路線概説
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2005年(平成17年)4月1日より、当時の宮田町から補助を受け、宮田町北部の倉久・筑前山崎・中有木地区を経由して宮田役場と若宮町中心部の福丸を結ぶ「宮田町乗合バス」の運行を開始し、路線バスに参入した。この路線は2004年(平成16年)3月31日までJR九州バス直方線の支線として運行していたもので、JR九州バス撤退翌日の2004年4月1日から代替として西鉄バス筑豊が宮田町から補助を受け、宮田側の発着地を宮田町駅から宮田役場(現・宮若市役所)に変更した上で運行していた。2005年4月1日からは運行事業者がテクノ観光バスに変わり、2006年(平成18年)2月11日からは市町村合併により運行主体が宮若市となった。2006年4月1日、前日限りでジェイアール九州バスが撤退した宮田町駅と鞍手駅(鞍手郡鞍手町)を結ぶ路線の運行を開始し、運行路線は2路線となった。 2010年3月31日限りで2路線とも撤退した。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 03:50 UTC 版)
高速バス路線開設ブームの中、JR九州ではバス部門の強化のために高速バス運行にいくつか参入していた。この路線は、「ムーンライト号」に対抗する形で開設された路線である。 ただし、既に定着している「ムーンライト号」と全く同様の設定では立ち行かないと考えられ、大阪側での発着地は「ムーンライト号」の梅田に対して難波・堺とされたが、これにより南海電鉄バス(当時)も参入することになった。また、福岡側では天神への乗り入れに代わるものとして、前原市を起点とすることとなり、昭和自動車も参入することになった。 また、筑前前原駅から先は筑肥線を利用することで唐津市からの需要も取りこむことが考えられており、筑肥線には「サザンクロス博多号」とセットで割り引くという往復割引運賃も設定されていた。この往復割引乗車券と「サザンクロス博多号」の往復割引運賃を合計すると、既に昭和自動車が運行していた「サガンウェイ号」と同額になるように設定されていた。 しかし、天神を経由しないことに加え、営業力の差などから乗客数は低迷した。福岡においては南海電鉄の知名度は低く、JR九州バスの存在を知らない人もいるほどで、宣伝力も「ムーンライト号」には遠く及ばない状態であった。本路線が廃止された後に、「ムーンライト号」の利用者数が大きく伸びたという事象もなかった。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 20:58 UTC 版)
国頭村中心部の国頭村役場前の辺土名バス停を起点とし、東海岸の各地区とを結ぶ東線と、西海岸部の国道58号沿線の各地区とを結ぶ奥線の2路線がある。辺土名バス停は沖縄バス・琉球バス交通共同運行の67番・辺土名線終点の辺土名バスターミナルとは場所が異なり、同ターミナルより一区間隣の琉球バス交通・沖縄バス辺土名バス停と同じ場所に位置する。なお、運送区域としては国頭村内のほかに辺土名と大宜味村の辺土名高校の間が含まれているが、この区間は辺土名高校の通学者以外の利用はできない。 利用料金は区間により異なり、最小100円、最大750円。小学生、各種障害者手帳所持者とその介助者1名、運転履歴証明書所持者は半額。小学生未満と65歳以上は無料。2015年4月1日より、障がい者割引・運転免許自主返納者割引の導入と高齢者運賃無料化が行われた。一般向けの回数券・定期券はない。辺土名高校の通学利用者に限り、辺土名高校 - 各地間の定期券を発売する。 1月1日・2日は全線運休となる。 なお、2018年5月7日より10月末までの予定で両線とも通学時間帯の上下1本ずつを除きデマンドバスによる実証運行に置き換えられる。東線の楚洲 - 奥間及びやんばる学びの森経由はデマンドバスのみの運行となる。デマンドバスはそれぞれ4本ずつ設定され、奥線は比地大滝発着も設定される。その後同内容で2019年3月末まで実証運行期間を延長、さらに同年5月6日まで実証運行時のままの本数で運行され、5月7日より東線・奥線ともに定時運行2往復、デマンドバス2本の設定で運行されることになった。
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路線概説
