憲法の義務規定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:04 UTC 版)
「立憲主義#憲法上の国民の義務」も参照 憲法には、いくつかの義務規定がある。 近代憲法(立憲主義的憲法)は、国民の権利と国家の義務を規定するものである。すなわち国家に着目すると、国家が人の生来的な権利や自由を保障し、また国家が国民を支配する際の限界を示したものである。そのため、本来の意味での憲法的義務は、国家ないし権力を行使する者に対して課す「憲法を尊重し擁護する義務」(憲法尊重擁護義務)のみであり、憲法自体がこの義務を具体化した規定とも言いうる。日本では日本国憲法第99条が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」として、この義務を定める。 他方、国家は国民に対して様々な義務を課すが、それは人権相互の矛盾衝突を調整するため(公共の福祉)であり、法の支配の原理に基づいて、議会の立法によることを必要とし、国民の憲法上の権利を侵害しない範囲にとどまらなければならない。そして、一般に国民の義務は法令遵守義務(実定法上の義務)として存在し、憲法の人権規定の中で国民の義務を定める意義は薄い。そのため、憲法の中で定められた国民の義務は、具体的な法的義務としての意味はなく、国民に対する倫理的指針としての意味、あるいは、立法による義務設定の予告としての意味を持つにとどまる。 日本国憲法には、国民の義務として、教育の義務(26条2項)・勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)の3つを定めている。これらは一般に、「国民の憲法上の義務」あるいは「国民の三大義務」と呼ばれる。諸外国の憲法には、初期に近代成文憲法を制定したアメリカ・フランスを除き、人権規定の中に義務規定を置くものが多い。日本国憲法においても、人権規定を定めた第三章の中に義務規定を置き、その標題を「国民の権利及び義務」としている。 なお、この三大義務のうち「教育の義務」は、「保護する子女に普通教育を受けさせる」という保護者の義務であって、「子供が学校に行く義務」ではない。これは、形式的には国家に対する義務だが、実質的には子女に対する義務と解されるからである。 また、憲法は、この3つの義務以外にも12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」として、いわゆる人権保持の義務を定めている。これも、人権の歴史的意義と保持のための国民の責務を述べたものであって、精神的指針としての意味はあるものの、具体的な法的義務を国民に課したものではないと解されている。 かつて、大日本帝国憲法の下では、兵役の義務(20条)・納税の義務(21条)・教育の義務(憲法ではなく教育勅語により定められた)が「臣民の三大義務」と呼ばれ、この憲法の人権規定である第二章の標題は「臣民権利義務」とされた。大日本帝国憲法の下では、生来の自然権としての人権意識が希薄であった(全ての自由権は「法の定める範囲内で」と留保が付された。よって立法によりいくらでも制限出来た)ため、国民の国家に対する義務が強調され重視された。この3つの義務は、中でも特に重要な義務であるがゆえに、憲法(あるいは勅語)に定められたと捉えられた。
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