DCブランドブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:12 UTC 版)
1970年代末、1970年代前半に散見された既製服の画一化傾向が顕在化し、業界の停滞と商機減少に対して、1960年代まで日常的であった、個々の家庭での自作服および街中の洋装店での注文服による多様性と個性とを新たな方法によって復活させ、そこに商機の活路を見出すことが図られた。この方法自体、結果論では一般的流行の反復的社会現象であるが、口コミ的な広告が特徴的であり、具体例として「an・an」や「non-no」、「MORE」、「DANSEN(男子専科)」などファッション専門誌によって積極的に限られた数社のブランドが紹介されるという方法がとられた。この方法は功を奏し、その後「週刊女性」や「POPEYE」など一般誌も特集として取り上げ、全国の一般層に広まった。そして、ブームの当初は路面店やパルコなどに限られていた販売の場は、購買層からのニーズによって、伊勢丹の試行的な特設セールを経て、丸井や各百貨店でもテナントとして常設されて拡張していった。なお、これと同時にこれらDCブランドのショップの販売員が「ハウスマヌカン」という名称で取り上げられ、一時期、人気職種となったこともある。当時、ニコルなど中堅企業の新入社員向け会社説明会は中規模コンサートホールで行われるほど希望者があふれ、DCブランド企業は注目されていた。 ブームは1980年頃から1987年頃までで、特にMEN'S BIGIは、橋本治の青春大河小説『桃尻娘』やコント赤信号のネタの中でその名が挙げられていたほか、1983年ごろの絶頂期には、渋谷や原宿また新宿などの繁華街で、そのロゴ入りのスタジアムジャンパーを着る若者が必ず見られるほどの流行であった。ブームのさなか、MEN'S BIGIデザイナーの菊池武夫が大手アパレルブランドのワールドに移籍した。ブーム初期の特設セールでは、混雑によって会場内の大きなワゴンが通路からズレて売り場担当が壁に挟まれたり、最盛期のセールでは、これらのブランドの店舗が入っていた丸井やパルコなどは、周辺に前日から行列ができるほどの盛況だった。しかし、1986年頃から徐々に始まったバブル景気と、それを巻き起こした急激な円高を背景にした「ジョルジオ・アルマーニ」や「ラルフ・ローレン」などの高級輸入ブランドの国内市場への本格的進出や、ボディコンブームなどによって1980年代末に終焉した。 このブームは、当初はドメスティックブランドの1つとして注目され、その後、オリエンタリズムを標榜して世界に一定の活躍の場を持つにいたった「イッセイミヤケ」や「ヨウジヤマモト」、アンチモードを展開した「コム・デ・ギャルソン」などのインターナショナルブランドと、昭和30年代以降IVYブランドとしてショップ紙袋の効用で知名度アップを図って、その後の多くのブランドのロゴ戦略の手本となった「VAN」、ヨーロピアンスタイルへの転向とリチャード・アヴェドン(Richard Avedon)など海外の著名なクリエイターを活用した広告戦略によってインターナショナルブランドの非製品的イメージ戦略の先駆けとなった「JUN」、 媒体紹介度の高い「BIGI」,「COMME CA DU MODE」など、コンセプトの異なる多くのブランドをグループ化したテナント販売戦略だった。この販売的側面は、デザイナー各人の望む方向性とは必ずしも一致せず、国内の服飾文化水準を高めようと結成されたが、その後、このブームによって大規模化され目標が変化していったTD6から脱退するデザイナーもいた。現在は、小売店でデザイナーズ&キャラクターズブランドという売り場エリア名は使われず、より高級でステータスな意味で海外メーカー各社のブランドと合わせてクリエイターズ、また、以前の床売りに対する箱売りな意味での「キャラクターズ」という総称が使われている。 このDCブランドの特徴についてオーバーシルエットがその代名詞のように言われることはあるが、当初は「イッセイミヤケ」や「コム・デ・ギャルソン」など一部のブランドのみで、大多数はブームの中~後半期であった。また、このブームが終わり次代のイタリアンファッションの流行った時期にも、オーバーシルエットは見られたため、DCブランド特有のスタイルではないことに注意する必要はある。例えば、オーバーシルエットの代表格とされる「ヨウジヤマモト」は、メンズブランド(Y's for men)の立ち上げやコラボレーションの先駆けとなっとA.A.R. Yohji Yamamoto(ダーバン-レナウンとの共同)では、タイトなシルエットにしていた。 DCブランドブームの初期に、ジャケットやボトムスの裾のロールアップ、シャツの裾出しや重ね着、ジャケットの上からのベルト絞めなど従来の常識的な着こなしの様式を破ったコーディネイトが流行った。特にシャツの裾出しは、1990年代以降現在のファッションスタイルとして定着している。 DCブランドの特徴は、これらの担い手の多くが、当時20代から30代の若い世代であったこと、また、これらのファッションと同時期に活動していたニューミュージック系の歌手やYMOなどの音楽バンドとの同期的なセールス(コラボレーション)であったことである。その多くはマンションの一室に事務所を設立して活動を始めた若手起業家たちであった。