憲法の護持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 19:18 UTC 版)
護憲元老院は、新体制の指導者である第一統領ナポレオンの直接的影響下に作り上げられた共和暦8年霜月22日憲法(1799年12月13日)によって創設された。ナポレオンはこの護憲元老院に違憲審査権を付与して新体制の要諦とした。 創設時の元老院は40歳以上の罷免されない(inamovible)議員60名から構成され、毎年2名の追加議員を10年間加え、通算して追加議員20名が加わった。この議会は民選議会ではなかった。憲法上シエイエスおよびロジェ・デュコは、統領の退任者として職権上創設時元老院議員となることができた。また憲法上両名は、憲法によって直接新規任命された第二統領カンバセレスおよび第三統領ルブランと協議の上、過半数に至る29名の創設時議員を選ぶことができた。この31名の創設時議員が残りの29名の創設時議員を選んだ。このように元老院議員は元老院が自ら選ぶものとされており、元老院議員が死亡して空席を生じたときは、第一統領、護民院および立法院の提示した候補者計3名の中から元老院が補充議員を選んだ。 ナポレオン時代の元老院は、シャルグラン(英語版)の改築によってリュクサンブール宮殿中央部に増設された半円形の議場に置かれ、憲法上会議は非公開とされた。創設時の護憲元老院は、革命諸議会の元議員(フランソワ・ド・ヌフシャトー(英語版)、ガラ(英語版)、ランジュイネ(英語版))から、科学者(モンジュ、ラグランジュ、ラセペード、ベルトレー)、哲学者(カバニス)、探検家のブーガンヴィル、画家のヴィアン、学士院会員までもが議席を占めた。
※この「憲法の護持」の解説は、「護憲元老院」の解説の一部です。
「憲法の護持」を含む「護憲元老院」の記事については、「護憲元老院」の概要を参照ください。
- 憲法の護持のページへのリンク