古法時代とは? わかりやすく解説

古法時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 07:42 UTC 版)

著作権法 (フランス)」の記事における「古法時代」の解説

フランスにおいて、著作権概念前身とも呼べる「特権許可状(フランス語版)」を国王初め発行したのは、ルイ12世治世下の1500年頃である。この特権許可状は劇場運営者、文芸業界団体側面もある王立アカデミー (例: アカデミー・フランセーズ)、大学印刷業者、書籍商コメディアン (俳優) といった著作隣接権者に対して与えられるものであった。したがって当初特権許可状は、著作者本人保護目的したものではなく、むしろ著作者搾取する側面があった。その後徐々に特権許可状の発行対象広がっていき、1777年の王令によって、言語著作物著作者とその相続人対し永久著作権 (無期限著作権) が認められることとなった。以下、著作物のジャンル別に古法時代を見ていく。 書籍 フランスでは13世紀に入ると、識字率の向上にともなって手書き写本需要高まった13世紀前半にはパリ大学公的な存在となり、大学書物修正監督価格決定役割を担うようになっている一方で当時著作者たちは、著作物販売だけでは生計立てられなかったことから、もっぱら王家貴族などパトロン庇護受けていた。 1445年頃のグーテンベルグによる活版印刷術発明により、1500年にはパリ市内の印刷業者は50以上に達し当時パリ欧州2番目に印刷業盛んな都市であった。この印刷業者の急増加え海賊版印刷横行した結果特権なければ出版業界経営上成り立たなくなってしまったことが、1500年頃に初め特権許可状がフランスで発行され背景にある。しかしまだ、著作者本人には特権許可状は与えられていない当時印刷出版対象ギリシャローマ著作物、あるいは聖書主体だったため、新作執筆する著作者権利保護する必要性がなかったからである。 著作者本人特権許可状が徐々に与えられるようになったのは、17世紀入ってからである。書籍商中でもパリ特権許可状を独占していたことから、都市地方書籍商との間で対立起きたその結果著作者たちは地方書籍商から擁護されるうになる。したがって著作者本人権利保護著作者自らが求めたものではなく都市地方書籍商抗争副産物とも言える。この抗争解決すべく、ルイ16世治世下の1777年8月30日に「特権許可に関する裁定」が出され初め著作者本人文学的所有権認められ書籍商著作者の権利分けて捉えられるようになったまた、この裁定 (王令) は、書籍商永久著作権10年間に短縮する一方で著作者とその相続人永久著作権認めている。 戯曲 フランスではアンリ4世 (在位: 1589年 - 1610年) による国家統治結果観劇を楽しむ余裕社会秩序回復したことから、17世紀にはフランスで劇場文化興隆する。当時有名な劇作家であっても戯曲台本俳優売却する1回限り取引主流であったが、17世紀中頃には、現代で言うところの「ロイヤルティー」に該当する台本使用料」の考え方取り入れているケースもあった。1757年になるとようやく、王立劇団であるコメディ・フランセーズ著作者との間で、台本使用料名目劇場利益」の一定割合著作者シェアされる協定結ばれるようになった。 しかし実態は、著作者 (つまり劇作家伴奏作曲者) の弱い立場続いていた。コメディ・フランセーズ著作者間の対立激化したことから、1777年には演劇立法促進事務局 (フランス語: Bureau de législation dramatique) が設立された。当組織世界初著作権集中管理団体と言われており、著作者待遇改善コメディ・フランセーズ求め最終的に権利保護立法目指すことを目的とし、終身会長には『セビリアの理髪師』などで有名なボーマルシェ就任している。なお、この組織は後の劇作家作曲家協会 (SACD)(英語版フランス語版)として継承されることになる。1780年には、凡庸とも言われるルイ16世 (在位: 1774年 - 1792年) への直接陳情が行われ、国王顧問会議コメディ・フランセーズへの新たな規制公布したが、むしろ改悪だと批判された。 音楽 音楽に関しても同様で、著作者である作詞・作曲家に対してではなく楽譜出版する印刷業者や書籍商に対して特権許可状が与えられていた。初の音楽特権許可状は、イタリアベネチア聖歌集対象発行されており、フランスでは1551年アンリ2世リュート演奏者のギヨーム・モルレ(英語版フランス語版)に与えている。しかしモルレ自身出版できず、楽譜特権許可状を持つ書籍商権利放棄せざるをえなかった。作曲者自らが楽譜出版販売できる特権許可状が発行されるようになったのは、1723年のことである。 その後大規模な印刷装置必要だった活版印刷ではなく美術業界使用されていた彫版印刷楽譜用いられるようになった。彫版印刷によって、特権許可状も設備投資余力有しない中小業者にも楽譜印刷が可能となったことから、18世紀に入ると楽譜印刷海賊版出回るようになり、特権許可状の効力弱まることになった。そこで、楽譜著作者本人法的に保護し版権著作者から出版業者譲渡させることで、出版業者間接的に保護するスキームへの転換が必要認識されるようになった美術 絵画版画彫刻などの美術品については、(楽譜を含む) 言語著作物とは歴史異なる。美術作品にも著作権認められるようになったのはフランス革命以降であり、古法時代には著作権成立していない。 14世紀から16世紀イタリアルネサンスフランスにも流入しフランス美術業界質・量ともに向上した画家版画家彫刻家王室貴族などパトロンから直接庇護を受ける者と、それ以外業界ごとに設立され組合に属せざるをえない者に二分された。前者は「特権享受者」と呼ばれていたものの、後者組合1623年初め団体として特権享受者として認められるうになる。しかし、アンリ3世 (在位: - 1589年) の頃には、才能のない芸術家組合から除名するよう命じたり、フランス王朝の最盛期築いたルイ14世 (在位: - 1715年) の頃には、組合における特権享受者削減要求している。フロンドの乱 (1648年 - 1653年) の最中組合はアカデミー・ロワヤル (フランス語: Académie Royale de Peinture et de Sculpture) とアカデミー・ド・サンリュック(英語版) (フランス語: Académie de Saint-Luc) に二分され、対立和解繰り返すうになる1654年にアカデミー・ロワヤルがデッサン教育特権許可状を取得しプロ芸術家のみを会員限定することとなったが、アカデミー・ド・サンリュックはアマチュア芸術家住宅装飾家、配管工にも会員資格門戸広げていた。1777年にはアカデミー・ド・サンリュックが職人組合として認定される宣言出された。

