琉球王国とは? わかりやすく解説

琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 14:46 UTC 版)

琉球王国(りゅうきゅうおうこく、沖縄語: 琉球王國ルーチューヲークク)または琉球国(りゅうきゅうこく、沖縄語: 琉球國ルーチュークク)は、1429年宣徳4年・正長2年・永享元年)から1879年光緒4年・明治12年)の450年間、琉球諸島を中心に存在した国家である[2][3]


注釈

  1. ^ 中山王としての即位は1421年である
  2. ^ 形式上は琉球国の領域とされるも直轄統治を受け事実上割譲された奄美群島を除く。また、島津氏による軍事行動を除き、琉球の人民の検束などは「掟十五条」に反するものであっても、代官でも無闇にできるものではなく、例えば貿易に関する不正があった場合も捜査、取り調べおよび検束は琉球王府に断りを入れてする必要があった。
  3. ^ 建国当時はマジャパヒト王国との交易があったことが知られているが、のムスリム・鄭和の保護下で新興イスラム国家・マラッカ王国が急速に貿易の主導権を奪い、琉球はマラッカ王国と貿易するようになった。
  4. ^ (福建人ならびに福建省客家
  5. ^ 三山不統一につき和田久徳は、早期の『明実録』『歴代宝案』で三山統一が明示されたわけではなく、単に南山の遣使が翌年以後に記載を見ないだけであるとして、三山統一の史実が存在しないとした [26]
  6. ^ 石井望は、三山統一説の始見は1456年『寰宇通志』巻百十六琉球国條だとする。その條の記述に、永楽年間に冊封を受けたが、「自後惟だ中山王のみ來朝し、今に至るまで絶えず、その山南山北二王は蓋し中山王の併する所となる云」との推測が記載されている。明国では実情が分からず、ただ朝貢が来ないだけだとする。よって石井は、三山時代とはイスラム宦官貿易時代であり、統一と見えるのは鄭和らの宦官貿易時代が終ったに過ぎないとする。1429年以後も争乱が相継ぎ、統一にほど遠いが、金丸尚円時代からは薩摩の貿易統制の結果、琉球の統一性が高まり、尚氏は世襲され、後に第二尚氏と呼ばれるに至る、とする[27]
  7. ^ このような姿勢は、漢族や非漢族による、中国地域に成立したいわゆる『中原王朝』に(中原王朝から見て)朝貢していた時代の日本、越南、朝鮮、その他諸国に広くみられる態度である。前近代においては、自国および他国の国家の元首の格付けを、対象とする地域や相手によって、都合よく操作することはよくあることである。
  8. ^ 実際には、後述の中城王子(王世子)の薩摩藩への上国時に提出させられ、そのまま国王となる事による。直接提出を命じられた国王は尚寧王だけである。
  9. ^ 組踊「万歳敵討」。敵役である登場人物が、競馬がらみのトラブルで主役の兄弟の父親を殺害している。

