ディーシー‐モーター【DCモーター】
読み方:でぃーしーもーたー
DCモーター
直流電源によって回転力を発生する電動機のこと。回転数が低いとき、大きなトルクを発生し、回転数が高まるにつれてトルクが減少するという特性がある。これは、発進時に大きなトルクを必要とする電車や電気自動車の駆動用として適している。
DCモーター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 13:39 UTC 版)
1832年、イギリスの科学者ウィリアム・スタージャンが、機械の動力源として使える世界初の整流子式直流電動機を発明した。 1837年、アメリカでトーマス・ダヴェンポートとその妻エミリーと共に商用利用可能なレベルの整流子式直流電動機を開発し、特許を取得した。この電動機は毎分最大600回転で、印刷機などの機械を駆動した。当時電源としては電池しかなく、その電極用の亜鉛は非常に高価だった。そのためダヴェンポート夫妻は商業的には失敗し破産した。他にも直流電動機を開発した発明家が何人かいたが、いずれも電源コストの問題に直面した。当時、電力網はまだ存在しなかった。したがって、電源コストに見合うだけの電動機の市場は存在しなかった[要出典]。 1834年、ロシアのモーリッツ・フォン・ヤコビが、比較的弱い回転・往復運動の装置を使って、初の本格的な回転式電気モーターを作った。このモーターは驚くべき機械的出力を持っていた。このモーターは世界記録を樹立したが、さらに自身で1838年にその記録を更新した。後者を使って14人乗りのボートで広い川を渡ることができた。1839年から40年にかけて、他の開発者も同様以上の性能のモーターを作ることに成功した。 1855年、イェドリクは electromagnetic self-rotors と同様の原理で役に立つ仕事をする装置を製作した。また同年、電動機で駆動する自動車の模型を作っている。 1864年、アントニオ・パチノッティがリング状の電機子を初めて発表した(当初は直流発電機(ダイナモ)として考案された)。これは、コイルが左右対称で互いに閉じられて配置され、整流器のバーに接続し、ブラシからは実用上問題ないレベルで変動のない電流を供給する点が特徴的である。 1871年にパチノッティの設計の再発明やヴェルナー・シーメンスによるいくつかの解決策を採用したゼノベ・グラムの後で、直流モーターはようやく商業的に成功する。 1873年、ゼノブ・グラムは2台の発電機を接続し、一方が発電した電力でもう一方を電動機として駆動できることを偶然発見した。このグラム発電機は電動機としても世界で初めて商業的に成功した[要出典]。 1872年、ジーメンス・ウント・ハルスケ社のフリードリッヒ・フォン・ヘフナー・アルテンネックがパキノッティのリング電機子の代わりにドラムローターを導入し、機械効率を向上させた。 翌年には同社がラミネートローターを導入し、鉄損の低減と誘起電圧の向上させた。1880年、Jonas Wenströmはローターに巻線を収めるためのスロットを設け、効率をさらに高めた。 1886年、フランク・スプレイグは負荷が変化しても一定の回転速度を維持できる火花の出ない直流電動機を発明した。このころスプレイグは電動機の力を電力網に返す回生技術を発明しており、また路面電車用の架線から集電する方式も発明した。これらの技術を使い、1887年にバージニア州リッチモンドで路面電車を運用して成功を収め、1892年には電動エレベーターとその制御システム、さらにイリノイ州シカゴで集中制御方式の電動式地下鉄(通称シカゴ・L)を成功させた。スプレイグの電動機と関連発明を機に、産業における電動機需要は爆発的に増大し、他の発明家も同様のシステムを次々と発明していった。 電動機の効率向上は、固定子と回転子の隙間を小さくすることが重要だということがなかなか認識されず、進歩は数十年間遅れてしまった。初期の電動機ではその空隙が比較的大きく、磁気回路の磁気抵抗が非常に大きかった。このため、現代の効率的な電動機に比べると、同じ消費電力で発生できるトルクがかなり小さい。その原因は磁石や電磁石が近いほど引き付け合う力が強いため、ある程度離しておこうとしたためと考えられる。効率的な設計では、固定子と回転子の隙間をなるべく小さくし、トルクを発生しやすい磁束パターンにする。
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