生活満喫の時代
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1970年代後半から1980年代前半は、少女漫画が男性読者にも注目された時期であり、少女漫画の影響を受けた絵柄や心理描写が少年漫画にも波及し始めた。また作家の環境として貸本出版が消滅した代わりに、コミックマーケットなどの同人誌即売会が広がって作品発表とファン交流の場を与えた。作家の年齢層も上がっていった。また、漫画道具が多様になっている。昭和30年代にはカブラペンなどわずかだったが、1970年代には多様なペンとスクリーントーンが使われるようになっている。 また、1970年代以前より、子供向け番組の出演者「水森亜土」(あどタン)が人気となっており、あどタンの使う亜土文字や亜土言葉は少女の間で流行となっていた。1970年代の少女漫画では別冊少女フレンドに『UッK-UK-亜土ちゃん』や『あなたと亜土たんのおてまみ広場』が連載されていた。また、新少女漫画誌のブームが起き『りぼんデラックス』(1975年)『プチマーガレット』(1976年)『LaLa』(1976年)『リリカ』(1976年)『プチコミック』(1977年)『ちゃお』(1977年)『ぶ〜け』(1978年)『プリティプリティ』(1978年)などの雑誌が創刊されたほか、1978年には秋田書店の『ひとみ』も再創刊されている。 ペットでは1960年代に従来の番犬に代わって室内犬が人気となっていき、1970年代にはアニメシリーズの世界名作劇場より「フランダースの犬」(1975年)や「あらいぐまラスカル」(1977年)などの動物モノが登場して人気となった。少女漫画からは1977年に『ぼくの鈴ちゃん』(たかなししずえ)が、1978年に『おはよう!スパンク』(原作:雪室俊一、漫画:たかなししずえ)が登場し、後者は1981年にアニメ化されている。 またテレビアニメにおいては1970年に擬人化物である「みなしごハッチ」(1970年)が人気となって、その後も擬人化物のアニメが次々と製作されるようになり、少女漫画からも1975年に「なかよし」で擬人化犬ものの『わんころべえ』(あべゆりこ)が登場している。また、1978年には「LaLa」で猫耳ものの『綿の国星』(大島弓子)が登場し、1980年前後には若者の間で猫耳をファッションとして身に着けることが流行して社会現象となった。 また世界名作劇場以外でも西洋舞台の作品が登場した。1975年、『なかよし』に『キャンディ♡キャンディ』(原作:水木杏子、漫画:いがらしゆみこ)が登場して1976年にアニメ化され人気となった。また、1979年にはその後番組として東映魔女っ子シリーズからも西洋舞台の「花の子ルンルン」が登場し、その影響などによって「ルンルン気分」という言葉や「ルンルン」という擬音が広く流行した。一方、少年漫画では「ぶりっ子」という言葉が流行し、それに符合する女性アイドル松田聖子が人気となり、女学生にも聖子ちゃんカットが流行となった。松田聖子は1980年代における「少女期の拡大」の典型例とも言われている。少女漫画では例えば『りぼん』に『るんるんこりす姫』(みよし・らら、1981年-)が登場している。一方、ぶりっ子が増えることで反ぶりっ子感情も登場し、1981年には現役高校生作家による小説『1980アイコ十六歳』が登場してドラマ化および映画化され、1982年にはそれが週刊マーガレットで少女漫画化されている(作者は飯塚修子)。 また、1980年代初頭には「ウッソー」「ホントー」「カワユーイ」の三語が流行し、乱用する人が「三語族」(三語ちゃん)と揶揄されるほどであった。これらは少女漫画にも影響を与えていった。 1970年代中盤よりファッション誌の旅行特集によって女性の個人旅行が人気となり (アンノン族)、1977年にはコンパクトな初のオートフォーカスカメラであるジャスピンコニカ(コニカC35AF)が登場して女性にも人気となった。また、1975年にファッション誌「JJ」が登場してニュートラを初めとするブランドブームが起き、1981年にはブランド小説「なんとなく、クリスタル」がヒットしてブランド志向の若者は「クリスタル族」と呼ばれるようになった。少女漫画では1970年代後半より外国を舞台とした作品が減少していき、代わりにセレブ物の『有閑倶楽部』が登場して人気となった。 また、1982年に西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」がヒットすると、いかに日々の生活を満喫するかという価値観が広まり、フィクションよりも現実世界を追い求める風潮が強まった。