憲法の概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 07:47 UTC 版)
1780年に批准され、その大半はアダムズが起草したマサチューセッツ憲法は、アダムズの政治と社会に関する見解と密接に結びついて政府を構築していた。この憲法は特別の委員会で起草され、人民によって批准されたことでは最初の憲法だった。また両院制の議会、明白で他とは異なる行政府(拒否権が行使できるが、行政委員会によって拘束される)および独立した司法府があることでも最初のものだった。 アダムズはロンドンに居た1787年に『アメリカ諸邦憲法擁護論』と題する著作を出版した。この中でテュルゴーなどヨーロッパの著作家が国家政府の枠組みに関する悪意について書いていることを批判した。テュルゴーは貴族制を欠く国は両院制議会を持つ必要が無いと主張していた。共和制政府は「あらゆる権限を一極に、国の中心に」集めるものと考えた。アダムズはその著書で「裕福で、生まれが良く、有能な者であれば、上院で他の者とは別に置かれるべきであり、それで他の者が下院を支配することを妨げる」と提案した。歴史家のウッドは、合衆国憲法が批准される時までにアダムズは知性上不適切になっていたと主張した。この時までにアメリカの政治思想は、10年以上にわたる活発で探求的な議論と経験に基づく圧力を形成することで変化し、政府を社会的財産の鏡として理解する古典的政治概念を棄てていた。アメリカの新しい人民主権の考え方は人民全体を領域内における権力の唯一の所有者として見ていた。政府のあらゆる役人は人民の権力のほんの一部を限られた時間のみで享受する。アダムズはこの概念を見失っており、古い政治観に固執し続けていることを示している。しかしウッドはアダムズによる「共和国」の特別な定義と人民によって批准された憲法への支持を見落としている。また抑制と均衡についてのアダムズの信念も過小評価している。アダムズは「権力は権力に対抗し利益は利益に対抗しなければならない」と記しており、この考え方は後にジェームズ・マディソンの有名な『ザ・フェデラリスト』第51編で、新憲法下で連邦政府各府の権力を説明する際に、「大望は大望に対抗させるようにしなければならない」という文章で再現された。アダムズはその知的活動域の中で「抑制と均衡」という概念を他の誰よりも持っていた。
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