いれずみ判官_(鶴田浩二)とは? わかりやすく解説

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いれずみ判官 (鶴田浩二)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/23 02:59 UTC 版)

いれずみ判官』(いれずみはんがん)は、1965年に製作・公開された日本時代劇映画。主演・鶴田浩二、監督・沢島忠。配給・東映。カラー、シネマスコープ、95分[2]


  1. ^ 京都撮影所長代理・渡邊達人は「1964年後半から東映京都の映画は、全部岡田の企画に切り換えられた」と述べている[7]。当時の京都撮影所の企画会議は岡田の「独演会」で、他の出席者は「結構でございます」で会議が終了したといわれる[8]
  2. ^ 「任侠路線」の2大目玉企画が、1964年夏からの「博徒シリーズ」と「日本侠客伝シリーズ」で[17][18][19]、岡田はそれぞれ鶴田浩二と中村錦之助(のちの萬屋錦之介)を主演に構想したが[20]、錦之介が『日本侠客伝』の主演を拒否し[18][21][22]、代わりに主演に抜擢された高倉健の人気が爆発した[18][21][22]。両シリーズは回を追うごとに人気が拡大し[23][24][25][26]、任侠映画転換の大きな原動力になった[23][25][27]
  3. ^ 時代劇以外にも、岡田は後年、『多羅尾伴内』を小林旭でリメイクしている[39]
  4. ^ 『冒険大活劇 黄金の盗賊』は再評価する向きもある[43]
  1. ^ a b 作中クレジットママ。キネマ旬報映画データベースでは担当を佐藤勝としている。
  2. ^ a b いれずみ判官 - 日本映画製作者連盟
  3. ^ a b c d e f g h 「お楽しみ案内 映画・舞台 『その'退屈男'罷りならぬ 映画・歌舞伎先輩スターからヒジ鉄を食った大川橋蔵の立ち場』」『週刊サンケイ』1965年2月22日号、産業経済新聞社、 54–55。
  4. ^ 「今月の日本映画ご案内 『いれずみ判官』」『月刊明星』1965年4月号、集英社、 235頁。「3月の映画 話題映画ご案内 『いれずみ判官』」『月刊平凡』1965年4月号、平凡出版、 200頁。
  5. ^ キネマ旬報映画データベースでは演者を曽我廼家五郎八としているが誤り。
  6. ^ プレスシートを記録しているキネマ旬報映画データベースでは神木の役柄をお藤の情夫・清次としており、公開までに設定が変更されたものとみられる。
  7. ^ a b c d 私の東映30年 1991, pp. 139–147.
  8. ^ 池上金男笠原和夫・下菊坂菊馬・佐治乾野上竜雄宮川一郎国弘威雄「《座談会》若い世代の発言その1・東映へ直言する」『シナリオ』1966年5月号、日本シナリオ作家協会、 30頁。
  9. ^ 「家」の履歴書 岡田茂(東映株式会社代表取締役会長)」『週刊文春』2002年1月17日号、文藝春秋、 75頁。
  10. ^ 「戦後50年東映・岡田茂会長インタビュー『おもしろおかしく生きて勲二瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、 27 - 28頁。
  11. ^ FB編集同人編「小特集 追悼/笠原和夫・深作欣二 『東映のゴールデン・トライアングル』 文・重政隆文」『FB 映画研究誌』2003年 第18号、行路社、 153-154頁。東映ポスター集製作委員会「東映任侠路線興亡史」 『ポスターでつづる東映映画史』青心社、1980年、189頁。ISBN 4-948735-08-6 中原早苗 『女優魂 中原早苗』ワイズ出版、2009年、176頁。ISBN 9784898302354 『私と東映』 x 中島貞夫監督 (第5回 / 全5回)
  12. ^ a b 日本の映画人 2007, p. 122.
  13. ^ 日本映画は生きている 2010, p. 269.
  14. ^ あかんやつら 2013, pp. 205–209.
  15. ^ 東映の軌跡 2016, p. 564.
  16. ^ 金田信一郎「岡田茂・東映相談役インタビュー」 『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史』日経BP社、2006年、211-215頁。ISBN 4-8222-0158-9 : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した(Internet Archive)岡田茂(映画界の巨人)インタビュー 映画界へ 聞き手・福田和也 (PDF)”. メッセージ.jp. BSフジ (2005年5月15日). 2019年9月2日閲覧。(archive)『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)織井優佳 (1999年9月25日). “スター(航海新世紀へ朝日新聞創刊120周年)【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 15 “【読書】波瀾万丈の映画人生』岡田茂著”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 読書2頁. (2004年7月19日) “【産経抄】”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 1. (2011年5月14日) 
  17. ^ あかんやつら 2013, pp. 223–229.