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もともと大阪と有馬温泉を結ぶ路線は阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設を計画していたが、諸事情により宝塚 - 有馬の建設を断念したため、当路線が1948年7月15日より運行を開始した。かつては一般道路を経由していたが、1972年から1976年にかけて中国自動車道への載せ替えを経て、現在は全ての便が中国道を経由している。種別は途中の停留所には止まらない特急便と、新大阪と千里ニュータウンの2箇所に止まる急行便の2系統が運行されている。2008年8月31日までは宝塚インター、西宮名塩、西宮北インター、山口支所前、上山口、中野の各停留所にも止まる各停便も存在していた。また1989年6月から1996年7月までは西宮市北六甲台を経由する系統も設定されていた。2017年7月13日からは、外国人観光客増加の対応のため、大阪国際空港(伊丹空港)を経由する便が3往復設定され、直通便も増便された。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:15 UTC 版)
「ドリーム号 (東京 - 四国)」の記事における「路線概説」の解説
「ドリーム高松号」は、1989年10月14日に東京駅 - 高松駅間で運行を開始した。ジェイアールバス関東としては初めて四国に乗り入れた路線であり、四国旅客鉄道(JR四国)としては初の夜行路線で、なおかつジェイアール四国バス現存最古の高速路線である。当初は瀬戸中央自動車道と坂出駅を経由して高松駅に向かっていた。 四国高速バスとの関係は、高松発着の京阪神方面や四国内(こちらは共同運行)の系統とは対照的に競合関係になっている(名古屋方面、丸亀発着の阪神方面も同様)。 「ドリーム松山号」は1990年5月2日に東京駅 - 松山駅間で運行を開始した。同路線は1997年4月にジェイアールバス関東が運行を休止し、JR四国の単独運行となった。 「ドリーム高知号」は、1991年5月1日に東京駅 - 高知駅間で運行を開始した路線で、ドリーム号としては3番目の四国方面路線である。他の四国方面へ乗り入れるドリーム号と同様、瀬戸大橋経由であった。現在の「ドリーム高知・徳島号」はJRバスの路線では最長距離であり、在京バス事業者が定期的に運行する路線(いわゆる新高速乗合バス、臨時便を除く)でも最長距離である。「ドリーム松山号」の休止前は同路線がJRバス最長距離(民鉄系バス会社も含めると「はかた号」(西日本鉄道)、「萩エクスプレス」(防長交通)に次いで3番目)であった。 1999年11月22日より「ドリーム高松号」と「ドリーム松山号」を統合し、東京駅 - 高松駅・松山駅間の「ドリーム高松・松山号」として再出発。この際に再びJRバス関東が松山駅に乗り入れることとなった。2000年にはダブルデッカー車(三菱ふそう・エアロキング)が導入され、JR四国では初めてのダブルデッカー車となった。2001年12月には瀬戸中央自動車道経由から神戸淡路鳴門自動車道経由に変更され、現在の停車順となった。2006年4月からは東京ディズニーランド発着となっている。2013年3月11日には「ドリーム高松・松山号」は香川県内の停車を廃止、再び「ドリーム松山号」となった。この結果JRバス関東の香川県への定期乗り入れは消滅した。 一方、2001年7月1日より「ドリーム高知号」は明石海峡大橋経由になって、徳島県内の高速道路上のバスストップの上板バスストップ・脇町バスストップ・三好バスストップに停車するようになり、初めて徳島県にもドリーム号が乗り入れることになった。 2002年9月2日より「ドリーム高知号」は徳島駅経由になった。2004年12月17日より「ニュードリーム徳島・高松号」が新宿駅 - 徳島駅・高松駅間で運行を開始。2005年11月1日より、「ドリーム高知号」は高速鳴門・松茂に停車するようになり、同年12月1日からは愛称も「ドリーム徳島・高知号」に変更された。同時に「ニュードリーム徳島・高松号」は東京駅発着(新宿駅・中央道経由)に変更され、「ドリーム徳島・高松号」に変更されている。 さらに、2006年7月20日より「ドリーム徳島・高松号」は高松系統と徳島系統に系統分割されることになった。この際に高松系統の愛称が「ドリーム高松号」となり丸亀駅発着(2010年4月1日に観音寺駅に延長、丸亀駅乗り入れを廃止)になった。また、徳島系統は「ドリーム徳島号」を名乗り、徳島駅経由で阿南駅発着になった。「ドリーム徳島・高知号」については、徳島駅は経由せず、新たにはりまや橋と土成バスストップに停車することになった。この際に愛称の変更は行なわれていなかったが、2007年4月20日出発便より、愛称が「ドリーム高知号」に変更された。 「ドリーム高松号」は2020年7月31日の高松発、8月1日の東京発をもって運行休止、2021年4月1日には「ドリーム高知・徳島号」が廃止された。 バスタ新宿については、発着枠の関係で各便とも2号車以降は乗り入れできず通過となる。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/03 21:56 UTC 版)
