選手兼任監督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 13:08 UTC 版)
大相撲
大相撲における選手兼任監督に類するものとして、親方として部屋の運営をこなしながら現役を務める「二枚鑑札」と呼ばれる力士がかつて存在した。最も近い例では1959年~1960年に第44代横綱栃錦清隆が現役力士と年寄春日野を兼任していた時がある[注 10]。栃錦が1960年5月場所限りで現役を引退し、年寄春日野として親方に専念して以降は、二枚鑑札は事実上廃止とされた状態になり現在に至っている。現役晩年の琴ノ若晴將が後継予定者として師匠療養中に代行を務めていたことがあり、引退時でも前頭下位クラスの実力を維持していたこともあって二枚鑑札での現役続行を求める声もあったが結局実現しなかった。
他に、将来の分家独立を考えて、現役中から「内弟子」をとって育成することも少なくない。この場合「現役力士の弟子」ということになるが、師匠として表に立つのはあくまでその相撲部屋の師匠である。ただし、稽古のみならず寝食もともにする相撲部屋の形態上、いわば「居候」の身分であるそうした内弟子の扱いは概して冷淡なものになる。現在の様な部屋別総当り制のもとでは、いずれ本場所で対戦する立場になるということもあって、なおその傾向が強くなる。また、いざ独立という段になって、その素質を惜しんだ本家側が内弟子の移籍を認めないなどの軋轢もしばしば生じている。その一方で、白鵬翔のように、内弟子を取っていた部屋付き親方が所属部屋(宮城野部屋)を継承し、代わって定年後の雇用延長の上で部屋付きとなった先代(竹葉山真邦)からの預かり弟子とともに在籍し続ける例もある。
その他のスポーツ
社会人スポーツ
特に社会人スポーツにおいては兼任監督が多くみられ、これまでに、
- ラグビーの森重隆・松尾雄治・桜庭吉彦(新日鐵釜石)
- バレーボールの田中幹保(新日鐵)・柳本晶一(新日鐵・日新製鋼)・眞鍋政義(新日鐵)・増成一志(大分三好)・泉川正幸(ジェイテクト)・加藤陽一(つくばユナイテッド)・丸山由美(小田急)
- アイスホッケーの岩本裕司(雪印)・若林修(西武鉄道)・村井忠寛(H.C.栃木日光アイスバックス。選手の人数不足によるシーズン途中での追加登録)
- ソフトボールの宇津木麗華(日立&ルネサス高崎)・安藤美佐子(湘南ベルマーレスポーツクラブ)
- ハンドボールの西山清(日新製鋼)・山口修(ワクナガレオリック・2010年監督退任と同時に現役も引退・社業に専念)
- 陸上競技の北風沙織(北海道ハイテクAC)
- スキージャンプの葛西紀明(土屋ホーム)
- スピードスケートの加藤条治(日本電産サンキョー)
らが兼任で指揮を執っている。
特殊な例として、主将(キャプテン)が事実上、監督の代行を務めたという、ラグビーのケースがある。神戸製鋼ラグビー部は、東山勝英が主将を務めることになった際、監督制を廃止し、主将が監督の役割を果たすことにチーム組織を改めたが、1988年に林敏之の後を受け継いで同チームの主将となった平尾誠二の下、同チームラグビー部が同年度の日本ラグビーフットボール選手権大会で優勝し、その後も連勝街道を驀進することになると、他のいくつかの社会人チームでも同様の動きが見られるようになった。もっとも、2003年に創設されたジャパンラグビートップリーグが開始されると、ラグビーでもコーチと選手の分業制が進み、現在では同様のケースを取っているチームはほとんどなくなった。なお、当該項目に示す、神戸製鋼ラグビー部における主将主導のチーム体制は、同じラグビーの例でも、上記に示す松尾雄治らが新日鉄釜石ラグビー部の監督兼選手であった頃のものとは意味合いが異なる(神戸製鋼コベルコスティーラーズ#監督制を廃止を参照)。
その他の例
- NFLでは、シカゴ・ベアーズのジョージ・ハラスがチーム創設当時の中心選手であり、兼任を含めて延べ40シーズンに亘り監督を務めた上、チームのオーナーでもあった。
- 自転車ロードレースにおける監督は本来選手兼任で務めるものであり、現在もなお兼任監督は少なくない[注 11]。
注記
