統領政府・第一帝政期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/22 08:13 UTC 版)
「立法院 (フランス)」の記事における「統領政府・第一帝政期」の解説
その後、ナポレオン・ボナパルトの統領政府期に共和暦8年憲法(1800年公布)により護民院(Tribunat)・護憲元老院(Sénat Conservateur)とともに三院制議会を構成する統治機構として立法院が設置された。立法院は総裁政府期に共和暦3年憲法によりフランス議会の下院として設置された五百人会に代わり設置されたが、専ら護民院の審議した法案を採決することを任務とした。立法院は共和暦10年憲法下でも存置されたが、その動きの遅さにいらだちを募らせたナポレオンにより第一帝政期の1804年に権限を大幅に剥奪された。立法院は結局ルイ18世により1814年6月4日に廃止され、代わって代議院(Chambre des députés)が設置された(なお、百日天下期にはこれとは異なる代議院(Chambre des représentants)が短期間設置された)。
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