六本松・油山団地間は南北方向に伸びている。六本松・下堤間は福岡県道557号東油山唐人線から100 - 200m東側に離れて並行し、下堤交差点で県道557号線と合流する。中央区内は道幅も広く、交通量も多いが、城南区に入ると徐々に道幅が狭くなる。 油山団地まではほとんどカーブがなく、ほぼ平坦で直線的であるが、城南区南部の油山団地を抜けると油山に入り、山道になる。終点の片江展望台で行き止まりになる。 並行する県道557号線に比べて道幅が広く、直線的で距離が短いため交通量は多い。特に南行き車線(油山方面)は1車線であるため、日中とくに夕方ラッシュ時の渋滞は慢性化している。 公共交通としては六本松・油山団地間を西鉄バスの路線が通っており、これが沿道地域のほぼ唯一の公共交通手段となっている。本道路の約1.5km西側には城南学園通りがほぼ平行しており、その地下を地下鉄七隈線(別府-梅林間)が通っている。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/04 03:50 UTC 版)
「日本専売公社小田原工場専用線」の記事における「路線概説」の解説
専用線のキロ程については、『民鉄要覧』の各年度版では1.0kmとして記載されているが、『専用線一覧』では0.8kmの専用側線となっているほか、免許申請の際に添付された理由書においては「約七七〇米の専用鉄道」と記載されている上、申請書類上では962mに書き換えた痕跡が残り、はっきりしていない。軌間については1,067mmで、全線が単線であった。専用鉄道としては珍しく、全線が直流1,500Vで電化されていたが、これは敷設当時の燃料事情が悪かったことや、小田急の機関車を借用することを考慮してのものとみられている。架線への給電は列車運行時にのみ行なわれた。 足柄駅構内に隣接して側線が2線敷設され、工場内には荷役ホームと機回し線が設けられた。車両修繕設備については、当初より小田急に委託していたため設けられていない。運転業務についても小田急が担当していた。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 02:26 UTC 版)
高速バス路線開設ブームの中、1989年5月2日に運行を開始した。東京~福井間は国鉄時代に急行「越前」が臨時列車に格下げされて以来、定期便による直行輸送機関が存在しておらず、競争相手がいない上に県庁所在地を結ぶ路線でもあることから、運行開始当初から毎日3台(各社1台ずつ)の運行体制で十分に採算が見込めると考えられていたことが伺える。 路線開設から1993年3月にJR西日本の夜行急行「能登」の発着地が福井まで延長されるまで、また2001年3月に「能登」の運転区間が短縮されてから2013年7月高速路線バス新制度施行による他社参入までの間、両都県を直通する唯一の公共交通機関となっていた。 2006年11月1日より京福バスと福井鉄道の2社で「昼特急」の運行を開始した。上りが朝7・8時台に県内各地に停車して、15時頃東京に到着するダイヤで、下りは12時前に東京を出発し、19時頃県内各地に到着するダイヤである。昼特急号は最繁忙期になる同年12月26日から2007年1月7日まで全面運休して夜行増便に対応した。なお、同年のゴールデンウイークの多客期には4列シートの車両を臨時に仕立てて運行された。 最繁忙期の増発については、1号と2号については運行会社が1号車を用意し、2号車以降は運行会社の配車状況に応じて自社またはもう一方の会社が用意する。3号と4号はJRの1台のみの運行で増車が行われないが、予約状況に応じて京福または福鉄が2号車以降を用意する場合がある。この場合、両社とも昼特急に充当する車両がなくなるため、前述のように4列シート車両を充当する。なお、夜行便2号車以降の増車分に関しては、番号末尾の車両で系列会社(福鉄観光等)の観光バスが充当されることがあり、その場合は予約時に「4列シート・便所なし」の案内が行われる。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:13 UTC 版)
初めて佐賀県発着となる夜行高速バス路線である。昭和自動車・阪急バスの起終点2社に加えて、西日本鉄道も参入しているが、これは西鉄バスに佐賀営業所(現:西鉄バス佐賀)があるからである。 路線開設時には観光キャンペーンが行なわれていたこともあり、2台で運行される日も多く、順調なスタートのように見えたが、次第に乗客は減少し、常時1台運行となり、それでも満席になることは少なくなってきた。 1990年11月には、中国自動車道を走行中の昭和自動車便で車両火災事故が発生、的確な避難誘導により死傷者はなかったものの、大きく燃え上がるバスの写真が報道され、路線イメージの低下に拍車をかける形となってしまった。また、この事故が発生したのは秋の連休中である上、唐津市では「唐津くんち」が行なわれている時期であるにもかかわらず、1台運行で乗客が20名程度しかいなかったことも明らかになってしまい、バスファンの間でも「サガンウェイ号」の不調ぶりが話題に上るようになってしまった。 結局、乗客が増加することはなく、1993年に運行を廃止することになった。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 15:24 UTC 版)
