暴走族映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 08:29 UTC 版)
梅宮は「四輪バギーを日本の映画でいち早く登場させたのも『不良番長』なんだよ。岩城滉一や舘ひろしの暴走族映画は僕らの後。俺たちが日本のバイクムービーの先鞭をつけたのは間違いない」と述べている。暴走族映画は同じく東映が1970年代後半、キャロルの親衛隊だったクールスに在籍していた岩城滉一をスカウトして、岩城主演で『爆発! 暴走族』(1975年)など4本、舘ひろし主演で『皮ジャン反抗族』(1978年)など4本の暴走族映画を製作した。舘はこの時期、岡田社長に誘われ東映に籍を置いていた。岩城の『爆発!暴走族』は、ブラックエンペラーやジェロニモなど、実際の暴走族が登場する最初の商業映画と見られる。不良番長シリーズ』の影響下にあり、1980年前後に最盛期を迎えた暴走族に先立つ1970年代に孤立する作品群である。舘主演の映画は『不良番長シリーズ』のようなエロ要素はなく、黙々とオートバイを偏愛する姿が描かれる。またそれまでの映画の役柄のため、俳優がバイクを練習したというのではなく、実際のバイカーをスカウトして映画俳優にしたという特徴を持ち、これらシリーズの功績として、不良性感度の高い若者がストリートで注目を浴び、やがて芸能界に進む今日続く道程を作ったことが挙げられる。1980年代以降は、暴走族漫画が大人気となり、これを実写化するケースが増え、今日までそれは続いている。暴走族漫画が現れるのは1980年代以降であるため、それまでは映画、特に東映がこのジャンルをリードしていた。
※この「暴走族映画」の解説は、「不良番長」の解説の一部です。
「暴走族映画」を含む「不良番長」の記事については、「不良番長」の概要を参照ください。
- 暴走族映画のページへのリンク