護民官とは? わかりやすく解説

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ごみん‐かん〔‐クワン〕【護民官】

読み方:ごみんかん

古代ローマ共和制時代に、貴族と平民との間に立ち平民身体財産保護した官職平民会から選出され元老院議決対す拒否権持ち、その身は神聖で、これに不敬加えるものは厳刑処せられた。トリビューン


護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 15:23 UTC 版)

護民官(ごみんかん、ラテン語: tribūnus plēbis トリブーヌス・プレービス)は、紀元前494年に平民(plēbs プレブス、プレープス)を保護する目的で創設された古代ローマの公職である。プレブスのみが就くことのできる公職であって、身体不可侵権などの特権をもった。近現代において新聞名にも使われる「トリビューン(tribune)」は、この官職に由来する。


  1. ^ 上記のように独裁官の決定だけは護民官の拒否権が通用しないが、独裁官は臨時職であり、またカエサル暗殺後の紀元前44年4月にマルクス・アントニウスの提案で制定されたアントニウス法英語版により独裁官の官職は廃止された。このため、常設職・臨時職を問わずアウグストゥスの拒否権が通用しない官職は存在しないことになる。
  2. ^ ローマの官職は基本的に複数名(平時の最高位である執政官でも2名)が選任され、下位の政務官や同僚の決定に対して拒否権を行使できる。これに対しアウグストゥスの護民官職権は同僚がいないため、アウグストゥスの決定に対して拒否権を行使できる官職は存在しないことになる。


「護民官」の続きの解説一覧

護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 08:29 UTC 版)

ガイウス・ノルバヌス」の記事における「護民官」の解説

ノルバヌスは、その政治歴において、「新市民」であるがゆえにノビレス新貴族)からの抵抗にあっていた。これがノルバヌスがポプラレス民衆派となった主な理由思われる。ノルバヌスが最初に記録登場するのは紀元前103年である。このとき彼は護民官であり、同僚護民官のルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌス同盟者でもあった。この年主な出来事は、紀元前106年執政官で、元老院でも大きな影響力持っていたパトリキ貴族)であるクィントゥス・セルウィリウス・カエピオ裁判であった2年前の紀元前105年に、カエピオはアラウシオの戦いゲルマン人大敗していた。ノルバヌスはこれを口実にカエピオを告訴した。 その法的根拠はサトゥルニヌスが成立させた下位反逆罪に関するアップレイウス法Lex Appuleia de maiestate minuta)であった。これはローマ権威を傷つけることを罪とみなす法律で、特別審問所(quaestio extraordinaria)によって審理された。審判人たちはカエピオに死刑判決を出すことを公然と議論した。おそらくノルバヌスは、カエピオを敗北責任だけでなく、「トロサの黄金」の消失関わる横領罪でも告訴した思われるLex Norbana de auri tolosani quaestione)。この裁判ローマ内部権力闘争影響与えていた。訴追人はカエピオを憎むエクィテス騎士階級)や、元老院権力減らそうとするデマゴーグ支持されていた。何人かの元老院議員はカエピオを弁護したキケロウルバヌスの「暴力排斥石打ち残酷な法廷権力行使」を書いている。元老院筆頭であったマルクス・アエミリウス・スカウルス被告弁護行ったが、石を投げられて頭を負傷した。ノルバヌスの同僚であった二人の護民官、ティトゥス・ディディウスルキウス・アウレリウス・コッタ拒否権行使しようとしたが、強制的に議場から排除された。カエピオは敗北責任問われ有罪となった。またローマから追放されただけでなく、彼の財産全て競売かけられた。ティトゥス・リウィウスによればこのような個人資産差し押さえが行われたのは、共和政ローマ歴史の中で初めてのことであったウァレリウス・マクシムスは、カエピオは死刑宣告され処刑されたと主張している。

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護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 18:17 UTC 版)

クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス (紀元前57年の執政官)」の記事における「護民官」の解説