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古法時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 15:13 UTC 版)

フランス法」の記事における「古法時代」の解説

フランス革命より前のフランス法を「古法」という。 もともと476年ゲルマン人の一支族であるフランク人西ローマ帝国滅ぼしてフランク王国成立するまでは、現在のフランス地域ガリア)では、文明化された最初法体系であるローマ法適用されていた。フランク王国では、当初ローマ帝国市民であったラテン系先住民には旧来のローマ法適用しフランク人にはフランク法を適用する属人主義とっていた。 843年フランク王国ローマ・カトリック受容してラテン系先住民との宥和政策をとると、キリスト教媒介としてフランク人ラテン系先住民は、(特にフランス南部では)徐々に融合していき、8世紀半ばカロリング朝成立しカール大帝800年ローマ帝国皇帝の冠をローマ教皇から授かって皇帝理念継承者となると、更にその傾向強まっていった。 843年ヴェルダン条約によってフランク王国西フランク王国東フランク王国中フランク王国3つの王国分割され現在のフランスドイツイタリア原形成立したが、さらに870年中フランク王国再分割されて西フランク王国東フランク王国成立したことによってドイツ法区別されるフランス法歴史が始まることになる。 西フランク王国末期になると、ラテン系先住民融合進み当初属人主義崩れ属地主義とられるようになり、987年カペー朝成立する頃には、フランス北部ではゲルマン慣習法が、フランス南部ではゲルマン法混交した、卑俗法(Droit vulgaire)と呼ばれるローマ法適用される傾向表れそれぞれの地域ごとに、封建領主裁判権行使していた。もっとも、封建制存立基盤有するカペー朝王権当初弱体であったため、ローマ法由来する合理的公平な教会法に基づく教会裁判所での裁判服することを民衆好んだこのように中世フランスは、教会支配する法、の時代であったといえる1100年ボローニャ法学校ができ、やがて大学へと発展して1240年註釈学派アックルシウスAccursius)によってローマ法大全の「標準注釈」(Glossa Ordinaria)が編纂されると、全ヨーロッパから留学生が集まるようになり、フランスではパリ大学で、ローマ法教授されるようになった当時大学ローマ・カトリック切って切り離せぬ関係であったこのような背景の下、中世後半になると、ヴェネツィア中心に商業発達し、それがヨーロッパ全土拡大していったが、このことが封建的な地域ごとの慣習法忌避する機運を更に高め、国を超えて商人だけに適用される慣習法発達促すことになるが、フランスでは神聖ローマ帝国ドイツ)に対抗するという政治的な理由から、フィリップ2世1219年ローマ法適用禁止する。このことも後にフランス法固有の慣習法存在意識させる一因ともなる。 その後14世紀になると封建制解体始め徐々に王権権力集中し始める。まず、フィリップ4世は、教皇対抗するため、1302年聖職者貴族平民代表者集めて全国身分会議(l'États généraux)を開催し1303年アナーニ事件はじめとするバビロン虜囚きっかけ教皇ローマ・カトリック教会権威失墜し教会法徐々に影響力低下させていったまた、ローマ法研究が進む中、教会法は、カトリック信者でありさえすれば地域どころか国を超えた普遍性有するものとして一般法jus commune、ユス・コムーネ)の概念成立させた。