リメイク時代劇路線の発案
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「いれずみ判官 (鶴田浩二)」の記事における「リメイク時代劇路線の発案」の解説
本作は鶴田浩二ありきで考えられた企画ではなく、もとは大川橋蔵「再生」のために、当時の東映京都撮影所の実権を握っていた同撮影所所長・岡田茂が思いついた時代劇シリーズリメイク企画のうちのサブ的なひとつであった。 岡田は1964年1月の東映京都撮影所長復帰早々、映画での時代劇製作打ち切りを宣言して、東映京都は任侠映画を中心とした製作に切り替えていき、時代劇作品をテレビに移行させることを決めるが、プログラムの完全転換や、時代劇企画をテレビに売る、といったことをすぐにはできないため、まだまだ時代劇のヒット作を作らなければならなかった。 岡田復帰直前の1963年に東映京都は時代劇映画を計54本製作していた。その時代劇路線では、片岡千恵蔵・市川右太衛門が体力的に後退し、次の世代の大川橋蔵、東千代之介、松方弘樹、里見浩太朗といったスターがいずれも、演技面や私生活で伸び悩み、脱落を余儀なくされていた。それだけに興行不振の続く時代劇路線の看板スター・大川橋蔵の再生は岡田にとっても重大な任務であった。 岡田復帰前から敷かれていた路線内路線の「集団抗争時代劇」は継続させる一方で、岡田自身も多くの時代劇企画を提案した。しかし興行的に成功したのは成人指定の『くノ一忍法』ぐらいで、アイデアも尽きていた。そこで岡田が思いついたのが、かつての東映時代劇の人気シリーズを役者を交代させてリメイクする案だった。市川右太衛門の代表作『旗本退屈男』シリーズと片岡千恵蔵の代表作『いれずみ判官』シリーズを取り上げ、それぞれ『旗本退屈男』を大川橋蔵に、『いれずみ判官』を鶴田浩二に演じさせ、すでに浸透しているこれらシリーズをリメイクすれば、製作・宣伝コストが安く済むと計算した。
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