出典

  1. ^ 渡久地政宰『日本文学から見た琉歌概論』(武蔵野書院1972年)、299-300ページ。
  2. ^ 琉球王国とは”. 首里城公園. 2023年11月8日閲覧。
  3. ^ 【基礎からわかる】琉球王国とは?”. 読売新聞オンライン (2022年4月30日). 2023年11月8日閲覧。
  4. ^ 本田惣一朗監修『日本の家紋大全』 梧桐書院2008年
  5. ^ 安里進・山里純一「古代史の舞台 琉球」 上原真人他編『古代史の舞台』<列島の古代史1>岩波書店 2006年 391頁
  6. ^ 最古級の日本全図、室町初期作か”. 読売新聞 (2018年6月15日). 2018年6月15日閲覧。
  7. ^ 月刊正論2022年9月号、JAN 4910055990927
  8. ^ 小玉正任『琉球と沖縄の名称の変遷』 琉球新報社 2007年
  9. ^ 浮縄の嶽(浮縄御嶽・オキナワノ嶽) | 那覇市観光資源データベース”. 那覇市観光情報 (2018年6月26日). 2019年4月3日閲覧。
  10. ^ 東恩納寛惇 南島風土記 pp.16 地名概説『沖縄』
  11. ^ 国王頌徳碑(石門之東之碑文) [拓本]
  12. ^ 矢野美沙子、「為朝伝説と中山王統」『沖縄文化研究』 2010年 35巻 p.1-48, NCID AN0003370X, NAID 120003142293, 法政大学沖縄文化研究所, ISSN 1349-4015
  13. ^ 真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「此国人生初は、日本より為渡儀疑無御座候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為絶故也」。
  14. ^ 伊波普猷『琉球古今記』 刀江書院 1926年
  15. ^ “ルーツ解明 沖縄に注目”. 朝日新聞. (2010年4月16日). オリジナルの2010年4月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100420201708/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html 
  16. ^ “ルーツ解明 沖縄に注目”. 朝日新聞. (2010年4月16日). オリジナルの2011年6月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110629171640/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html 
  17. ^ “現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」”. 琉球新報. (2014年9月17日). https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-231707.html 
  18. ^ “沖縄の人々、ルーツは「日本由来」 南方系説を否定”. 沖縄タイムス. (2014年9月17日). https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/44163 
  19. ^ ゲノム多様性データから明らかになった先史琉球列島人の移動における取材について』(PDF)(プレスリリース)琉球大学、2014年9月16日http://www.u-ryukyu.ac.jp/univ_info/announcement/data/press2014091601.pdf 
  20. ^ “やはりアイヌ人と琉球人の方が本土人よりも遺伝的に近かった - 東大など”. マイナビニュース. (2012年11月2日). https://news.mynavi.jp/techplus/article/20121102-a126/ 
  21. ^ “アイヌ民族と沖縄の人、遺伝的な特徴に共通点”. 朝日新聞. (2012年11月1日). オリジナルの2013年7月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130729213058/https://www.asahi.com/culture/update/1101/TKY201210310836.html 
  22. ^ a b “宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」「南から」説を覆す 人骨DNA分析で100%縄文人”. 沖縄タイムス. (2021年11月12日). オリジナルの2021年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211113042120/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/862140 
  23. ^ “トランスユーラシア言語は農耕と共に新石器時代に拡散した”. 九州大学. (2021年11月26日). オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127021902/https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/696/ 
  24. ^ トメ・ピレス『東方諸国記』を読む篠原陽一「海上交易の世界と歴史」- 『東方諸国記』(生田滋他訳注、大航海時代叢書5、岩波書店、1966) はトメ・ピレス著"Suma Oriental que trata do Mar Roxo até aos Chins"(紅海からシナまでを取り扱うスマ・オリエンタル)の日本語訳
  25. ^ 中島楽章「ゴーレス再考」『史淵』第150巻、九州大学大学院人文科学研究院、2013年3月、69-116頁、doi:10.15017/26231ISSN 0386-9326NAID 120005227295 
  26. ^ 和田久徳『/ 琉球王国の形成・三山統一とその前後』(榕樹書林、2006年)所収「琉球国の三山統一についての新考察」(1975年)、「琉球国の三山統一再論」(1987年)
  27. ^ いしいのぞむ「驚愕の古琉球史」、『純心人文研究』第30号、2024年2月
  28. ^ 『琉球王国評定所文書』
  29. ^ 琉球國王尚泰ヲ藩王トナシ華族ニ陞列スルノ詔
  30. ^ 琉球藩ヲ廃シ沖縄県ヲ被置ノ件国立公文書館
  31. ^ 真境名安興『沖縄一千年史』記載の「職制創設年表」の一覧(318、319頁)には「表十五人」の職制はない。
  32. ^ 真境名安興『真境名安興全集』第一巻、392-394頁参照。
  33. ^ 新城俊昭『琉球・沖縄史』東洋企画
  34. ^ 新城俊昭『教養講座 琉球・沖縄史』編集工房 東洋企画
  35. ^ 上里隆史 2002.
  36. ^ 浮島神社 | 沖縄県神社庁
  37. ^ 東京大学史料編纂所 編『史料綜覧』 巻十七、東京大学出版会、1963年3月25日、33頁。NDLJP:2966192 
  38. ^ 『浦添市史』〈浦添市教育委員会、1983年3月〉231頁
  39. ^ 略縁起|護国寺
  40. ^ 天王寺跡(テンノウジアト) : 那覇市歴史博物館”. www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp. 2019年4月3日閲覧。
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  42. ^ 琉球と袋中上人展 - エイサーの起源をたどる -
  43. ^ 東本願寺沖縄別院
  44. ^ 新城俊昭「琉球・沖縄史」東洋企画
  45. ^ 「小説 琉球処分」による検索結果 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア”. www.kinokuniya.co.jp. 2023年12月14日閲覧。
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  47. ^ WEBザテレビジョン. “画像・写真 カリスマ琉球王・尚巴志のドラマ放送 ナレーションは国仲涼子(6/12)”. WEBザテレビジョン. 2023年12月14日閲覧。
  48. ^ 琉球歴史ドラマ 尚円王”. RBCショップ. 2023年12月14日閲覧。
  49. ^ 沖縄セルラーpresents 琉球歴史ドラマ「阿麻和利」(全3話)|RBC 琉球放送”. RBC 琉球放送 (2023年12月11日). 2023年12月14日閲覧。
  50. ^ 【プチララ】琉球のユウナ 第1話 | 響ワタル | 無料漫画(マンガ)ならコミックシーモア”. www.cmoa.jp. 2023年12月14日閲覧。



琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:22 UTC 版)

冊封」の記事における「琉球王国」の解説

琉球の朝貢と冊封の歴史」も参照 琉球中山察度王明に朝貢次いで南山王、北山王も朝貢し、朝貢貿易が始まる。

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 05:31 UTC 版)

琉球貿易」の記事における「琉球王国」の解説

明への朝貢使による貿易時期によって異なるものの、1年もしくは2年1回時によっては年に2回派遣行っている。日本に対して2年もしくは3年1度使者派遣していたが、応仁の乱による日本国内政情不安により次第に堺や博多商人の方から琉球訪れようになったまた、15世紀半ばから周防国大内氏が対明貿易乗り出し当時東南アジア貿易をしていた琉球王国ともその産物求めて使節派遣し交易行っている。交易ルート周防国周防灘)から東九州沖を南下南九州東岸日向大隅)を経て南島に至るものであった日本明に対す献上品中には東南アジアなどの南海諸国採れる蘇木胡椒あるように、東南アジアにも使者派遣していたと考えられており、特にマラッカ王国シャムがその対象であった。 明との交易においては皇帝への朝貢品として琉球取れる馬や硫黄日本産刀剣東南アジア産の胡椒蘇木象牙などが進上され、これに対して明国皇帝からの頒賜品名目で多額金品与えられたほか、琉球使臣随伴者が持参した商品を明側が買い上げる形であり、事実上官営貿易であったこのため琉球では、琉球からの品物載せて運搬する船と、明の沿岸付近でこれを載せ替える接貢船2種類用意していた。また、明か入手した銅銭はその需要が高い日本との貿易用いられた。そのほか、明や日本からは琉球内で必要とされる生活必需品輸入された。 特に朝貢貿易相手である明・清遣わされる船舶進貢船呼ばれた

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)

文禄・慶長の役」の記事における「琉球王国」の解説

天正10年1582年6月7日中国大返し先立って毛利和睦したため、配下武将亀井茲矩約束していた出雲の国での加増不可となったので別の所を所望するようにと秀吉述べたところ、茲矩は光秀討伐後は国内は皆閣下靡くであろうから日本において望むべき所はないので「願わくば琉球を賜らん」と返答した秀吉はこれを喜び金扇の表に「亀井琉球守殿と書き裏に署名してこれを与えた以後、彼は柴田勝家滅亡の頃(天正11年)や小牧長久手の頃(天正12年)の書状では亀井琉球守として署名していた。文禄元年、茲矩は琉球国賜ったわけであるから今度は「琉球伐使」朱印欲しいと願い出て秀吉やむを得ずこれを許可した。茲矩は出征し活躍したが、戦闘中大事な金扇落としてしまい、これは後に李舜臣の手渡った出征後は僚友となった島津氏慮ってか、茲矩は琉球守をではなく中国の地名の「台州守」を名乗るようになった。 琉球王国は明の冊封国であったものの、当時はまだ独立保っていた。九州征伐後、秀吉島津氏を介して琉球服属入貢要求行い天正16年1588年以後複数要求繰り返した琉球は、秀吉の征明軍加勢せよとの命令公に拒否したが、実際に日本軍への補給協力し島津義久琉球王名護屋城築城遠征加勢はしないいいから代わりに金銀米穀を送るように命じた。しかし他方では、同時に明の臣下でもあった琉球は、日本側には秘密裏に、事前に中城王子明に派遣して秀吉征服計画通報しており、明からも出兵に対して先導役を命じられていた。 詳細は「琉球王国」および「琉球侵攻」を参照

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琉球王国

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バーナード・ジャン・ベッテルハイム」の記事における「琉球王国」の解説