紀元前63年の夏、ネポスローマ戻り、護民官に立候補した実質的にポンペイウス代理人であったポンペイウスオリエントで彼が出した命令承認退役軍人への土地分配を行うために、高位政務官彼の絶対的な支持者を必要としていた。ネポス選挙勝利した。しかし同僚護民官の一人マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシスがおり、カトネポス対抗するために特別に出馬していた。 護民官就任早々ネポス紀元前63年執政官キケロ対立した1月1日新し執政官就任日であるが、この日に前年執政官最終演説を行うことが慣例となっていが。キケロ最後演説を行う予定で、その内容ルキウス・セルギウス・カティリナ陰謀共謀者達を処刑したことに関するものであったが、ネポスは護民官特権である拒否権行使して前日この演説禁止したのであるキケロによれば、これは「執政官であり祖国守護者である私に対し、最も不誠実な市民大したことがな役職に就いていたとしても、受けることがないような侮辱であったキケロ相互友人通じてネポス交渉をしようとしたが、ネポス拒否した。これを受けて元老院民会双方激し議論展開された。ネポス敵対的な態度示しキケロ彼の法案反対した。これに関して兄のメテッルス・ケレルはキケロ非難書簡出し対してキケロ自分守っただけで、ケレルとの友情不変であり、一度損なわれたことなどないことや、それがあればネポスへの憎しみはすぐに消えるなどと書いた長々とした返信をしている。 ネポスは、東方戦っているポンペイウスを軍と共にイタリアに緊急召集し当時エトルリアに軍を集めていたカティリナ討伐する権限与えることを提案したプルタルコスは、ネポス義弟絶対権力を与えたかったと主張している。ネポス提案はは、当時プラエトル法務官であったカエサル支持し元老院重視するカト・ウティケンシスは反対した。民会での投票日には、衝突生じネポス剣闘士奴隷、「外国傭兵」をフォルム引き連れて来た。彼が法案発表しようとしたとき、カト彼の手から巻物奪い取りもう一人の護民官であるクイントゥス・ミヌキウス・テルムスがネポスの口を塞いだ結果暴動起こり会議解散したその後元老院非常事態宣言したネポス罷免され、「カト暴政ポンペイウス対す陰謀から逃れる」ため、東方へと向かった

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護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 11:10 UTC 版)

マルクス・リウィウス・ドルスス (護民官)」の記事における「護民官」の解説

紀元前91年、護民官に選出されると、審問所の審判に関する法(Lex Livia iudiciaria)、土地分配法Lex Livia agraria)、同盟市に市民権付与する提案(Rogatio Livia de civitate sociis danda)などを打ち出したティトゥス・リウィウス概略によれば野心家の彼は、審判人の地位エクィテスから奪おうとしていた元老院協力して人々煽ったとし、同盟市にローマ市民権与え代わりに彼の法案成立協力させたものの、約束破ったためにイタリック人怒り同盟市戦争原因となったために元老院から見放され暗殺されたという。 彼は、長年わたってプリンケプス・セナトゥス指名されていたマルクス・アエミリウス・スカウルス派閥(factio)に属していた。おじのプブリウス・ルフスは紀元前92年恐喝審問所(quaestio de repetundis)の属州における不当利得返還裁判有罪判決受けており、これがドルスス審判構成員改革動機で、スカウルスの支持得ていたと考えられている。この派閥には、他にも雄弁家知られるルキウス・リキニウス・クラッススらが属しており、ドルスス巧妙な立法には彼らサポートがあったと思われる

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護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 15:46 UTC 版)

