20世紀の日本における諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 22:10 UTC 版)
「硬性憲法」の記事における「20世紀の日本における諸説」の解説
美濃部達吉の1926年の著書によれば、次の学説が示されている。成文憲法を有する国においては、不文憲法の国と異なり、その改正が比較的困難であるのが普通である。そのため、学者によっては憲法を、硬性または固定制の憲法と、軟性または弾力性の憲法との二種類に区別する。硬性憲法とは、普通の立法手段で変更できない憲法であり、成文憲法は通常これに属する。軟性憲法とは、普通の立法と同じ方法で変更できる憲法であり、通常の法律と形式的な区別がないか、あるいは区別はあっても改正手続きに差異がないものである。しかし、両者は全くの反対のものではない。硬性憲法であっても国により改正の困難さは違いがあり、また慣習や判例や法令によって、形式的な改正がなくても憲法が自ら変遷することがあるのは避けられない。もう一方の軟性憲法も、実質が重要でありそれを尊重する感情があるため、固定制を持つ。要するに、硬軟の区別はただ程度の差である。(美濃部のこの論述は「改正が比較的困難」から導かれた内容である。) 浅井清の1929年の著作によれば、改正手続きの規定によって軟性憲法と硬性憲法に分類するという通説は皮相的な解釈で、誤りであるとされる。 宮沢俊義の1938年の著書によると、ブライスの定義は次の理由で不適切であるとされる。ブライスの定義では、フレキシブル・コンスティチューションをリジッド・コンスティチューションに対立させているが、これは実質概念(実質的意味)の憲法と成文法となっている憲法を対立概念とする「恐れ」がある。したがって、不適切な用語である。(宮沢はブライスの提唱の概念は把握した上で、用語として不適切と主張している。)宮沢は、以上の理由から、リジッド・コンスティチューションは通常の法律よりも強い形式的効力を持つ成文法となっているもの、一方のフレキシブル・コンスティチューションは通常の法律と同じ強さの成文法で憲法的規定であるもの、とする(浅井が誤りとした通説を正しい定義とする)のが「適当」であると主張した。(宮沢は後者の例は挙げず、また「憲法」と呼ばれる成文法はそもそも通常の法律よりも強いものだと、同文献で定義している。) 美濃部達吉の1948年の著書においては、成文憲法を有する国においては不文憲法の国よりも憲法は容易に変更されない。この特質を言い表すために、ブライスは、憲法に硬性または固定性の憲法と軟性または弾力性の憲法の二種類があるとした、と解説している。そして、成文憲法/不文憲法という名称は不正確となるため、硬性憲法軟性憲法の名称を妥当としたのだ、と、ブライスの論述内容を紹介している。 樋口陽一の1992年の著書では、改正手続きによって硬性憲法と軟性憲法を区別する立場を取りつつ、「(成典になっている)形式的意味の憲法がなくとも、通常の立法手続きよりも厳格な手続きによって始めて変更可能となる法規範としての実質的意味の憲法が存在していれば、そこには硬性憲法があるといってよい」として、軟性憲法については述べられず、分類方法としてではなく、硬性憲法の概念が拡大されている。また、「硬憲法性」という用語を提示し、その範疇として、硬性憲法、堅固に保護された条項、憲法改正限界論、憲法制定権、および憲法の変遷について論述している。 小嶋和司は、諸説を四種類に大別し、宮沢の意図的な転用がその後の日本憲法学において基本となったことを指摘している。
※この「20世紀の日本における諸説」の解説は、「硬性憲法」の解説の一部です。
「20世紀の日本における諸説」を含む「硬性憲法」の記事については、「硬性憲法」の概要を参照ください。
- 20世紀の日本における諸説のページへのリンク