高速バス路線開設ブームの中、すでに運行されていたオレンジライナーえひめ号(大阪梅田 - 松山市駅)に対抗するかたちで新設された路線である。後発ということもあり、全く同一の設定では立ち行かないと考えられたことから、大阪側の起点を難波・堺に設定したため、西日本ジェイアールバスと当時のJR四国(現在のジェイアール四国バス)に加え、同じく当時の南海電気鉄道(現在の南海バス)も参入することになった。 愛称は、当時JR四国が行っていたキャンペーンのキャッチフレーズ「どっきん四国」からとったもので、行き先である「松山」をつけたものである。南海では「サザンクロス号」という統一愛称があったため、南海の発行するパンフレットでは「サザンクロス(どっきん)松山」となっていた。 しかし、利用状況が低迷したため、1998年2月限りで運行休止となった。当初1年間休止となっていたが、その後運行再開されることはなく、廃止となった。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 09:13 UTC 版)
高速バス路線開設ブームの中、JR九州ではバス部門の強化のために高速バス運行にいくつか参入していた。この路線は、地域内高速バスとして1989年に開設された路線である。 当初から乗車率は不振が続いた。嬉野温泉駅~嬉野インター以外にクローズドドアシステムは導入されていなかったため、区間利用者が多かったようである。また、高速道路を経由する区間が短く、全行程の半分以上が一般道経由だったため、60km弱の区間に所要時間は1時間以上かかっていた。その一方、車両はWC付3列シート車で、ハイデッカーながら長距離高速バスと比較して遜色ないものであった。 これといった利用促進策は行なわれず、1991年に減便・廃止という運命をたどってしまった。この区間における需要の根拠も当初より定かではなく、高速バス路線開設ブームに流される形で開設されてしまったという印象は否めない。
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路線概説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 13:41 UTC 版)
福岡市と都城市・宮崎市の間を九州自動車道・宮崎自動車道経由で結ぶ。西鉄・宮交・九州産交・JR九州バスの4社において1日28往復運行している。SUNQパスは全九州+下関版のみ利用可能(北部九州+下関版・南部九州版は使用不可)。 福岡市と宮崎市を結ぶ交通手段として航空機とほぼシェアを二分している(2004年度の実績ではバス45.3万人、航空50.3万人)。土日は、必ず続行が出る。ただ、出張などでは航空機に分があるとみられている。 一方、博多 - 宮崎間の鉄道は、JR九州が小倉経由の特急「にちりん」と、人吉・都城経由の急行「えびの」が運行されていたが、遠回りとなる「にちりん」は所要時間と運賃・料金面でフェニックス号に大きく劣り、「えびの」も本数が少なく非電化区間を通過するために所要時間面で劣勢に立たされたこともあり、対抗策を止め運行規模を縮小(「にちりん」の直通系統は1日2往復に減便、「えびの」は系統廃止)し、JR九州(後に分社化しJR九州バス)がフェニックス号の共同運行会社として参入、担当本数を増やしている。 ほかに、2000年代からは福岡市と宮崎市の間には数社がツアーバスを運行し、概ね「フェニックス」の通常運賃の半額程度の料金で利用可能であったが、2013年8月1日の高速ツアーバスの乗合バス化で一部が撤退した。現在では南九州観光バスが運行する「サンマリンライナー」と、山口運送 (宮崎県)(美登観光バス)が運行する「みとシティライナー」が新高速乗合バス化され運行を継続しているが、乗合化後の運賃値上げや「フェニックス」の運賃値下げのため「フェニックス」との運賃格差は縮小した。 国土交通省九州運輸局の統計 によると、「福岡 - 宮崎」路線(3系統、この調査時点では「たいよう」は運行開始前)合計の運送収入は20億円から21億円であり、九州における高速バスで首位(2004,05,06年度)または2位(07年度)に位置している。
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