ガイウス・グラックス」の記事における「護民官」の解説

詳細は「グラックス兄弟#ガイウスの改革」を参照 紀元前123年の護民官に選出された。ティベリウスの弟ということ選挙戦ではイタリア中から人々集まり支持訴えたという。更にこの年の夏の選挙でも、多く人々支持集めたガイウスは兄と同じ轍を踏まないよう騎士階級味方につけ改革行おうとした。 ガイウスは、兄が成立させながらその後形骸化してしまったセンプロニウス農地法復活加え穀物価格統制する法案や、市民軍役年数制限加え法案成立させようとした。また司法に関して元老院のみで構成されていた審問所の審判人(陪審員)をエクィテス広げよう試みローマ市民権ラテン同盟都市にも広げようという構想持っていたため、元老院から反発受けた。 翌紀元前122年の護民官に選出され同僚マルクス・リウィウス・ドルススマルクス・フルウィウス・フラックス (紀元前125年の執政官)当選している。ドルススガイウスの改革法案阻止し、更に彼よりも魅力的な法案示してガイウスから支持層奪っていった。その結果元老院ノビレスへのプレブス平民)の反感薄れていったという。ガイウスは護民官再選にも失敗したガイウス保守的な執政官ルキウス・オピミウス法案潰され業を煮やし過激な行動出てしまい、それを口実元老院ガイウスとその支持者対し元老院最終勧告出した奴隷機転ガイウスは一旦は逃げ遂せるが、敵対者捕まりそうになり、別の奴隷自分を殺すよう命令ガイウス死亡、その奴隷も自ら命を絶ちガイウス支持者たち3,000人が殺された。プルタルコスによると、切り取られガイウスの首はオピミウスの手の者によって持ち去られ賞金交換された。頭の重さ同等の金と交換する条件だったため、頭には鉛が詰められていたという。 ガイウスはコロニア・ユノニア建設のため70アフリカ滞在したとの記録があるが、プルタルコスアッピアノスとでその時期に食い違いがあり、夏頃行われた可能性が高い護民官選挙前ではないか考えられている。この不在期間中、ドルスス敵対政策に対応できなかったガイウス支持失っていき、その結果彼の暗殺には元老院だけでなく、平民も加わることになったと言える

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護民官(紀元前59年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 17:16 UTC 版)

プブリウス・ウァティニウス」の記事における「護民官(紀元前59年)」の解説

ウァティニウスの次の記録は、紀元前59年出来事に関するもので、彼はそのとき護民官であった同年執政官ポプラレス民衆派)のカエサルとオプティマテス門閥派)のマルクス・カルプルニウス・ビブルスであり、お互いに敵対していた。護民官も同じく対立しており、ウァティニウスとガイウス・アルフィウス・フラウィウスはカエサル支持他方グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス、クィントゥス・アンハリウスとガイウス・ファンニウスはビブルスを支持した法務官クィントゥス・フフィウス・カレヌスカエサル支持であった門閥派のキケロは、後のロストラでの演説『ウァティニウスに対す反論』において、当時政治闘争いくつかのエピソード紹介している。特に、民会カエサル農地法案の議論の日に、ビブルスとその支持者フォルム入れなかった。「ビブルスのリクトル執政官護衛)は攻撃されファスケス儀仗用の斧)は折られ続いて石や手投げ矢飛び交った」。キケロは、この暴動はウァティニウスによって組織されたと主張するその後おそらくは10月初め)、所謂「ウェッティウス裁判が行われた。ルキウス・ウェッティウスという人物が、民会においてグナエウス・ポンペイウス暗殺陰謀があると証言したのであるが、その際共謀者として、若い貴族達(ガイウス・スクリボニウス・クリオマルクス・ユニウス・ブルトゥス、ルキウス・アエミリウス・レピドゥス・パウッルス、コルネリウス・レントゥルス)や高名な政治家(ルキウス・コルネリウス・レントゥスル・ニゲル、ルキウス・リキニウス・ルクッルスルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスマルクス・カルプルニウス・ビブルス)が含まれていた。ウェッティウスによれば、あるリクトルがその秘密漏らしたとのことであったが、誰もこれを信じるものはいなかった。その後直ぐにウェッティウスは牢獄死亡したため、結論は出なかった。これはレントゥス・ニゲルを陥れるためにウァティニウスが仕組んだことではないかとの憶測流れた3年後に、キケロはウァティニウスがこの陰謀でっち上げ続いて口封じにウェッティウスを暗殺した決め付けている。 紀元前59年終わりに、ウァティニウスはある法案提案しすぐに成立させている。この「ウァティニウス法」(Lex Vatinia de provincia Caesaris)は後のローマ歴史大きな影響与えることになる。この法によって、カエサル執政官任期完了後にガリア・キサルピナ属州イリュリクム属州総督5年務めるめることなり、そこで絶大な権力握った翌年にはそこで蓄えた力を利用してガリア戦争開始する