- ^ ブレイザーも専任ではあるが、1979年から1980年途中まで阪神の、1981年から2年間南海の監督を務めている。
- ^ 機運がなかった訳ではなく、2001年オフに西武ライオンズが伊東勤に就任要請をしたものの固辞されている(後に一軍総合コーチ兼選手に就任)。
- ^ 例えば選手として退場処分を受けた場合、以後監督としての指揮も執れなくなる。
- ^ 社団法人格のみ引き続き残留可能。
- ^ なお、垣野はその後監督専任として現場復帰している
- ^ 2017年シーズンに藤枝MYFCGKコーチのシジマール、レノファ山口FCGKコーチの平井直人が、一時的にコーチ登録を解除の上で選手登録を行っている[7][8]。
- ^ Jリーグ発足後の実例はないが、現役選手(S級ライセンスを所持している人を含む)が事実上監督を兼任する場合は、S級ライセンスを所持していないコーチが「総監督」などの肩書で実質的な監督として指揮を執った例(ヴェルディ川崎での李国秀など)と同様、別にライセンスを所持するコーチを登録上の監督とすることが想定される。
- ^ なお、岡村はその後ヘッドコーチを退き、翌シーズンは選手に専念。そのシーズン後に引退した。しかし、大塚商会で専任コーチの後現役復帰。
- ^ シーズン終了後ジョンソンは退団し、ベンワーは選手復帰した。
- ^ これ自体先代春日野の栃木山守也が栃錦の現役中に没したことなどに配慮した特例措置で、明文化された規則としては、この前年から二枚鑑札は廃止されていた。
- ^ 但し、2005年から実施されているUCIプロツアー制度が導入されて以降、欧米籍の自転車チームについては、コーチと選手の分業化が進んでおり、またコーチングスタッフも、チームディレクター(チーム監督)、レースディレクター(助監督)といった分業体制を取っているところが多い。もっとも、日本の自転車チームは現在も選手兼任監督というケースが少なくない。
出典
- ^ “中日新聞:谷繁選手兼任監督、落合GM、森ヘッド:特集(CHUNICHI Web)”. 中日新聞 (2013年10月9日). 2013年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月8日閲覧。
- ^ 公認野球規則 8.06
- ^ “長崎S後期新体制の変更について | 四国アイランドリーグplus” (2008年7月5日). 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月8日閲覧。
- ^ “香川OG 野手コーチ就任のお知らせ | 四国アイランドリーグplus” (2012年1月16日). 2016年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月8日閲覧。
- ^ “2021年四国アイランドリーグplus 公式戦ルール概要” (PDF). 四国アイランドリーグplus (2021年3月21日). 2023年11月22日閲覧。
- ^ Jリーグ規約(平成29年1月25日改正), p109 (PDF)
- ^ 『登録選手追加・変更・抹消のお知らせ(2017/09/01)』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2017年9月1日 。2017年9月26日閲覧。
- ^ 『登録役員追加・変更・抹消のお知らせ(2017/09/01)』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2017年9月1日 。2017年9月26日閲覧。
- ^ “沖縄SV立ち上げの高原は「代表兼監督兼選手」…県3部スタートも将来的なJリーグ入り視野”. ゲキサカ. 2023年3月8日閲覧。
- ^ “Bリーグ初!B2広島の朝山正悟が選手兼監督に就任”. 日刊スポーツ. (2017年11月30日)
- ^ “7勝27敗のバンビシャス奈良、パブリセビッチHCとの契約解除を発表”. バスケットボールキング. (2018年2月9日) 2018年7月29日閲覧。
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