1846年4月30日香港から琉球王国に到着し那覇護国寺拠点8年滞在した1848年12月8日生まれた2番目の娘は、記録沖縄本島生まれた最初のヨーロッパ人と言われている。 ベッテルハイム琉球伝道は、難破した英国軍人に温かく接した琉球人への感謝と愛からだとされる。しかし、彼は琉球に住む人々から排斥された。これは琉球支配者薩摩江戸幕府方針によると指摘されている。 到着当時、琉球王国ではキリスト教禁教であった。そこで、琉球側はベッテルハイム退去要請行った。それはベッテルハイム数年前1844年)に来琉したフランス人宣教師の、フランス海軍武力背景とした布教への対応に苦慮した経験からである。しかしベッテルハイムは、自分にもフランス人宣教師同様の権利があると主張して上陸した最初1年半琉球側のある程度黙認から比較自由に行動することができたが、布教通商さらなる自由化要求しイギリス本国加えて軍事的圧力続けた1847年10月国王尚育王国葬参加しようとしたベッテルハイム夫妻フランス人宣教師首里入口取り囲まれ殴打された。この事件により琉球側は宣教師達の自由行動不安視し、その後厳しく監視して行動にも制限加えようになったいっぽう医療活動での評価高かった仲地紀仁種痘伝授したという)。また聖書琉球語その内当時琉球王国の共通語とされていた沖縄方言)に翻訳し、それを配布した。『琉球語文典階梯』という琉球文典に関する文献脱稿しているが、英国でも米国でも刊行できずに終わり未刊稿本大英博物館寄贈するに留まっている。

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 20:47 UTC 版)

併合」の記事における「琉球王国」の解説

1879年3月琉球王国が日本併合詳細琉球処分参照

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:29 UTC 版)

明清交替」の記事における「琉球王国」の解説

明との冊封関係で、最も経済面利益得ていた国が琉球王国だった。明か朝貢貿易回数や船の提供などで優遇受けて琉球貿易繁栄したが、薩摩藩の琉球侵攻によって朝貢回数が減ると経済面打撃となった尚賢王即位によって冊封求め使節進貢使兼請封使)を明に送ったが、1644年福州着いた時には、すでに清が北京占領していた。使節金応元らは南京行き南明弘光政権から冊封認められた。しかし弘光政権崩壊し続いて隆武政権から冊封を受けるが、これも短命に終わった金応元らと入れ替わりに来た琉球使節の毛泰久金正春らは、清に冊封する方針変えて順治帝から了承を得る。しかしその後の交渉難航し尚賢王継いだ尚質王冊封は、康熙帝時代まで延期された。冊封受けた琉球は清と朝貢貿易行い18世紀中頃から海産物輸出盛んになった。北海道コンブ琉球経由清に輸出されるうになると、沖縄料理にもコンブ使われるようになった明の時代から琉球にいた中国系の人々は、琉球社会同化進んだ

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 02:34 UTC 版)

番所」の記事における「琉球王国」の解説

琉球王国においては近世期地方機関である間切統治する役所のことを指した地頭代以下の間切役人交代番所詰めた王府及び地頭への貢租上納夫遣い、地方行政全般にわたって執り行い首里との人馬網の拠点としても用いられた。ただし、琉球処分沖縄戦などの混乱によって間切関連文書多く失われたために不明な点が多い。

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琉球王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 10:19 UTC 版)