女性はおいしい生活を求めて男を求めるようになり、「愛人バンク 夕ぐれ族」の登場によって援助交際が増加していった。この頃に青年漫画では「愛人」、ドラマでは「愛人バンク殺人事件」(土曜ワイド劇場内)が登場し、少女漫画でも『愛人志願落第生』(くさか里樹)が登場している。 また1980年には性豪ジャコモ・カサノヴァの伊米合作映画『カサノバ』が日本でも公開され、少女漫画では1983年にタラシヒーローの『東京のカサノバ』(くらもちふさこ)が登場して人気となった。「くらもちふさこ」はその後も三股ヒーローの『A-Girl』(1984年)などを出している。 またヤマハ音楽教室などによってピアノの普及が進んだことで、ピアノ物の少女漫画も登場し人気となった。これには1975年よりの『オルフェウスの窓』(池田理代子)や、1980年よりの『いつもポケットにショパン』(くらもちふさこ)がある。その後、1985年、若者の「お嬢さまブーム」が起きて直ぐに、ソ連の天才ピアニストのスタニスラフ・ブーニンが来日して人気となり、ブーニンはその追っかけの対象となったとされる(ブーニン現象)。 不良ブームも起きている。1968年よりアメリカの暴走族映画の影響を受けて日本映画からも「不良番長」シリーズが登場し、1971年にはスケバン物の「女番長シリーズ」も登場し、1973年にはヤクザ映画まで仁義物ではない「実録シリーズ」(「仁義なき戦い」など)が登場した。1970年代には不良少年がオートバイを手に入れ暴走族となって広域で徒党を組むようになり、また、1970年代後半には中学校や高等学校において先生などに対する校内暴力が増えていき問題となった。1980年代にはロングスカートが流行し、「なめ猫」や尾崎豊も登場、不良に憧れる少女が増加していていった。そんな空気の中で、少女漫画では不良ヒーローを据えた『ハイティーン・ブギ』(原作:後藤ゆきお、漫画:牧野和子、1977年-)や『ときめきトゥナイト』(池野恋、1982年-)、暴走族物の『ホットロード』(紡木たく、1985年-)が登場しヒットした。 また、原宿では1977年に歩行者天国(ホコ天)が設けられ、その後、派手な衣装を提供する「ブティック竹の子」やフィフティーズ・ルック(1950年代アメリカファッション)を提供する「ピンク・ドラゴン」(「クリームソーダ」ブランド等)が開業されると、ホコ天にディスコを踊る竹の子族やロカビリーを踊るローラー族が登場した。その後、原宿のホコ天を巻き込んだバンドブームがあり、少女漫画では『愛してナイト』(多田かおる、1981年)、『愛の歌になりたい』(麻原いつみ、1981年)、『プラスティック・ドール』(高橋由佳利、1983年)、『ダイヤモンド・パラダイス』(槇村さとる、1984年)、『アンコールが3回』(くらもちふさこ、1985年)、『3-THREE-』(惣領冬実、1988年)などのバンド物が登場した。 そのほか、日本でもギャルが台頭した。1975年にアメリカ西海岸(ウェスト・コースト)のスポーツ文化(スキー、テニス、ドライブ、サーフィンなど)を特集する男性誌「POPEYE」が登場して少年に人気となり、1978年には少女向けでもアメリカ西海岸のギャル文化を特集をする「ギャルズライフ」(主婦の友社)が登場した。1980年にはその増刊として少女漫画誌の『ギャルズコミック』(後の『ギャルコミ』)も登場している。また、旧来の少女漫画誌でもアメリカ西海岸を舞台したものが多数登場して人気となっていった。これには1969年より「別冊少女コミック」で連載されたサンディエゴ舞台の『カリフォルニア物語』(吉田秋生)、1980年より「LaLa」で連載されたロサンゼルス舞台の『エイリアン通り』(成田美名子)、1981年より「別冊少女コミック」で連載されたロサンゼルス舞台の『ファミリー!』(渡辺多恵子)などがある。 しかしながらギャルズライフはだんだんヤンキー路線を取るようになっていき、1980年代初頭に新たなギャル雑誌「Popteen」「キャロットギャルズ」「まるまるギャルズ」などが登場すると、1984年にはギャル雑誌を標的とした図書規制法が立案され、法案が成立しなかったもののギャル雑誌の衰退するきっかけとなった。「ギャルズライフ」はリニューアルして「ギャルズシティ」となったものの約一年で休刊となり、その後、その増刊だった『ギャルコミ』も休刊した。 またスパイ・アクションも台頭している。1964年にスパイ・アクション映画「007/危機一発」が日本でも上映されヒットし、1970年に「007 ロシアより愛をこめて」として再上映されていた。少女漫画では1976年よりスパイ・アクション漫画の『エロイカより愛をこめて』(青池保子)が登場して人気となったほか、1978年より連載の人気ナンセンスギャグ漫画『パタリロ!』(魔夜峰央)にもスパイのバンコラン少佐が登場している。 1974年には宇宙SFのテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が登場し、1978年には宇宙SF映画「スター・ウォーズ」が日本でも上映され、宇宙SF物がブームとなった。この頃の少女漫画では『11人いる!』(萩尾望都、1975年-)、『最終戦争シリーズ』(山田ミネコ、1977年-)、『樹魔・伝説』(水樹和佳、1979年-)、『ブレーメン5』(佐々木淳子、1980年-)などのSF物が登場している。 また1970年代後半にはオカルトブームの中から欧米のニューエイジという思想が精神世界という名前で日本にも広まった。少女漫画では1983年に植物の精神世界へと入って戦う『ダークグリーン』(佐々木淳子)が登場している。 狼男のブームも起きている。1980年代初頭にアメリカ映画から「ハウリング」「ウルフェン」「狼男アメリカン」「狼の血族」などの狼男ものが登場し、少女漫画からも1984年に『ムーン・ライティング』(三原順)が登場した。 1970年代前半に中学校と高等学校でのクラブ活動の必修化が行われ、学校では漫画研究会(漫研)部が増えていった。また1974年の高校進学が90%に達している。1975年には漫画批評集団「迷宮」によって「コミックマーケット」が立ち上げられた。コミックマーケットでは当初少女漫画の同人誌が流行していたものの、新漫画誌の創刊ブームが起きたことで第一世代の作家が『LaLa』などの新興商業誌に流れていったとされる。また少年愛でもコミケの流れを汲むニューウェーブとして「花の24年組」の少年愛路線を引き継いだ耽美派商業雑誌「JUNE」(1978年)や「ALLAN」(1980年)が登場した。一方、コミックマーケットでは作家の入れ替わりによってアニメのパロディ(アニパロ)漫画が台頭し、1982年にはアニパロ中心の商業漫画誌「アニパロコミックス」が登場した。アニパロでは少年アニメなどをパロディしたショタ物の「やおい漫画」だけでなく少女アニメなどをパロディしたロリ物の「ロリコン漫画」も登場しており、その流れで生まれた商業ロリコン漫画誌の一つ「プチ・パンドラ」(1984年)は後の少女漫画家武内直子にも影響を与えている。 また、同時代には商業漫画でもパロディ物が登場するようになった。少年漫画では「月光仮面」のパロディ漫画「けっこう仮面」(1974年-)などが登場して人気となり、少女漫画でも「伊賀の影丸」のパロディ漫画『伊賀野カバ丸』(亜月裕、1979年-)が登場して人気となった。 1970年代より宅配便が発展したり、マイコン技術による多品種小量生産が広がっていき、ビデオやウォークマンという個人化的製品がヒット、軽薄短小や分衆という言葉が誕生した。1978年に新興誌「クロワッサン」が「女の新聞」としてリニューアルされ、クロワッサンによって離婚を含めたシングル謳歌が流行していった(クロワッサン症候群)。1979年には「キャリアウーマン」が流行語となり、また、同年にはハーレクイン小説の日本語版も登場している。1980年には女性向け就職情報誌とらばーゆが誕生し、「とらばーゆする」が流行語となった。1980年代日本の貿易黒字が世界最高になり、1986年の男女雇用機会均等法の施行で女性の職業選択の幅も広がった。そんな中で1980年代半ばにはOL向け女性漫画誌の『オフィスユー』が登場している。 一方、主婦向けのドラマでは「金曜日の妻たちへ」(1983年)や「くれない族の反乱」(1984年)のような不倫物が流行して「金妻症候群」や「金妻する」や「くれない族」が流行語となり、1984年には離婚家庭の増加によって離婚家庭が死別家庭を上回り、1985年には小説「家庭内離婚」が登場して翌1986年にそれがドラマ化され同語が流行語となり、同1986年には「タンスにゴン」のCMから「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピーが登場して流行語となった。この頃に大人の女性向けの漫画が成長。レディースコミック、ヤング・レディースがジャンルとして確立した。 また1980年代に入ると、学校では教師に対する暴力問題が減るに伴ってネクラに対するいじめ問題が注目され、1980年代中盤には正義感のあるスケバン物が登場した。ドラマでは『花とゆめ』に連載されていた『スケバン刑事』(和田慎二)がテレビドラマ化されて人気となり、その対抗としてオリジナルテレビドラマ「セーラー服反逆同盟」も登場し、その後も『月刊ASUKA』に『花のあすか組!』(高口里純)が登場してテレビドラマ化されている。 また、1983年にフジテレビのゴールデンタイムのドラマ枠「月曜ドラマランド」が登場し、その枠で4コマ漫画や少女漫画のドラマ化が行われるようになった。初期のドラマ化された少女漫画作品には『あんみつ姫』(倉金章介)と『うっふんレポート』(弓月光)が存在する。 その後、1985年にはフジテレビで高校生アイドルオーディション番組「夕やけニャンニャン」が始まり、その番組の中でアイドルグループ「おニャン子クラブ」が結成された。デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」がヒットし、この頃にブルセラショップが誕生して90年代に掛けて増えていく。一方、学校ではDCブランドブームによってブレザー型の制服へのモデルチェンジが進んでいった。ドラマ枠「月曜ドラマランド」では「おニャン子クラブ」を起用して少女漫画の『有閑倶楽部』(一条ゆかり)、『ピンクのラブソング』(飯塚修子)、『ないしょのハーフムーン』(赤石路代)などがドラマ化された。 1987年には「おニャン子クラブ」から工藤静香がソロデビューを果たして人気となり、少女漫画からは工藤静香似の主人公の『マリンブルーの風に抱かれて』(矢沢あい)が登場した。 また、1970年代のオカルトブームは、1980年代に前世ブーム(戦士症候群)となった。少女漫画では1986年にそれをモチーフとした『ぼくの地球を守って』(日渡早紀) が登場して人気となり、その後そのフォロワーとして『シークエンス』(みずき健)などが登場した。この前世ブームによって少女の自殺未遂事件も起きている。 また、1981年にはニューハーフの六本木美人「松原留美子」がデビューして「ニューハーフ」という言葉が定着した。このニューハーフブーム受けて、少年漫画から同年に「ストップ!! ひばりくん!」が登場し人気となった。少女漫画からは1983年に『前略・ミルクハウス』(川原由美子)が、1986年に『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)が登場している(男の娘#漫画)。 1977年にはイタリアのホラー映画「サスペリア」が、1979年にはアメリカのホラー映画「ハロウィン」が、1981年にはカナダのホラー映画「プロムナイト」が日本でも上映され、また1977年には日本映画からホラーコメディ映画の「ハウス」が登場し、ホラービデオでは1986年にトロマ・エンターテインメントが「ホラー・パーティ」を出していた。少女漫画や女性漫画では1985年に朝日ソノラマが「ホラー・オカルト少女マンガ」誌『ハロウィン』を、1986年に大陸書房が「ホラー少女コミック」誌『ホラーハウス』を、1986年に近代映画社が「ファンタスティック&ホラーマンガ」誌『プロムナイト』を、1987年に秋田書店が「100%恐怖コミック」誌『サスペリア』を、1988年に主婦と生活社がホラー誌『ホラーパーティー』を創刊した。 また1980年代後半には『ミステリー La comic』(後のラ・コミック、1985年-)『ミステリーJour Special』(1986年)『ミステリーボニータ』(1988年-)『セリエミステリー』(1988年)『Mystery I』(1988年)『BE・LOVE ミステリー』(1989年-)『Sakura mystery』(後のミステリーサラ、1989年-)などミステリーと名の付く少女漫画誌や女性漫画誌も多数登場している。 また、少年漫画にも高橋留美子を皮切りに女性漫画家が進出、少女漫画の読者層であった少女たちも少年漫画や青年漫画を読むことが一般的になっていった。これによって、少女漫画の手法や少女漫画的なテーマが少年漫画の世界にも広く普及することになった。 1986年には青年漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」と「コミックモーニング」が週刊誌化され、青年漫画が大きく成長したことによって、くじらいいく子や山下和美や岡野玲子のように青年漫画を手がける女性少女漫画作家も登場した。
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