  4. ^ 黒須洋子 2000, p. 225
  5. ^ 黒須洋子 2000, pp. 226-227
  6. ^ 黒須洋子 2000, p. 226
  7. ^ a b ラジオ深夜便 サンデートーク(2004年、NHKラジオ第1)
  8. ^ 燃えよ新選組 2003, 「特別インタビュー 栗塚旭語る」 p. 47
  9. ^ 黒須洋子 2000, 「キャスト・インタビュー 栗塚旭」 pp. 232-233
  10. ^ 坂口祐三郎 1999, p. 82
  11. ^ 時代劇専門チャンネル「時代劇ニュース オニワバン!」第5回(2012年12月放送)


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