学説の流転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 13:54 UTC 版)
この概念は日本に翻訳され導入されたが、日本の憲法学の歴史の中で様々に表現され、また派生語を創ってきた。以下、古いものから順に各論を併記する。 井上密は1897年の著書において、「実質上の憲法」と呼んだ。 美濃部は、1926年の著書において「実質ノ意義ニ於ケル憲法」あるいは、憲法という語の「実質的ノ意義」とし(「意義」は21世紀初頭の日本語では、「意味」あるいは「語義」に相当する。)、それに対して成文憲法を「形式ノ意義ニ於ケル憲法」とした。 浅井清は1929年の著書において、実質的憲法(Verfassung im materiellen Sinne)と形式的憲法(Verfassung im formellen Sinne)について解説した。 野村淳治は1937年の著書において「実質上の憲法」と呼んだ。 宮沢は、1938年の著書において、存在する国家には必然的に伴うものとして「憲法の固有の概念」と呼ぶことを提唱した。なお、宮沢は同じ著書の中で「実質概念としての憲法」という表現は使っているが、その説明はしていない。 宮沢は、1973年の著書では、実質的意味の憲法とは多くの成文法や不文法の内容として存在する国家の基礎法全体を意味すると述べた。 渡辺久丸は1983年の共著書において、次の定義を定説として紹介している。まず「固有の意味の憲法」という概念の説明として、「憲法を固有の意味でとらえるしかたは、どの教科書も一致している」と前書きし、例示として「憲法は、まず、国家の統治体制を定める基本法、いいかえれば、国の基礎的な組織に関する根本法を意味する」という定説が小林直樹の1967年の著述他、多くの文献に書かれていると紹介した。憲法を「国家の基本法」と定義するのは最も広い意味における憲法の概念であるとした。この概念を「学者が、固有の意味または本来の意味の憲法と呼ぶならわしになっている」とした。この概念よりも狭い概念として、立憲的意味の憲法がある、と示した。 渡辺は同書で前記とは別に、「実質的意味」について、実質的概念として憲法とは「国家の基本法たる性質を有する」法を指していう(不文憲法も含め)とした。いかなる法令などでも根本法たる性質を有するならば実質的意味の憲法である、とした。そして、根本法としては、「実質的意味の憲法」は「固有の意味の憲法」と概念的に一致し、着眼点が異なるだけだとした。そして、形式的憲法が実質的憲法をすべて取り込むことは不可能かつ不適当、と述べ、さらに「場合によっては実質的憲法(いわゆる憲法附属法令)」を重視すべき、と述べて、形式的憲法+憲法附属法令=実質的憲法という考えも示した。 芦部信喜は1992年の著書において、「固有の意味の憲法」とは、国の統治の基本に関する国家の基礎法を指し、「固有の意味の憲法」は国家が存在するところには必ず存在すると述べた。 芦部は1993年(初版)の著書において、特定の内容を持った法(不文含む)を実質的意味の憲法とした。そして実質的意味の憲法には二つのものがあるとして、「固有の意味の憲法」と「立憲的意味の憲法」を挙げた。さらに、憲法学の対象とする憲法とは、立憲的意味の憲法である、とした。(芦部は1980年から二年間、東京大学法学部の学部長を務めた権威である。) 樋口陽一は1992年の著書において、「『実質的意味の憲法』とは、いかなる社会でも問題となる基本的な統治制度の構造と作用を定めた法規範の総体を意味する。そのうち、何らかの一定の形式上の標識を備えた法規範を『形式的意味の憲法』と呼ぶ。さらに、その上で特定の実質内容をそなえた法規範を『近代的または立憲的意味の憲法』と呼ぶ」記述した。樋口は同書において「固有の意味」という語は使用していない。 佐藤潤一は2011年の論文において、また真次宏典は2014年の論文において、「実質的意味の憲法」と「固有の意味の憲法」を同じ概念を指す用語としている。
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