また、ファッション雑誌に、中原理恵はBIGI(例:シングル『東京ららばい』のジャケット)、庄野真代はNICOLE(例:アルバム『マスカレード』のジャケット)、山本潤子はコム・デ・ギャルソン、竹内まりやはY's、秋川リサはBUZZ SHOPを好きなブランドであるとの記事が載せられ、単一ブランドによるトータルアイテムの斬新さと芸能人の洗練された個性をジョイントし、以前には見られないセールスを打ち出した。ちなみに、C-C-Bの『ないものねだりのI Want You』には、具体的に多くのブランド名がフレーズとしてあげられていた。なお、YMOの高橋幸宏は、兄の経営するBUZZ SHOPから自らがデザインを手がけたBricks monoという名のブランドを出し、YMOのステージ衣装などもショップ販売していた。なお、現在では、北野武がヨウジヤマモトの服を着ているが、DCブランドブーム当時はFicce uomoの派手なセーターを着ていた。 DCブランドブームの前半期は、日本国内で独自の百花繚乱と言える多様なファッションが展開された点は特筆すべきことであった。これらDCブランドは、ブーム前のデザイナーブランド時の数社においては、海外有名ブランドに対抗し得る、若年層よりも高い年齢層を購入者として想定していたが、マスコミや百貨店等の販売戦略のために、VANやJUNと同じく若年層を購入者としたが、若年層全般には高額であったことが、一方で、その後の1990年代初期のバブル崩壊に至るイタリアンファッションブーム終焉までの間にその金銭感覚を緩慢に変化させ、また、他方で、文化屋雑貨店に始まる廉価品のブランド化(当時はチープシックと呼ばれていた)が現在のファストファッションのイメージ戦略の先鞭となったことに留意しなければならない。後半期はモノトーンブームが、意識的・無意識的に若年層の支持を集め、さらに、チープシックの広がりの影響も加わって、前半期におけるような多様なファッション表現は後退した。 なお、DCブランドとVANおよびJUNをブームという面から比較すれば、VANおよびJUNは、その名は直接の購買層でない小学校高学年にまで認知されていたのに対し、DCブランド名の認知度はそれに及ばなかったこと、特に、JUNは、リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)による男装をイメージしたCM内容が成人向けにも関わらず、1970年代中頃の少年向け漫画週刊誌に紹介されるほどの反響があったのに対して、DCブランド各社にはそれに相当するものがなかったこと、また、VANではボタンダウンシャツ、JUNではレディスのROPEについて、そのファンの一部が自身をROPE党と称して認知される傾向にあったのに対し、DCブランドにはそれがなかったことが挙げられる。これらの違いは、DCブランドの多様性の特徴の別な面である。 なお、VANは国内において商材の発掘も行った。例えば、本来は広告や販売促進のための配布物である大きなロゴがプリントされたTシャツを販売して、その後のJUNやDCブランド各社の大きなロゴ入りアイテムの拡販の基礎をつくった。ただし、DCブランドブーム以前のデザイナーブランドは、1980年代初期において、このようなアイテムを販売する従来のブランドと一線を画し、デザイン主体のアイテム展開を行い、その後のDCブランドブームを導いた。現在、大きなロゴ入りTシャツを販売するブランドは少なく、デザイン主体のブランドが大勢を占めるようになった。なお、時計のムーブメントやボタンなどに用いられるブランドロゴは、プロダクトオーナー・プロダクトユーザー向けの高級アイテム用であり、ベストクオリティーの意味合いが強く使い道が異なる。また、チーフなどのアクセサリーや海外ブランドのロゴ入りバッグなども同様である。 現在、DCブランドブームで知名度を上げたブランド各社は、1980年代初期まで持っていたそれぞれの独自性を、ワールドワイドな流行に合わせつつ、どのようにしてアイテムに生かすかにデザインの関心は移ってきている。その一方、景気動向と社内効率化により、他の業種にも広くみられるOEMやODMの活用をどの程度にまで及ぼす必要はあるのかなど困難な課題がある。また、来店者や顧客の求めるイメージに合うものを、店内にあるアイテムから落さず的確に探し出す等トータルコーディネイトの応用力を売場担当に教育したり、また顧客層、特に若年層の上昇志向をどのように引き出して商品に反映して行くかが、台頭の著しいファストファッションへの対抗力としての課題である。ちなみに、ファストファッション(ユニクロ、GU、H&M等)では、トータルコーディネイト等のサービスは、その価格設定上難しく、また、アイテムを契機とする上昇志向はサポートされていない。しかし、現在多くのメーカーに見られるタイトな外観のみによって違いを出そうとしたものではなく、トータルコーディネイトでの商品の差がなければ、オーバーな外観に依存したDCブランドブームの盛衰と同様である。しかし、ファッションメーカーによるグレード分けによるブランド販売戦略は、例えば、家電メーカーなど他のジャンルの基本機能搭載製品から多機能搭載製品の分別販売戦略に一考を与えるものとなった。
※この「DCブランドブーム」の解説は、「DCブランド」の解説の一部です。
「DCブランドブーム」を含む「DCブランド」の記事については、「DCブランド」の概要を参照ください。
- DCブランドブームのページへのリンク