フランスは、ローマ法との微妙な緊張関係を保ちつつもローマ法継受(Rezeption)したのであったシャルル7世は、ジャン・ボダンニッコロ・マキャヴェッリ影響の下で、国王主権概念持ち出し1438年教皇庁対しフランス教会自立主張し1454年にモンティル=レ=トゥールの王令を発しフランス全土慣習法編纂命じた。このことが後にイタリア起源ローマ法からの離脱促す15世紀中頃英国との100年戦争が終わると、封建制基盤にしていた諸侯はその力を失いその後国王自身経済的基盤となる産業保護する重商主義政策をとったことにより徐々にフランス絶対王政確立するこれに伴い教会裁判所および封建領主裁判所衰退し、これに代わって国王裁判所がその地位確立したのであるフランソワ1世は、1539年ヴィレル=コトレの勅令よってフランス語を法及び行政言語公用語参照)に選定した。このことが後にフランス法独自性自覚させることになる。 絶大な権力得た国王は、全国身分会議を嫌い、1614年ブロワ会議最後にこれを開催しなくなってしまうが、これを不満として貴族は、当時中世特権保障されていた裁判官という職業に目をつけ、官職売買によって裁判官となり、国王対抗するようになった。そのため、高等法院は、賄賂と不正の温床となり、後のフランス革命においては旧体制の不正のシンボルとなる。 16世紀中にはフランス国内のほとんどの慣習法編纂作業終わりその結果適用範囲がその地域限られている「局地慣習法」と適用範囲の広い「普通慣習法」の違いがあることが判明した。普通慣習法中でもとりわけ重要なものを「大慣習法」と呼び、特にパリ慣習法重視される傾向生じた同時期に人文主義法学発展しフランスの法曹によって慣習法研究が進むと共に註解学派対す批判生じゲルマン法ともローマ法とも異なフランス固有の原理確立しようとする試みなされたその結果フランスでは神聖ローマ帝国ドイツ)とは反対にローマ法影響力低下していった。 その後国王は、自らの法律制定に基づき1667年に「民事訴訟王令」(Ordonnance civile touchant la re´formation de la justice)、1670年に「刑事訴訟法令」(Ordonnance criminelle)という二つの手続法を制定しまた、1673年には「サヴァリ法典」と呼ばれる商事実体法である陸上商事王令を制定した。このことが後の近代法整備繋がっていく。 1679年法学教育においてフランス語を公式に採用したサン=ジェルマン=アン=レー勅令発布されフランス王国内の大学では、フランス法教え学部と「フランス法教授」を必ず置くものとした。これにより、フランス語による法教育受けた法曹の手によって一般フランス人にもわかりやすい法律制定することができる準備整った。 以上のような絶対主義確立に伴いフランス法は独自の発展遂げたのであるが、国王絶対主義政治思想及び重商主義政策は、一部大商人等の特権階級利するだけで、個人の自由商業活動阻害するものであった啓蒙時代迎えると、絶対主義重商主義対す批判強まりシャルル・ド・モンテスキュー著作、特にペルシア人の手紙法の精神は、精神状態変化している現実上流階級特権満ちている状況との間の食い違い示しジャン=ジャック・ルソー苦心末主概念社会契約説を結びつけて人民主権理論産み出した。このことがフランス革命一因となった

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