花の慶次の登場人物」の記事における「琉球王国」の解説

尚寧 声:- / 中井和哉 / - / 石川英郎ラジオドラマ琉球の章」) 琉球国の王。利沙とはかつて恋仲であったが、王の道を歩まねばならないことから一度別れた。それでも諦めきれず、一目逢いたいと毛虎親方に利沙を連れて来るよう命じる。再会した際もやはり手放したくないと側室迎えようとしたが、すでにその時利沙の心の中には慶次がおり、最終的には利沙の意思尊重した王として資質高く文武両道琉球舞い披露した際は慶次も感心するほど流麗かつ輝き満ちた様子見せ、「その舞い私にも教えてくだされい」と言わしめた。毛虎親方幼少の頃から習っていた武芸かなりのもので、一対一稽古で1本取れるほどの腕前。 毛虎親方 声:- / 大友龍三郎 / - / 掛川裕彦ラジオドラマ琉球の章」) 尚寧王重臣。王の幼い頃から仕え宰相一人尚寧王忠節を尽くす武術妖術達人であり部下からの信頼も厚い。なお「親方」は「うぇーかた」と読む。 竜嶽親方 声:大場真人ラジオドラマ琉球の章」) 尚寧王重臣海賊上がりだが、琉球国庫任されるほど出世した双剣武器とし、毛虎親方配下五人衆まとめて倒すほどの腕前。しかし己のためになるなら冷酷非道な行為も辞さず、人の命を使い捨てて奪うことも躊躇わない危険人物。 己の中に湧き立つ感情抑えることができず、とうとうクーデター起こしてしまう。この際は1本の剣で慶次と互角上の戦い繰り広げた乱入した尚寧阻まれそのまま尚寧の手斬り捨てられる。斬られる瞬間固まったまま一切抵抗せず、まるでそれを望んでいたかのような晴々とした表情をし、尚寧から「信頼する重臣」と呼ばれ純粋に琉球尚寧王想う毛虎に対して「お前が羨ましかった」と告げて絶命する。 火嘉宇堂 声:- / 鈴木賢 地頭代の弟で「マムシの火嘉」と呼ばれる本名呼ばれることは少なく作中ではほぼマムシ通っている)。残忍横暴な性格をしており、地頭代の威を借りて悪辣非道な行為をしていた。利沙に対して変態的な愛情抱いており、彼女を強引な手段奪おうとするが慶次に半殺しの目に遭わされる手下からも陰口たたかれるなど人望あまりないその後、罪を犯したことが兄に知れて成敗された。宝山斬り捨てられた後、慶次は彼の死に哀悼の意表した原作密陽府使・晋の弟の義に相当するキャラクター。 火嘉宝山 声:- / 大場真人 火嘉宇堂の兄。利沙たちが暮らす南海孤島地頭代であるが、仕事部下任せて海人に姿を変えて釣り没頭するそれゆえ住民はその部下地頭代だと信じていた。自分知らない間に弟・宇堂が悪行をなしていた事実を知るや、即座にその弟を切り捨て、その態度は慶次を感服させた。利沙が連れ去られた時、毛虎親方五人衆の錦と戦った。慶次の首里への旅に同行する原作密陽府使・晋に相当するキャラクター美耶 利沙に仕え侍女最初は慶次をカルロスの手先と誤解して警戒していた。マムシ短刀立ち向かう逆に重傷を負わされる果敢で利沙への忠誠心も強いが、人を見る目がない上に頑迷であるため結果的に利沙の足を引っ張ってしまう。 最長老 声:- / 佐藤正治 利沙たちが住む孤島長老。昔は七つの海渡り歩いた海族。利沙と慶次の仲を公認するが、逆恨みしたマムシ襲われるその後、慶次にかつて使っていた鉄製強弓託し利沙の手を慶次の手に合わさせ「自由な海を行け」と残し安らかに絶命する。 虞 琉球役人。武が挨拶済ましたらしい。 宗元 声:- / 岸野幸正 慶次たちが琉球会った琉球士族出身役人最初は慶次を密偵と疑うが、慶次の心を知り飲み明かす原作釜山武将鄭撥相当する駿、応魁、善継、鏘、胤芾、遵 宗元の部下。慶次と宗元が飲んでいた店で他の客のふりをして慶次を監視していた。 長英 宗元の従弟琉球王族血を引いている。しかし、宗元が会った長英は毛虎親方変装していた。 琢全 琉球役人がめつい性格賄賂がないと何もしない松風気に入り我が物にしようとしたが、逆に松風に腕を噛まれ振り回される。 寵 琉球評定所役人琢全より高位とみられる尚懿 尚寧の父で先の琉球の王。尚寧のことを宰相の毛虎に託した概、毫、錦、嶺、張 毛虎の配下五人衆岩兵衛倒し利沙を孤島から連れ出したそれぞれかなりの使い手だが竜嶽に倒された。 寿徳 琉球王府長老反乱画策する竜嶽を諌めた殺された。 朴仁 竜嶽に雇われ殺し屋。明の名家氏の出身だが、倭寇捕虜となり過酷な拷問を受け続けていた。そこを海賊時代の竜嶽に救われ以来彼に従う。全身拷問受けた無数の傷痕がある異様な風貌をしている。過去受けた仕打ちから心を固く閉ざしており、心を読んだ岩兵衛が「あいつは人間じゃない」と評するほど。殺害命じられていた利沙の優しさ触れ人として心を取り戻すが用無し断じた竜嶽に殺された。

※この「琉球王国」の解説は、「花の慶次の登場人物」の解説の一部です。
「琉球王国」を含む「花の慶次の登場人物」の記事については、「花の慶次の登場人物」の概要を参照ください。

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琉球王国

出典:『Wiktionary』 (2014/07/28 12:17 UTC 版)

固有名詞

琉球 王国りゅうきゅうおうこく

  1. かつて琉球列島存在していた王国尚巴志建国1872年琉球藩設置により消滅1429年 - 1872年

「琉球王国」の例文・使い方・用例・文例

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「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
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