アップレイウス法
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「ガイウス・マリウス」の記事における「アップレイウス法」の解説
詳細は「ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌス」を参照 紀元前101年、凱旋式を終えたマリウスは慣例に従って軍団を解散したが、同じく慣例となっていた毎年の執政官就任についても継続するとした。マリウスは既に5年連続で執政官となっており、これほど長期間(5年間)もインペリウム保持者である執政官としてローマに君臨し続けた例はなく、その上に平時もそれを続ければマリウスによる独裁を容認する事を意味した。閥族派が再選に反対したのに対し、法務官ガイウス・セルウィリウス・グラウキア(英語版)、護民官サトゥルニヌスら民衆派は再選を支持した。 紀元前100年、マリウスは6度目の執政官に選出された。同僚執政官ルキウス・ウァレリウス・フラックスは、同僚執政官というよりも将軍の副官として従っていたという。同年に護民官サトゥルニヌスによって退役兵への農地分配を求めるアップレイウス法が民会に提出された。マリウスに従った軍団兵への恩賞や植民の奨励という建前こそあるものの、ラティフンディウムの解体を目指したグラックス兄弟の農地改革を想起させる内容から元老院は賛成しなかった。サトゥルニヌスは民衆が法案を承認した場合、マリウスも含めた元老院議員の全員が法律に賛同する宣言を立てる様に付帯条項を追加して承認を迫った。 元老院は侮辱的な要請には従わないとしたが、民会で決議が可決されるとマリウスが元老院でアップレイウス法に賛同する誓いを立てた。執政官が賛同した以上、元老院議員らは不満を持ちながらも農地法に賛同する誓いを立てざるを得なくなったが、例外的にマリウスと敵対するメテッルス・ヌミディクスだけは誓いを立てなかった。これを受けてサトゥルニヌスはメテッルス・ヌミディクスに「水と火と屋根を禁じる」という生存権剥奪の決議を行い、一部の平民は暴動を起こしてメテッルスを殺害しようとした。最初からマリウスとサトゥルニヌスはメテッルスの失脚を図っていたと見られており、メテッルス・ヌミディクスはロードス島に亡命した。
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