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護民官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 16:58 UTC 版)

マルクス・リウィウス・ドルスス」の記事における「護民官」の解説

ドルスス紀元前122年に護民官に就任するが、同僚護民官の一人前年から連続当選して過激な改革進めていたグラックス弟がいた。おそらく、ドルススグラックス政敵達から改革阻止することを期待され推薦されたものと思われるプルタルコスドルスス当選後門閥派が彼を告訴したとしているが、プルタルコス全体像をひずめている可能性がある。プルタルコスによればドルススグラックスに対して重量1ポンド当たり1000ドラクマの銀のイルカを、200ドラクマ購入した」と非難している。 護民官の職権である拒否権利用してドルススグラックス法案実施あらゆる手段拒否した同時にドルスス新し戦術採用した。即ち彼自身改革案を提示したが、この案はより急進的に見えるものであった現実にはほとんど実行されなかった。これはグラックス人気を落とすために実施されたものであったグラックスの案では、新し2つ植民都市建設に当たり「最も裕福な階層市民は、国家のために小額借地料支払う」こととなっていたが、ドルスス13新し植民都市それぞれ3,000人を入植させ、金銭徴収はしないとした。結局ドルスス法案成立しグラックス人気落ちたグラックス提唱したローマ市民権ラテン同盟都市にも与えるとの法案無力化するために、ラテン市民対す体罰を、それが軍務服している場合であっても禁止する法案成立させた。この法案ローマ市民には何の負担にもならないため、ドルスス人気上がったグラックス法案成立しなかったのは、ドルスス拒否権行使しために成立しなかったと思割れる。ドルスス民会での演説において、彼の行動元老院ノビレス承認得たのである繰り返し市民支配層に対す感情改善することに成功したドルススグラックス派の護民官であるマルクス・フルウィウス・フラックススキピオ・アエミリアヌス暗殺容疑告訴したドルススがフルウィウスを追い詰めているという報告を受け、植民都市コロニア・ユノニアの建設のためアフリカへ赴いていたグラックスローマに戻らざるを得なくなったドルスス行動オプティマテス勢力強めたグラックス翌年選挙落選し反乱を起こす失敗自決した。 この護民官として活動のため、ドルススは「元老院擁護者」 との称号得た。後に反グラックス派の有力者何人かが起訴されているが、ドルススそのような騒ぎ巻き込まれず、その政歴を継続している。

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護民官(紀元前300年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 05:09 UTC 版)

クィントゥス・オグルニウス・ガッルス」の記事における「護民官(紀元前300年)」の解説

ガッルスは同時代の殆どのローマ人とは異なりエトルリアギリシア文化に深い造詣があった。ガッルスは愛国的なファビウス氏族密接な関係があり、およそ半世紀わたってローマ政治影響与えてきた。ガッルスが記録最初に登場するのは紀元前300年に護民官に選出された際である。 ガッルスは兄弟同じく護民官であったグナエウスと共にプレブス神祇官アウグル鳥占官)に就任することを認めた法案提案したが、この法案ではプレブスが両官職半数以上を占め事となるため、パトリキからの激し反発受けた反対派急先鋒であったクラウディウス・カエクスと、プレブス出身のデキウス・ムスとの間で激し論争繰り広げられ結果トリブス民会オグルニウス法として成立した。この法によりパトリキプレブス権利同一となり、新し支配階級であるノビレス形成加速された。

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護民官

出典:『Wiktionary』 (2021/08/20 23:44 UTC 版)

名詞

ごみんかん

  1. 古代ローマ共和制時代設置された平民保護する官職

翻訳

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