  18. ^ a b c 風雲映画城 1992, pp. 118–125.
  19. ^ 「欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代 これが映画だ、カツドウだ! 岡田茂が放った七本のシャシン 『日本侠客伝』 京都撮影所のポスト時代劇路線として 文・野村正昭」『キネマ旬報』2011年7月上旬号、キネマ旬報社、 43-43頁。
  20. ^ あかんやつら & 20131, pp. 223–229.
  21. ^ a b クロニクル東映2 1991, pp. 212–213.
  22. ^ a b 萬屋錦之介 『わが人生(みち) 悔いなくおごりなく』東京新聞出版局、1995年、162-163頁。ISBN 4808305429 
  23. ^ a b テレビ成長期の日本映画 2018, pp. 142–146.
  24. ^ 「映画界不況の中の英雄 人物クローズアップ 『鶴田浩二という男』」『週刊平凡』1965年8月12日号、平凡出版、 58頁。
  25. ^ a b 楊紅雲「任侠映画路線における東映の成功 : テレビに対抗した映画製作 (1963-1972年) を中心に」『多元文化』第4号、名古屋大学国際言語文化研究科国際多元文化専攻、2004年3月、 193-197頁、 doi:10.18999/muls.4.191ISSN 13463462NAID 1200009748642021年12月1日閲覧。
  26. ^ 東映不良性感度路線の父 岡田茂逝去」『映画秘宝』2011年7月号、洋泉社、 52頁。
  27. ^ 私の東映30年 1991, pp. 143–147.
  28. ^ 悔いなきわが映画人生 2001, pp. 399–412.
  29. ^ a b c 「がいど・映画 『裏街道に脱出した大川橋蔵黒の二枚目、スリ、盗賊で再出発』」『週刊サンケイ』、産業経済新聞社、1964年9月7日号、 51頁。
  30. ^ a b 加藤泰、鈴村たけし 『加藤泰映画華 ―抒情と情動―ワイズ出版〈ワイズ出版映画文庫4〉、2013年、402-403頁。ISBN 978-489830-271-2 
  31. ^ 私の東映30年 1991, pp. 139–143.
  32. ^ あかんやつら 2013, pp. 186–204.
  33. ^ 嶋地孝麿「中村錦之助その静かな闘志『鮫』の撮影を京都にたずねる…」『キネマ旬報』1965年9月上旬号、キネマ旬報社、 21頁。
  34. ^ 石井輝男福間健二 『石井輝男映画魂』ワイズ出版、1992年、134-137,315頁。ISBN 4-948735-08-6 「邦画五社の七~八月 お盆映画出揃う各社、得意の企画で荒稼ぎ狙う」『映画時報』1964年5月号、映画時報社、 26頁。「各社、秘策を練るお盆興行娯楽性を強調した独自の企画」『映画時報』1964年6月号、映画時報社、 25頁。「大川指導路線の全貌 東映独立体制の整備成る 東映事業団の成長促進の歩み 東急傘下を離れ独立独歩の姿勢」『映画時報』1964年11月号、映画時報社、 28-34頁。「日本映画製作者名鑑」『キネマ旬報』1966年3月上旬号、キネマ旬報社、 34頁。
  35. ^ 沢島忠全仕事 2001, pp. 259–260.
  36. ^ 戦後映画の産業空間 2016, pp. 306–307.
  37. ^ 「まじめにやるくノ一 味しめた東映'65年の忍法商法」『週刊サンケイ』1965年1月18日号、産業経済新聞社、 55頁。
  38. ^ a b 「東映自慢の"時代劇ルネッサンス"」『週刊現代』1965年2月11日号、講談社、 27頁。
  39. ^ 「記者会見 『多羅尾伴内』」『キネマ旬報』1978年3月上旬号、キネマ旬報社、 182-183頁。“東映が継ぐ大作の製作発表 小林旭主演『多羅尾伴内』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1978年1月28日) 
  40. ^ 「"来年こそはお二人で…" 4/9 大川橋蔵の船上パースデーパーティ」『週刊明星』1965年4月25日号、集英社、 86-87頁。「東映の多角経営の計画成る大川社長の陣頭指揮・各職域への浸透、更に人造りの気合い充つ」『映画時報』1965年4月号、映画時報社、 32-33頁。
  41. ^ a b c d e f g h i j 沢島忠全仕事 2001, pp. 251–252.
  42. ^ a b 岡田茂追悼上映『あゝ同期の桜』中島貞夫トークショー(第3回 / 全3回)
  43. ^ 山田宏一 『映画的な、あまりに映画的な 日本映画について私が学んだ二、三の事柄』ワイズ出版〈ワイズ出版映画文庫(12)〉、2015年、148-156頁。ISBN 9784898302958 
  44. ^ 深沢哲也「日本映画批評 『いれずみ判官』」『キネマ旬報』1965年4月下旬号、キネマ旬報社、 79頁。
  45. ^ a b 岡田茂(東映京都撮影所長)・今田智憲(東映東京撮影所長)、聞く人・北浦馨「東映路線の今后の課題 『企画は流行性、スターは不良性感度 岡田・今田東西両所長がさぐる要素』」『映画時報』1965年11月号、映画時報社、 29-33頁。
  46. ^ 「戦後50年東映・岡田茂会長インタビュー『おもしろおかしく生きて勲二瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、 27 - 28頁。


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