護民院とは? わかりやすく解説

護民院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/22 08:16 UTC 版)

護民院(ごみんいん、フランス語: Tribunat法制審議院とも)は、統領政府の政体を定める共和暦8年憲法によって国務院Conseil d'État)・立法院Corps législatif)・護憲元老院Sénat conservateur)とともにフランスに創設された4議会のうちの一つである。護民院は1800年1月1日、立法院と同時に正式に設置され、初代護民院議長には歴史家のピエール・クロード・フランソワ・ドヌー英語版が就任したが、独立志向が強く1802年にナポレオン・ボナパルトにより罷免された。護民院は五百人会の職務の一部を引き継いだが、専ら立法院の採決に先立って法案を審議することを任務とし[1]、法律の発案はなお国務院が行うものとされた[2]


  1. ^ 共和暦8年憲法25条、28条
  2. ^ 共和暦8年憲法52条
  3. ^ 共和暦8年憲法7条ないし9条
  4. ^ 共和暦8年憲法19条、20条
  5. ^ 共和暦8年憲法28条
  6. ^ 共和暦8年憲法29条
  7. ^ 共和暦8年憲法21条、28条
  8. ^ http://www.napoleon-series.org/research/government/legislation/c_tribunate.html
  9. ^ http://www.napoleon-series.org/research/government/legislation/c_constitution8.html#title3
  10. ^ http://www.napoleon-series.org/research/government/legislation/c_constitution12.html#title11


「護民院」の続きの解説一覧

護民院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/20 00:32 UTC 版)

共和暦12年憲法」の記事における「護民院」の解説

憲法修正により、護民院は、政府提出法案総会審議することができなくなったまた、憲法は、5年毎に護民院議員半数改選する定める。 1807年8月19日元老院決議により、護民院は完全に廃止され立法院法案審議係る委員会統合されることとなる。

※この「護民院」の解説は、「共和暦12年憲法」の解説の一部です。
「護民院」を含む「共和暦12年憲法」の記事については、「共和暦12年憲法」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「護民院」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「護民院」の関連用語

護民院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



護民院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの護民院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの共和暦12年憲法 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS