生活満喫の時代とは? わかりやすく解説

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生活満喫の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:10 UTC 版)

少女漫画」の記事における「生活満喫の時代」の解説

1970年代後半から1980年代前半は、少女漫画男性読者にも注目され時期であり、少女漫画影響受けた絵柄心理描写少年漫画にも波及し始めた。また作家環境として貸本出版消滅した代わりにコミックマーケットなどの同人誌即売会広がって作品発表ファン交流の場与えた作家年齢層上がっていった。また、漫画道具多様になっている。昭和30年代にはカブラペンなどわずかだったが、1970年代には多様なペンスクリーントーン使われるようになっているまた、1970年代以前より、子供向け番組出演者水森亜土」(あどタン)が人気となっており、あどタンの使う亜土文字や亜土言葉少女の間で流行となっていた。1970年代少女漫画では別冊少女フレンドに『UッK-UK-亜土ちゃん』や『あなたと亜土たんのおてまみ広場』が連載されていた。また、少女漫画誌のブーム起きりぼんデラックス』(1975年)『プチマーガレット』(1976年)『LaLa』(1976年)『リリカ』(1976年)『プチコミック』(1977年)『ちゃお』(1977年)『ぶ〜け』(1978年)『プリティプリティ』(1978年)などの雑誌創刊されたほか、1978年には秋田書店の『ひとみ』も再創刊されている。 ペットでは1960年代従来番犬に代わって室内人気となっていき、1970年代にはアニメシリーズ世界名作劇場より「フランダースの犬」(1975年)や「あらいぐまラスカル」(1977年)などの動物モノ登場して人気となった少女漫画からは1977年に『ぼくの鈴ちゃん』(たかなししずえ)が、1978年に『おはよう!スパンク』(原作雪室俊一漫画たかなししずえ)が登場し後者1981年アニメ化されている。 またテレビアニメにおいては1970年擬人化物である「みなしごハッチ」(1970年)が人気となってその後擬人化物のアニメ次々と製作されるようになり、少女漫画からも1975年に「なかよし」で擬人化ものの『わんころべえ』(あべゆりこ)が登場している。また、1978年には「LaLa」で猫耳ものの『綿の国星』(大島弓子)が登場し1980年前後には若者の間で猫耳ファッションとして身に着けることが流行して社会現象となった。 また世界名作劇場以外でも西洋舞台作品登場した1975年、『なかよし』に『キャンディ♡キャンディ』(原作水木杏子漫画いがらしゆみこ)が登場して1976年アニメ化され人気となったまた、1979年にはその後番組として東映魔女っ子シリーズからも西洋舞台の「花の子ルンルン」が登場しその影響などによって「ルンルン気分」という言葉や「ルンルン」という擬音広く流行した一方少年漫画では「ぶりっ子」という言葉流行し、それに符合する女性アイドル松田聖子人気となり、女学生にも聖子ちゃんカット流行となった松田聖子1980年代における「少女期拡大」の典型例とも言われている。少女漫画では例えば『りぼん』に『るんるんこりす姫』(みよし・らら、1981年-)が登場している。一方ぶりっ子増えることで反ぶりっ子感情登場し1981年には現役高校生作家による小説1980アイコ十六歳』が登場してドラマ化および映画化され1982年にはそれが週刊マーガレット少女漫画化されている(作者飯塚修子)。 また、1980年代初頭には「ウッソー」「ホントー」「カワユーイ」の三語が流行し乱用する人が「三語族」(三語ちゃん)と揶揄されるほどであった。これらは少女漫画にも影響与えていった。 1970年代中盤よりファッション誌旅行特集によって女性個人旅行人気となり (アンノン族)、1977年にはコンパクトな初のオートフォーカスカメラであるジャスピンコニカ(コニカC35AF)が登場して女性にも人気となったまた、1975年ファッション誌JJ」が登場してニュートラ初めとするブランドブームが起き1981年にはブランド小説なんとなく、クリスタル」がヒットしてブランド志向若者は「クリスタル族」と呼ばれるようになった少女漫画では1970年代後半より外国舞台とした作品減少していき、代わりにセレブ物の『有閑倶楽部』登場して人気となったまた、1982年西武百貨店キャッチコピーおいしい生活」がヒットすると、いかに日々の生活満喫するかという価値観広まりフィクションよりも現実世界追い求める風潮強まった女性おいしい生活求めて男を求めるようになり、「愛人バンク 夕ぐれ族」の登場によって援助交際増加していった。この頃青年漫画では「愛人」、ドラマでは「愛人バンク殺人事件」(土曜ワイド劇場内)が登場し少女漫画でも『愛人志願落第生』(くさか里樹)が登場している。 また1980年には性豪ジャコモ・カサノヴァの伊米合作映画カサノバ』が日本でも公開され少女漫画では1983年にタラシヒーローの『東京カサノバ』(くらもちふさこ)が登場して人気となった。「くらもちふさこ」はその後三股ヒーローの『A-Girl』(1984年)などを出している。 またヤマハ音楽教室などによってピアノ普及進んだことで、ピアノ物の少女漫画登場し人気となった。これには1975年よりの『オルフェウスの窓』(池田理代子)や、1980年よりの『いつもポケットにショパン』(くらもちふさこ)がある。その後1985年若者の「お嬢さまブーム」が起きて直ぐにソ連天才ピアニストスタニスラフ・ブーニン来日して人気となり、ブーニンはその追っかけ対象となったとされるブーニン現象)。 不良ブーム起きている。1968年よりアメリカ暴走族映画影響受けて日本映画からも「不良番長シリーズ登場し1971年にはスケバン物の女番長シリーズ」も登場し1973年にはヤクザ映画まで仁義物ではない「実録シリーズ」(「仁義なき戦い」など)が登場した1970年代には不良少年オートバイ手に入れ暴走族となって広域徒党を組むようになり、また、1970年代後半には中学校高等学校において先生など対す校内暴力増えていき問題となった1980年代にはロングスカート流行し、「なめ猫」や尾崎豊登場不良に憧れ少女増加してていった。そんな空気の中で、少女漫画では不良ヒーロー据えたハイティーン・ブギ』(原作後藤ゆきお、漫画牧野和子1977年-)や『ときめきトゥナイト』(池野恋1982年-)、暴走族物のホットロード』(紡木たく1985年-)が登場しヒットしたまた、原宿では1977年歩行者天国ホコ天)が設けられその後派手な衣装提供するブティック竹の子」やフィフティーズ・ルック(1950年代アメリカファッション)を提供するピンク・ドラゴン」(「クリームソーダブランド等)が開業されると、ホコ天ディスコを踊る竹の子族ロカビリーを踊るローラー族登場したその後原宿ホコ天巻き込んだバンドブームがあり、少女漫画では『愛してナイト』(多田かおる1981年)、『愛の歌なりたい』(麻原いつみ1981年)、『プラスティック・ドール』(高橋由佳利1983年)、『ダイヤモンド・パラダイス』(槇村さとる1984年)、『アンコール3回』(くらもちふさこ1985年)、『3-THREE-』(惣領冬実1988年)などのバンド物が登場したそのほか日本でもギャル台頭した1975年アメリカ西海岸ウェスト・コースト)のスポーツ文化スキーテニスドライブサーフィンなど)を特集する男性誌POPEYE」が登場して少年人気となり、1978年には少女向けでもアメリカ西海岸ギャル文化特集をする「ギャルズライフ」(主婦の友社)が登場した1980年にはその増刊として少女漫画誌の『ギャルズコミック』(後の『ギャルコミ』)も登場している。また、旧来の少女漫画誌でもアメリカ西海岸舞台したもの多数登場して人気となっていった。これには1969年より「別冊少女コミック」で連載されサンディエゴ舞台の『カリフォルニア物語』(吉田秋生)、1980年より「LaLa」で連載されロサンゼルス舞台の『エイリアン通り』(成田美名子)、1981年より「別冊少女コミック」で連載されロサンゼルス舞台の『ファミリー!』(渡辺多恵子)などがある。 しかしながらギャルズライフはだんだんヤンキー路線を取るようになっていき、1980年代初頭新たなギャル雑誌Popteen」「キャロットギャルズ」「まるまるギャルズ」などが登場すると、1984年にはギャル雑誌標的とした図書規制法立案され、法案成立しなかったもののギャル雑誌衰退するきっかけとなった。「ギャルズライフ」はリニューアルして「ギャルズシティ」となったものの約一年休刊となり、その後、その増刊だった『ギャルコミ』も休刊した。 またスパイ・アクションも台頭している。1964年スパイ・アクション映画007/危機一発」が日本でも上映されヒットし1970年に「007 ロシアより愛をこめて」として再上映されていた。少女漫画では1976年よりスパイ・アクション漫画『エロイカより愛をこめて』青池保子)が登場して人気となったほか、1978年より連載人気ナンセンスギャグ漫画『パタリロ!』魔夜峰央)にもスパイバンコラン少佐登場している。 1974年には宇宙SFテレビアニメ宇宙戦艦ヤマト」が登場し1978年には宇宙SF映画スター・ウォーズ」が日本でも上映され宇宙SF物ブームとなったこの頃少女漫画では『11人いる!』萩尾望都1975年-)、『最終戦争シリーズ』(山田ミネコ1977年-)、『樹魔・伝説』(水樹和佳1979年-)、『ブレーメン5』(佐々木淳子1980年-)などのSF物登場している。 また1970年代後半にはオカルトブームの中から欧米ニューエイジという思想精神世界という名前で日本にも広まった少女漫画では1983年植物の精神世界へと入って戦う『ダークグリーン』(佐々木淳子)が登場している。 狼男ブーム起きている。1980年代初頭アメリカ映画から「ハウリング」「ウルフェン」「狼男アメリカン」「狼の血族」などの狼男ものが登場し少女漫画からも1984年に『ムーン・ライティング』(三原順)が登場した1970年代前半中学校高等学校でのクラブ活動必修化が行われ、学校では漫画研究会(漫研)部が増えていった。また1974年高校進学90%に達している。1975年には漫画批評集団「迷宮」によって「コミックマーケット」が立ち上げられた。コミックマーケットでは当初少女漫画同人誌流行していたものの、新漫画誌創刊ブーム起きたことで第一世代作家が『LaLa』などの新興商業誌流れていったとされる。また少年愛でもコミケ流れを汲むニューウェーブとして「花の24年組」の少年愛路線引き継いだ耽美派商業雑誌JUNE」(1978年)や「ALLAN」(1980年)が登場した一方コミックマーケットでは作家入れ替わりによってアニメパロディアニパロ漫画台頭し1982年にはアニパロ中心商業漫画誌アニパロコミックス」が登場したアニパロでは少年アニメなどをパロディしたショタ物の「やおい漫画」だけでなく少女アニメなどをパロディしたロリ物のロリコン漫画」も登場しており、その流れ生まれた商業ロリコン漫画誌の一つプチ・パンドラ」(1984年)は後の少女漫画家武内直子にも影響与えている。 また、同時代には商業漫画でもパロディ物が登場するようになった少年漫画では「月光仮面」パロディ漫画けっこう仮面」(1974年-)などが登場して人気となり、少女漫画でも「伊賀の影丸」のパロディ漫画伊賀野カバ丸』(亜月裕1979年-)が登場して人気となった1970年代より宅配便発展したり、マイコン技術による多品種小量生産広がっていき、ビデオやウォークマンという個人化的製品ヒット軽薄短小分衆という言葉誕生した1978年新興誌「クロワッサン」が「女の新聞」としてリニューアルされ、クロワッサンによって離婚含めたシングル謳歌流行していった(クロワッサン症候群)。1979年には「キャリアウーマン」が流行語となり、また、同年にはハーレクイン小説日本語版も登場している。1980年には女性向け就職情報誌とらばーゆ誕生し、「とらばーゆする」が流行語となった1980年代日本の貿易黒字世界最高になり、1986年男女雇用機会均等法施行女性職業選択の幅も広がったそんな中1980年代半ばにはOL向け女性漫画誌の『オフィスユー』が登場している。 一方主婦向けのドラマでは「金曜日の妻たちへ」(1983年)や「くれない族の反乱」(1984年のような不倫物が流行して金妻症候群」や「金妻する」や「くれない族」が流行語となり、1984年には離婚家庭増加によって離婚家庭死別家庭上回り1985年には小説家庭内離婚」が登場して1986年にそれがドラマ化され同語流行語となり、同1986年には「タンスゴン」のCMから「亭主元気で留守が良い」というキャッチコピー登場して流行語となったこの頃大人女性向け漫画成長レディースコミックヤング・レディースジャンルとして確立した。 また1980年代に入ると、学校では教師対す暴力問題が減るに伴ってネクラ対すいじめ問題注目され1980年代中盤には正義感のあるスケバン物が登場したドラマでは『花とゆめ』に連載されていた『スケバン刑事』(和田慎二)がテレビドラマ化され人気となり、その対抗としてオリジナルテレビドラマ「セーラー服反逆同盟」も登場しその後も『月刊ASUKA』に『花のあすか組!』(高口里純)が登場してテレビドラマ化されている。 また、1983年フジテレビゴールデンタイムドラマ枠月曜ドラマランド」が登場し、その4コマ漫画少女漫画ドラマ化が行われるようになった初期ドラマ化された少女漫画作品には『あんみつ姫』(倉金章介)と『うっふんレポート』(弓月光)が存在するその後1985年にはフジテレビ高校生アイドルオーディション番組夕やけニャンニャン」が始まり、その番組の中でアイドルグループおニャン子クラブ」が結成された。デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」がヒットしこの頃ブルセラショップ誕生して90年代掛けて増えていく。一方学校ではDCブランドブームによってブレザー型の制服へのモデルチェンジ進んでいった。ドラマ枠月曜ドラマランド」では「おニャン子クラブ」を起用して少女漫画『有閑倶楽部』一条ゆかり)、『ピンクラブソング』(飯塚修子)、『ないしょのハーフムーン』(赤石路代)などがドラマ化された。 1987年には「おニャン子クラブ」から工藤静香ソロデビュー果たし人気となり、少女漫画からは工藤静香似の主人公の『マリンブルーの風に抱かれて』(矢沢あい)が登場したまた、1970年代オカルトブームは、1980年代前世ブーム戦士症候群となった少女漫画では1986年にそれをモチーフとした『ぼくの地球を守って』(日渡早紀) が登場して人気となり、その後そのフォロワーとして『シークエンス』(みずき健)などが登場したこの前ブームによって少女自殺未遂事件起きている。 また、1981年にはニューハーフ六本木美人松原留美子」がデビューして「ニューハーフ」という言葉定着した。このニューハーフブーム受けて少年漫画から同年に「ストップ!! ひばりくん!」が登場し人気となった少女漫画からは1983年に『前略・ミルクハウス』(川原由美子)が、1986年に『ここはグリーン・ウッド』(那州雪絵)が登場している(男の娘#漫画)。 1977年にはイタリアホラー映画サスペリア」が、1979年にはアメリカホラー映画ハロウィン」が、1981年にはカナダホラー映画プロムナイト」が日本でも上映され、また1977年には日本映画からホラーコメディ映画の「ハウス」が登場し、ホラービデオでは1986年トロマ・エンターテインメントが「ホラー・パーティ」を出していた。少女漫画女性漫画では1985年朝日ソノラマが「ホラー・オカルト少女マンガ」誌『ハロウィン』を、1986年大陸書房が「ホラー少女コミック」誌『ホラーハウス』を、1986年近代映画社が「ファンタスティック&ホラーマンガ」誌『プロムナイト』を、1987年秋田書店が「100%恐怖コミック」誌『サスペリア』を、1988年主婦と生活社ホラー誌『ホラーパーティー』を創刊した。 また1980年代後半には『ミステリー La comic』(後のラ・コミック、1985年-)『ミステリーJour Special』(1986年)『ミステリーボニータ』(1988年-)『セリエミステリー』(1988年)『Mystery I』(1988年)『BE・LOVE ミステリー』(1989年-)『Sakura mystery』(後のミステリーサラ1989年-)などミステリーと名の付く少女漫画誌や女性漫画誌も多数登場している。 また、少年漫画にも高橋留美子皮切りに女性漫画家が進出少女漫画読者層であった少女たちも少年漫画青年漫画を読むことが一般的になっていった。これによって、少女漫画の手法や少女漫画的なテーマ少年漫画世界にも広く普及することになった1986年には青年漫画誌ビッグコミックスピリッツ」と「コミックモーニング」が週刊誌化され青年漫画大きく成長したことによって、くじらいいく子山下和美岡野玲子のように青年漫画手がける女性少女漫画作家登場した

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