学説の変遷
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三郡変成帯を含め、西日本には変成岩の大きな分布帯が4つあることが知られていた。これは北から順に、富山から飛騨地方、福井を経て山陰地方の日本海沖に連なる飛騨変成帯、三郡変成帯、長野県南部から愛知、三重、奈良、瀬戸内地方・北四国から九州中部に連なる領家変成帯と、そのすぐ南に平行する三波川変成帯である。 飛騨変成帯と三郡変成帯は秋吉造山運動で形成され、領家変成帯と三波川変成帯はより新しい佐川造山運動で形成されたと考えられていた。 一般に、鉱物は生成する際の圧力と温度の組み合わせによって、中に含まれる結晶の構造や化学組成が変わるので、岩石に含有される鉱物や結晶構造を調べることで、その岩石がどのような環境で生成されたかを推測することができる。変成岩の場合、「高温・低圧」下でできたものと、「低温・高圧下」でできたものに大別される。 飛騨変成帯と領家変成帯は低圧高温型、三郡変成帯と三波川変成帯は高圧低温型の変成帯である。高温低圧型の変成岩は火山のマグマ溜まり付近で形成され、低温高圧型の変成岩はプレート境界で生成されると考えられている。 こうした学説は1940年代から提唱されるようになったが、その後に出てきたプレートテクトニクス仮説の後押しをすることになり、1970年代まで、日本内外で一般的に支持されてきた。 一方、実際の三郡帯の分布や形成年代の同定に関しては定まらない部分もあった。放射年代測定の技術が確立されると、1980年代から1990年代には従来の三郡帯は3つの変成帯に区別されるようになった。この説では、蓮華帯(三郡蓮華帯)、周防帯、智頭帯の3区分がある。 さらに2000年代になると、蓮華帯と周防帯の2区分が提唱されるようになった。これにしたがうと、西日本の広域変成帯は飛騨、蓮華、周防、領家、三波川の5帯が並走しているということになる。これらは約1億年おきにこの地域が高圧化におかれたことを示唆しており、日本列島が1億年周期で海嶺沈下と造山運動を繰り返してきたことの証左になると考えられている。しかし、いまだ不明な点が多い。
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学説の変遷
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1931年に刊行した『経営経済学』の出現は、当時の経営経済学界にとって画期的であった。この書で理論的経営経済学を学問的に体系づけ、理論的社会経済学の一分野として個別的資本の運動をそれ自体として研究する学である、という斬新な知見を開発した。特にマルクス経済学を基礎として、経済学の研究対象を個別資本の運動とする主張を日本で初めて提唱した。この個別資本学説は、『経営経済学』に展開された。この著述の公刊は、黒澤 清教授が述べるように、その影響力は遠く戦後にまで及び、批判経営学の名において、この仮説の演繹的展開を試みる者が少なくなかった。 1936年に刊行された『経営費用論』は,経営費用論の名を持つ日本における最初の書物である。その後、経営費用論という表題の書物がたくさん表れるようになったのであるが、今なお古典的名著であることを失っていないのである。『経営費用論』において、企業における資本循環を費用、収益、利益の関連過程として把握し、この意味でこの費用問題が経営経済理論の中心課題との観点に立って費用の本質を明らかにしている。個別資本学説は、『経営費用論』の第1章に残っている。 しかし、1952年には、理論的科学としての個別資本学説に自ら疑念を抱きその反省が必要であることを日本経営学会の公開席上で表明した。経営学的に実りなき個別運動の仮説を克服して、ここに新たなる中西経営学が展開されることとなる。この段階で、経営学を経営に関する技術的科学として基礎づけることが最も妥当であると主張する。ドイツにおける経営経済学の主流とアメリカの経営学は、この学を技術学として発展させ来たったものであると見たわけである。 現代経済を表徴する企業は,単なる私的存在ではない.現代企業はその存在と栄枯盛衰が、企業を取り囲んで社会的に広汎に分布している投資家、債権者、労働者、消費者または販売取引者、資材等の購入先、地域社会、行政機関等もろもろの社会集団の利害安危に密接かつ甚大な影響をもつ存在となっており、企業はいまや社会化された制度すなわち社会的存在と解釈されなければならない。それは、現代企業が社会経済の一環として、経済価値生産の増進と価値の公正な分配によって、社会全体の福祉welfareの増進に貢献するという企業の社会的任務を反映する存在だからである。そしてこれこそが現代企業の目的ないし存在理由(レーゾン・デートル)なのである。 中西寅雄の技術的科学としての経営学は、こうした経済発展の歴史的かつ理論的考察に基づく新しい企業観に立って、如何にして企業経営の合目的的な構成と運用を図るか、即ちそのための手段の系列は何か、を探索する学問として一貫して探索されている。後期中西経営学説(原価計算論、管理会計論を含む)は,このような特質をもつ壮大な学問体系である。
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